彼の感性とは、少なくともほとんどのアメリカ人にとっては、やはり復讐三部作によって定義づけられる。復讐とサバイバルを描いたこの3本の傑作は、あまりにも流血シーンが多く、まるでカメラを血で塗りたくったようだ。パクは最初から三部作にするつもりはなかった。実際、これら3作品はむしろ、普通の人々が想像を超えた極限状態に追い込まれていくストーリーを、復讐というテーマを通して3つの独自の表現で描いた作品であると考えたほうがいい。ミスター復讐と称されるパクの評判ゆえに、彼の映画はバイオレンス・スペクタクルとして作られたと思われることがあまりにも多い。だが、彼ほど細部と構図に緻密な目配りをする監督は、ほかにはほぼ誰もいないと言ったほうが正確だ。だからこそ、彼が人間の本能からわき上がる感情を下敷きにしたホラーを追求していくと、はさみで舌を切り落としたり、金槌の先で歯を引き抜いたりするシーンがあまりにも衝撃的で、見る者を釘付けにしてしまう。観客はそこから顔をそむけるより、むしろ映画の中にぐっと引き込まれてしまうのだ。


『オールド・ボーイ』の最も有名な場面のひとつが、死ぬほど腹をすかせた主人公が生きたタコを丸ごと食べるシーンだ。彼がタコに嚙みつくと、タコが彼の手や口の中でうねうねと激しく動き回る。氾濫する暴力が私たちから人間性をはぎ取ってきたこの時代において、彼の映像は特別な意味をもつ。パクの映画は、見る者から奪う感情より、もっと深く豊かな感情を見る側に還元していくのだ。そんなパクの作品は、弱者に対する彼の愛情から生まれたものだ。登場人物は絶望の淵に追い詰められ、そこからさらに想像を絶する体験をする。1979年から1988年までの間、独裁者だった全斗煥(チョン・ドファン)統治下の壮絶な状況にあったソウルで育ったことが自分の想像力に大きな影響を与えたと、パクは認識している。



『オールド・ボーイ』の悪役を演じるユ・ジテ

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 また、暴力を描く監督という評判ゆえに、彼が紡ぐダークな叙情詩の根底にある、素晴らしく人間的なユーモアのセンスも無視されている。パクのジョークの才能はあまり知られていないが、もっと認知されていいと思う。彼が個人的に気に入っているのは、『親切なクムジャさん』のワンシーンだ。同じ殺人犯に自分の子どもを殺された何組かの両親が集う。タイトルに出てくるクムジャが犯人を捕え、全員で復讐を遂げるべく、別室に犯人を縛りあげている。これから起こるであろう残忍な流血シーンを予感させるように、レインコートを着た親たちがそれぞれの武器を手にしている。だが、ひとりの男はごく小さな棒しか手にしていないようだ。しかし、彼が衣服の中に隠していた道具を次々とつなぎ合わせると、ほかの誰の武器よりも大きい、巨大な斧になるのだ。


 パクは、独学で映画を学んで巨匠となった。そうしたくて選んだわけではない。パクが育った1980年代の韓国には映画学校はほんの数校しかなく、映画にどっぷり浸ったり、あるいは無視したりできるようなまともな映画文化は存在していなかったのだ。彼にあったのは、外国映画を放送するので有名だった米軍放送(AFN)チャンネルのテレビだけだった。字幕がついていないことがほとんどで、ついていたとしても英語字幕で、韓国語の字幕はなかった。パクは自宅の白黒テレビでこの放送を観ていたことを憶えている。のちに彼は大学で映画クラブを立ち上げ、そこで海賊版のVHSテープに録画された外国映画を上映した。


「アメリカやフランスで映画学校に通えば、たぶんドイツ表現主義についての講義なんかがあって、ドイツ表現主義の映画を実際に観ることができるんだろうけど」と彼は言う。「でも、韓国ではそんなシステマティックな教育は受けられなかった。バラバラで、秩序も統制もなかったんだ。だから私の映画は、あらゆるものがごちゃ混ぜになったような、こんなおかしな形になってしまったのかもしれない」