写真、建築、茶道。世界的な現代美術家・杉本博司が、自らの興味のすべてを包括する新たな施設を“最初の記憶”につながる地、小田原にオープンする

BY JUN ISHIDA

画像: 「夏至光遥拝100メートルギャラリー」に立つ杉本博司。オープニングでは、代表作である『海景』シリーズが展示 PHOTOGRAPH BY YASUTOMO EBISU

「夏至光遥拝100メートルギャラリー」に立つ杉本博司。オープニングでは、代表作である『海景』シリーズが展示
PHOTOGRAPH BY YASUTOMO EBISU

「今日も朝から山の向こうの石切場に行ってきてね。敷地に使えるようなめぼしい石に印をつけてきた」

 この夏、杉本博司は毎日のように東京の自宅から小田原へと通っている。その目的は、10月にオープンする「小田原文化財団 江之浦測候所」(以下、江之浦測候所)の工事のためだ。「江之浦測候所」は、杉本が10年の歳月をかけて構想してきた文化施設である。杉本が設立した日本の伝統的な演劇、美術の伝承および保存、そして現代演劇、美術の普及を目的とした「小田原文化財団」の本拠地でもあり、約9500㎡の敷地にギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室などの施設が造られている。各施設をデザインするのは、杉本と榊田倫之による新素材研究所だ。「現場の石工、木工、植木屋、全部の親方を僕がやっている。今はディテールの段階だから、僕が現場で指示しないと作業が始まらないんだよ。本当はインタビューなんてやっている場合じゃない」と杉本は満足げに笑う。

 敷地は、箱根山外輪山と相模湾の間に広がる山から海にかけての斜面だ。この地は、杉本の幼少期における最初の記憶へとつながる場所でもある。杉本は、次のように認めている。「私は小田原に負うところが多い。子供の頃、旧東海道線を走る湘南電車から見た海景が、私の人としての最初の記憶だからだ。熱海から小田原へ向かう列車が眼鏡トンネルを抜けると、目の醒めるような鋭利な水平線を持って、大海原が広がっていた。その時私は気がついたのだ、『私がいる』ということを」(「小田原考」より)。

 小田原は、杉本が自我に目覚めたところである。この記憶が、のちに杉本が作り出す代表的な写真シリーズ『海景』の誕生へとつながった。そして今、杉本が「自らの起源」とも言えるこの地で思いを馳せるのは、「人類の起源」であり「アートの起源」である。

画像: 千利休作と伝えられる茶室「待庵」の本歌取りとして構想された茶室「雨聴天」。茶室は、春分、秋分の太陽の光が日の出とともににじり口から床に差し込むよう造られている © ODAWARA ART FOUNDATION

千利休作と伝えられる茶室「待庵」の本歌取りとして構想された茶室「雨聴天」。茶室は、春分、秋分の太陽の光が日の出とともににじり口から床に差し込むよう造られている
© ODAWARA ART FOUNDATION

原点に還り、未来を考察する
 演劇、茶道、そして建築。これらはいずれもここ数年、写真とあわせて杉本が追求してきたものである。杉本は、自分の興味のすべてを包括する施設に「測候所」の名前をつけた。しかしなぜ「測候所」なのか?

 確かに「江之浦測候所」には、冬至と夏至、そして春分、秋分と太陽の運行に基づき造られた施設がある。一年の終点であり起点である冬至は、古代から死と再生の節目として世界各地で祀られてきた。この一年のなかでも特別な日である冬至の朝、相模湾から昇る太陽の光が差し込む導線に沿って、杉本は「冬至光遥拝隧道」(トンネル)と隧道に平行する「光学硝子舞台」を造った。そして一年の折り返し地点である夏至に関しては、その日の光の運行を観察するテラスを「夏至光遥拝100メートルギャラリー」に設け、春分、秋分の太陽が差し込む軸線に合わせて「石舞台」から続く石橋を設計した。杉本は語る。

「地球の運行を、天空のうちにある自身の場を確認することによって知ろうとした古代人のメンタリティを追体験するという意味で、測候所と名付けた。文明の行き先が定かでなくなっているときは、もう一度原点に戻るのが重要。これから文明がどういう方向にゆくべきか、原点に還り、人間存在そのものを考える契機になればよい」

画像: 冬至の朝、相模湾から昇る太陽の光が差す導線に沿って造られた「冬至光遥拝隧道」。隧道内の井戸には、杉本が三保谷硝子と制作した光学硝子が置かれている © ODAWARA ART FOUNDATION

冬至の朝、相模湾から昇る太陽の光が差す導線に沿って造られた「冬至光遥拝隧道」。隧道内の井戸には、杉本が三保谷硝子と制作した光学硝子が置かれている
© ODAWARA ART FOUNDATION

 現時点で杉本が思い描く未来は、人類滅亡後の世界だ。施設の将来の姿は廃墟であり、そこに人影はない。「5千年、1万年後は、多分、ピラミッドのような趣で、大谷石とコンクリートの躯体は残っていると思う。そのときに人類が生き残っている確率はどれくらいあるのか。19世紀以降、人類も文明もものすごいスピードで、進化ではなく変化してきた。このまま拡大再生産を続けていけばもたないのは確実だ」

 杉本は未来の景色を「荒城の月」にたとえる。あるいは、ドイツ浪漫派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの描いた、廃墟の先に海景が広がり、そこを月明かりが照らす絵画だ。「驕れるもの久しからず」(『平家物語』)。

 自らが設計した施設で、作品展示や能の上演、茶会を設けアートと人類の起源、そして未来を考察しようとする杉本博司。アーティスト、建築家、茶人、古典芸能および現代劇の演出家と、今や杉本は複数の顔を持つ。しかし彼はいったい何者なのか? 最後にその質問を杉本に投げかけてみた。「なぜいろいろやっているのかといえば、全部趣味ですよ。写真はプロといわれているけれど、それ以外は本業としているわけではない、でも本業の人にはできないことをやろうとしている。古い言葉だと隙間産業(笑)。プロにはできないこと、掟を全部破ってゆく」

 誰よりも掟を熟知しながら、あえて破っていく。そうして新しいもの、芸術は生まれる。やはり杉本博司は、当代きっての現代美術家である。

小田原文化財団 江之浦測候所
住所:神奈川県小田原市江之浦362-1  
時間:完全予約・入替制
<2月〜10月>
1日3回/10:00〜、13:00〜、16:00〜
<11月〜3月>
1日2回/10:00〜、13:00〜
休館日:水曜日、年末年始および臨時休館日
入館料:¥3,000
TEL. 0465(42)9170
※施設内の特性と安全性を考慮し、中学生未満は入館不可
公式サイト

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.