塗装業者の息子として生まれたローレンは、今や世界的な知名度を持つブランドの指揮を執り、『フォーブス』誌によれば、およそ5億8000万ドル(約650億円)もの個人資産を持つビジネスマンへと変身した。その成長の過程において、彼はまるでアメリカ版ファラオのように、とめどない物質的欲望を満たす方法を覚えた。


 ニューヨークの5番街にある、セントラル・パークを見渡すモダンなメゾネット。ウェストチェスター郡のノルマン様式の邸宅。ニューヨーク州モントークの海に面した豪邸。ジョン・F・ケネディ政権時に財務長官だったC・ダグラス・ディロンがかつて所有していた家を含む、ジャマイカの別荘。コロラド州テルユライドの近く、サンファン山脈にある16,000エーカーもの牧場。そのすべてをローレンは個人で所有している。


 77歳になるローレンは、自分の牧場の近くを移動するときに、何台かあるヴィンテージバイクのうちの一台にまたがることもある。しかしたいていの場合はクラシックカーを運転する。そのラインナップには、1958年製のフェラーリ「テスタロッサ」、1938年製のアルファロメオ「ミッレミリア」、1929年製ベントレー「ブロワー」、そしてたった1台しか生産されなかった1930年製メルセデス・ベンツ「SSK カウントトロッシ」も含まれている。





「いつも運転しているよ。山道を走るのが好きなんだ」とローレン。

 彼いわく、ときどきは、40年間にわたって手に入れてきた多くのマセラティの中から1台を選んでエンジンを吹かすという。また時速100キロまでの加速が2.8秒しかかからない、3シーター、ガルウィングのマクラーレンでドライブに出かけることもある。山道をレーシングカーのマクラーレンで走るなんて、何と恐ろしいことか! それより少しはマシなのが、1956年製のメルセデス「300SLコンバーチブル」だ。ローレンが言うには、このクルマがコレクションの中でいちばんラルフ ローレンらしいという。


 一方、1938年製のブガッティ「タイプ57SC アトランティック」はめったに走らせることがない。自動車芸術の最高峰と評されるこのクルマに、傷をつけることを恐れているからではない。「これまで作られたクルマのなかで、おそらく最も美しいクルマだよ」とローレンは断言する。以前、フィアット社の名誉会長であるジャンニ・アニエリがこのクルマを見るために、ここベッドフォード・ヒルズまで訪ねてきたほどだ。「だが、外観に比べて走り心地は微妙なんだ」


 ローレンは概して「他人からの見た目」を気にかけてきた。とりわけ、今回のショーをこのガレージで開催することについては、「おそらく、多少は意地悪な批評を受けることになるだろうね」と言う。億万長者が自分のガレージでコレクションを披露することを、情熱から生まれた発想ではなく、ありあまる富を見せつけているのだと考えるゲストもいるはずだと。

 だが、そんなことはどうでもいいという。「私はこの業界で長く生きているからね。もう慣れっこさ」


 忘れてはならないことがある。目まぐるしくトレンドが移り変わるファッション業界においてローレンが長きにわたって活躍し続けることができたのは、彼の優れたビジネスセンスによる。と同時に、その成功は、彼が自分の直感を信じてきた結果でもあるのだ。2017年の2月に、若い顧客にアピールするため、歴史あるこのブランドをどうやって再構築し人気を回復させるかについて、当時のCEOステファン・ラーソンと意見が対立した。その際、合意に基づいてラーソンが退陣することになったのも、ローレンの直感による判断であった。

「彼はいいやつだ」と、ローレンはかつてオールドネイビーの幹部であったラーソンを評して言う。「だが、彼はわれわれのヴィジョンを理解できなかったんだ」


 しかしながら、近頃の“ウーバー世代”は、ブランド創業以来ラルフ ローレンの真髄であり続けたアメリカ西部やネイティブアメリカン、英国調やプレッピーといったテイストついて、ほとんど知らない。彼らにこの先、ブランドのヴィジョンをアピールすることができるかどうかは、現時点ではまだわからない。ただ、この点に関してローレンはゆるぎない信念を持っているように思えた。

「これまで私が仕事でなしとげてきたことはすべて、個人的なものだよ」。バットマンが週末に乗るクルマはこんな風なのではと思うような流線型のレーシングカーの隣で立ち止まって、ローレンは言った。「ファッション業界で50年も仕事が続けられたんだ。それ自体、すごいことじゃないか」