ウォーホル世代の最後の生き残りのひとり、クレス・オルデンバーグ。彼は彫刻を再定義することで、アートの外見だけでなく、それを見る人たちをも永遠に変えたアーティストだ

BY RANDY KENNEDY, PHOTOGRAPHS BY PIETER HUGO, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: クレス・オルデンバーグ。ニューヨーク市内ダウンタウンの彼のスタジオで撮影

クレス・オルデンバーグ。ニューヨーク市内ダウンタウンの彼のスタジオで撮影
 

 クレス・オルデンバーグが手がけた美術作品のうち、ニューヨーク市内に常設されている唯一のパブリック・アート作品が、誰の目にも見えず、その存在を知る人が実際に誰もいないというのは、なんだかいかにも彼らしい。オルデンバーグは巨大野外彫刻の分野の押しも押されもせぬ大家で、60年以上、ニューヨーカーとして生きてきた。彼の例の作品が「存在する」というのも、厳密に言うと正しくないかもしれない。《Placid Civic Monument》(静かな市民の記念碑)と呼ばれるその作品は、1967年の10月、ある晴れた日曜日に2~3時間で作られた。オルデンバーグは市の許可を取り、労働組合に属している墓掘り人を二人雇って、メトロポリタン美術館の裏のセントラルパークの地面に、普通サイズの棺桶が入るくらいの大きさの穴を掘らせた。穴は縦180cm、横90cm、深さ180cm。ちょうどそこから古代エジプトのオベリスクが見える場所だった。昼食後、穴掘り人たちはその穴に再び土を入れて元どおりにした。

 死への異常なまでの興味を、茶目っ気いっぱいに表現した、この反記念碑的アクションが行われたことを記録した唯一の証拠は、そのとき撮影された短いフィルム動画と数枚の白黒写真だけだ。その中で、オルデンバーグは見物しにきた少年たちとともに、穴の中をのぞき込んでいる。彼らはまるで、チャールズ・アダムス(アダムス・ファミリーの作者)のコミックに出てくるキャラクターのようだ。

 私はかつて、このとき撮影された写真の中の一枚を印刷してセントラルパークを歩き回り、オベリスクと木々を目印に、三角法を使ってその場所を探しあてられるか試してみた。その場所がどこかを確かめられるはずがないことはわかっていたが、それもいい意味でお楽しみのうちだった。作家のホルヘ・ルイス・ボルヘスがかつて「無知を成熟させろ」と言ったように。

 オルデンバーグのアートの墓のことを思うたび、彼がいかにとんでもなく奇妙なアーティストなのかということを思い知らされる。さらに、彼の作品がジェフ・クーンズやレイチェル・ハリソンなどの多様な後継者たちに与えた影響力の強さゆえに、彼の作品が最初に発表された当時、それがどんなに急進的だったかという点を簡単に忘れてしまう。彼の作品は、彫刻をとっつきやすく、より人間くさいものにすると同時に、もっと知性的なものにし、彫刻というものの定義を拡大した。その偉業は、激しく変動する美術の世界で、長い間、特別な意味をもちつづけてきた。

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