繊維で試作中のふじやま織。富士の澄んだ水で先染めすることで、鮮やかな発色に仕上がるのだそう。 YASUYUKI TAKAGI
富士山に見守られた里の風景の中を、神輿が進む。 PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI
 朝靄の向こうに富士山の稜線が見える。ここは、富士吉田市大明見の富士山北東本宮・小室浅間神社だ。 この地に古代の織物を見に来たのは、ちょうど年に一度の大祭、古宮巡幸祭の日だった。祭りでは、歩いて30分ほど離れた阿祖谷に向かって神輿が出る。この谷間には古宮と呼ばれる旧神社跡地があるのだ。伝説によると、古宮のあった場所には、大和朝廷以前の時代に幻の王朝があったという。この一帯は、考古学的に見ても「古屋敷遺跡」という富士北麓最古の古代遺跡と重なっている。ここは、約1万年前の矢じり、縄文時代早期から近世までの住居跡が出土する重層的な複合遺跡なのだ。この地方の伝説によると、この谷に秦の始皇帝から不老不死の薬を探せと命じられた徐福という使者が住みつき、富士の古代王朝史を書き残したり、絹織物を伝えたりしたということだ。2千年 以上も前の話だ。私たちは、この大祭に参加させてもらった。 3 人の 神官たちは山の幸、海の幸を神に捧げ、その後、御神体を本殿から神輿に移す。御神体は隠されるべきもの であり人々の目に触れてはならないことになっている。神輿に移すときも参拝者たちは頭を下げて見ないよう にし、神官たちは御神体を袖に隠しながら移動する。その間、神官たちは、〝見てはならぬ〞 とばかりに、「お お」「おお」と大きな声で威嚇する。その声が近づき、やがて遠ざかっていくと、目には見えない「何か」が、 そばを通ったような気配がして、鳥肌が立つ。
 神輿の担ぎ手は厄年の男たちだ。一行はまず古宮に向かい、そこで祝詞をあげる。次に、厄年を迎える人々 の家々を巡りながら、沿道に集まる子どもたちに菓子を撒くのだ。沿道には小さな花が咲き、富士の雪解け 水が小川となって流れている。家々からはのどかな機織り機の音が響いていた。「田舎の小さな祭りです」と神社総代は謙遜する。だが、おごそかな神事と、そのあとに続く子どもたちの 歓声、笛太鼓のお神楽、そして町の人々の笑顔に彩られた祭りは、地縁を持たない私たちにも、ふるさとの 原風景を思い出させてくれる。
 祭りに見られる地域の連帯感は、織物の生産にとっても欠かせないものだ。江戸時代に甲斐絹と呼ばれたふじやま織は分業制で生産されている。現在、糸を作る「原糸」こそほかの地域に頼っているが、糸を撚り合わせる「撚糸」、糸に色をつける「染色」、経て糸とをそろえる「整経」、そして機を織る「製織」、生地の仕上 げ加工、および最後の検査をする「整理」とすべてこ の地域の工場で行われている。これらはみな熟練の技 が必要で、工程の一カ所でも失われてしまえば織物は完成しない。ふじやま織は、細い糸を使って高密度で織られる。そのため、風合いがよく、独特の肉厚感があるのが特徴だ。また現在、日本各地で生産される生地は、ほとんどが後染めのプリントだが、ふじやま織の場合は糸から染めるため、色みが深く、複雑なニュアンスが表現できる。
 今年1月、パリ・コレクションの舞台をこのふじやま織が彩った。しかし、これを知る者はほとんどいない。ファッション業界では、素材こそが作品の魂と知っているので、産地を口外することはめったにないのだ。海外のデザイナーたちは、はるばる海を渡り、秘密裏にこの山間部に買いつけにくる。
ふじやま織の工程は、おのおの別工場でなされる。これは細い糸に強度を加えるため撚りをかける「撚糸」の作業。右方向に撚るか、左方向に撚るかは産地によって異なる。 PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI
この地域に機織りの工場を持つ宮下織物株式会社の社長、宮下昇治さんにお会いした。現在81歳の昇治さんは、中学を卒業すると同時に大阪の織物問屋に奉公に出て、紳士服の裏地を商っていた。江戸時代から和服の裏地に使われていた甲斐絹は、当時は主に裏地や傘地といった地味な分野で使われた。やがて高度経済成長期になると安価な化学繊維に押され、古い織物は衰退しはじめる。昇治さんは当時をこう振り返る。「和装から洋装に変わっていった女性たちを見て、これからは婦人服の表地だと考えたんです。子どもの頃家で織っていた色鮮やかな織物を思い出して、あの美しさを世に伝えたいと思いました」
 だが問屋の社長は、「婦人服は流行に左右される博打 のようなもので、手を出すのは危険だ」と、意見を聞き入れなかった。そこで昇治さんは一念発起して独立する。昭和32年、22歳のときだった。ある日のことだ。神戸の商店街を歩いていると、店先のショーウィンドウに飾られた純白のウェディングドレスが目に入った。その頃、ウェディングドレスを見ることは、ほとんどなかった。彼はその足で店に駆け込むと、興奮して尋ねた。「どこでこれを作っているんですか?」。店主は辻泰三商店であると教えてくれた。そこは、江戸時代から五代続く京都にある和装の老舗で、のちに世界的デザイナー桂由美らを世に送り出したウェディングドレス・メーカーの草分けツジタイの前身だ。昇治さんは「これだ」と思い、翌日京都へ飛ぶと商談を持ち掛けた。
 大明見では緞子という色鮮やかな織物も生産されていたが、戦後はチャイナ服などにしか使われていなかった。昇治さんは、緞子の光沢を生かしたまま純白の糸でドレス生地を織ることを思い立つ。これが大ヒットにつながった。宮下織物はウェディングドレス生地を中心に売り上げを伸ばし、時代とともに中国などの追い上げで市場が縮んでも、華やかな舞台衣装の分野へと展開していった。それがのちに、宝塚歌劇団や、故・忌野清志郎、AKB48、EXILE、テーマパークのキャラクターへ衣装のための生地を提供する足がかりとなる。1984年には本社を故郷の大明見に移して、産地に直結した経営基盤をつくる。世界にこの織物を広めるきっかけになったのは、今から約25年前、売り込みに出かけたパリで、予想以上にクォリティを高く評価されたことだ。
 「アジア諸国が台頭してきて、何度も大変な時期はありました。でも、廃業しようとか、他地域のものも一緒に商おうとか、考えたことがありませんでした。儲けじゃないんです。自分を支えてきたのは、この地で代々受け継がれた織物の伝統を絶やしちゃいかんという思いだけです。織物は、たくさんのスペシャリストたちが支えている。どれかが欠けたら、この土地の織物は成り立たない。だからこそ踏ん張ろうと、妻と二人三脚で頑張ってきました」