荒涼とした工業地帯に広がるメドウランズ大湿原を抜けて、ニューヨーク市内からニュージャージー州のモリス郡まで1時間ほど。列車がニューアークのコンクリート製のトンネルを通り、緑あふれる大学町の端まで来ると、やっとモリスタウンにたどり着く。ここは郡政府の中心地であり、アメリカ独立戦争時には軍事要塞だった場所だ。


「フォート・ナンセンス」という奇妙な名で呼ばれる史跡も残っているが、今では巨大な郊外の家々が立ち並ぶ何の変哲もない村で(TVドラマの『ザ・ソプラノズ』最終シーズンの一話の中では、モリスタウンは主人公のトニー・ソプラノが銃で撃たれて昏睡状態から覚めるまでの夢の中で、彼が死ぬために訪れる場所として登場する)、モリスタウンから車で30分ほど走るとチェスターだ。こぢんまりとしてのどかな馬牧場のコミュニティで、子鹿を従えた親鹿が狭い道をゆっくりと歩いている。はるか彼方に、なだらかに起伏する丘の稜線が見える。すると、未舗装の小道の突き当たりに、まるで別世界から降ってきたような思いがけない光景がひっそりと、何の説明もなく出現する。それはアーティスト・蔡國強(ツァイ・グオチャン)のために、彼の友人のフランク・ゲーリーが設計した別荘である。



ガラスとセコイア材でできた、複雑に入り組んだ構造の家。
ニュージャージー州チェスターにあるこの土地と建物は、
かつてオリンピックに出場した乗馬選手が所有していた



 蔡は、「野外の爆発イベント」と自らが呼ぶパブリック・インスタレーションでよく知られている。彼の十八番は火薬を使ったアートだ。一方ゲーリーは、「世界で最も有名な建築家」であるという使命と責任を一身に背負っている。「ビルバオ効果」という言葉は、スペインの寂れてしまったかつての工業都市に、彼がグッゲンハイム美術館の分館をデザインしたところからきている。超一流の建築家、とりわけゲーリーが手がけた建物ができることによって、いかに巨額の資金がその土地に流れ込み、都市の運命を劇的に変えるかということを説明するのによく使われる言葉だ。


 蔡は、「芸術作品を室内で創れるような巨大な馬小屋」を探していたときに、チェスターの町をたまたま見つけた。ここは世界的に名を轟かすような観光地にはなりそうもない。だが、ここに建てられた蔡國強の家は、ひとりの有名な建築家がもうひとりの著名な芸術家のために、芸術を生み出しつつ生活できる場所をいかに創り出すか、という問いへの答えだ。



自宅で撮影した蔡國強のポートレート



 現代美術と建築はしばしば同じ領域を共有すると考えられてきた。少なくとも第二次大戦後、彫刻、絵画、デザインなどのさまざまな分野を隔てる垣根が崩壊しはじめてから、その傾向はさらに強まった。流れるような曲線を配したゲーリーのポストモダニズムの建築物は、彼と同じような思想をもつクレス・オルデンバーグなどの芸術家たちの作品とよく比べられてきた。実際に、ゲーリーはオルデンバーグがロサンゼルスに1991年に創った彫刻作品「巨大な双眼鏡」のまわりにシャイアット・デイ・ビルをデザインした。


また、彫刻家・映像作家のリチャード・セラは「フランクと私はおたがいの作品を通して何年もの間、対話しつづけてきた」と書き残している。しかし、存命中の建築家が実際に芸術家であると認識されるケースは珍しい。芸術家はふつう、人が住める建物を造ろうとはしない。ゲーリーは、ふたつの世界を股にかけて活躍できる能力をもった特異な存在なのだ。彼はギャラリーや美術館で自分のデザイン展覧会を開き、自分の建築物には「動きと感情」があると語る。過去にも芸術家たちのために家を造ったことがあり、なかでもいちばん有名なのは画家のロン・デイビスの自宅だ。だがゲーリーいわく、多くの場合、個人宅を造るときは匿名で請け負っているという(「それがロサンゼルスのアートシーンってものだ」と彼は言う。「友人同士、助け合っているだけだよ」)。



家のデザインの模型



 しばしばありふれた素材を用いるゲーリーのデザインが、日用品をまったく別の目的で再利用したオルデンバーグの彫刻から美的に触発されたものだとするならば、蔡とゲーリーは、どちらもドラマティックなものに惹かれるという点以外、芸術的な価値観における共通点はあまりない。蔡とゲーリーほど違うタイプの芸術家と建築家の間にクリエイティブな対話が存在すること自体、驚くべきことだ。その対話の最も凝縮された形がニュージャージーの田舎にある週末用の隠れ家だという点が、よりいっそうすばらしいところだ。ゲーリーが造る蔡の家の設計には、彼の弟子だったトラティエ・デイヴィスも参加した。そのデザインは、蔡の人間性を目に見える"実店舗"の形で表現したようなものだ。つまり、活力がみなぎっているのに時に控えめで、その派手さで人々を魅了しながらもきわめて穏やか、という彼の性格そのものなのだ。