15世紀の宮殿に作られた
ある芸術家によるモダンな滑り台

An Artist’s Modern Slides, Inside a 15th-Century Palazzo
イタリア・フィレンツェの歴史的建造物の中に現れた、らせん状の巨大な滑り台。DNAをも連想させる、現代美術家カールステン・ヘラーの巨大作品は、“生命”に関する新しいアートショーでもある

BY LAURA RYSMAN, PHOTOGRAPHS BY DARIO GAROFALO, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS)

画像: カールステン・ヘラーが制作した、高さ60フィート(約18メートル)もある、2つのらせん状滑り台。フィレンツェ、ストロッツィ宮殿のアーケード付き中庭に設置された

カールステン・ヘラーが制作した、高さ60フィート(約18メートル)もある、2つのらせん状滑り台。フィレンツェ、ストロッツィ宮殿のアーケード付き中庭に設置された

 人間にストラップで縛りつけられ、長い滑り台をおりていく植物は、どんな気分になるものだろうか? ベルギー生まれのアーティスト、カールステン・ヘラーは《The Florence Experiment(フィレンツェにおける実験)》という新しいインスタレーション作品で、その答えを見いだそうとしていた。彼はまずはじめに、15世紀に建てられたフィレンツェのストロッツィ宮殿内の美術館に、長さ60フィートのらせん状の滑り台を2つ組み立てた。そしてマメ科の植物の苗がいっぱい蓄えられている神経生物学の研究室も作った。

 これはヘラーにとって、植物界に分け入る初めての調査となる。2018年4月14日から一般公開されたこの作品は、科学にインスパイアされた現代アートを、ここフィレンツエで展示する目的で造られた。この街はルネサンス時代に、はじめてアートと科学が融合し繁栄した場所だ。しかしかつて昆虫学者だったヘラーは、このインスタレーションを、科学が支配する世の中に対するアートの報復だと考えている。「科学の力が及ばないようなところでこそ、アートは新しい理解の扉を開くことができる」と彼は言う。

 ストロッツィの中庭に置かれた金属製の滑り台の曲線は、何百年も昔に建てられたルネサンス様式の宮殿の、左右対称のアーチと極めて対照的だ。美術館は、来訪者が滑り台を下りることを許可しているが、威圧的な高さと傾斜のせいで、ちょっとした勇気が必要だ。勇敢な来訪客は旋回する160フィート(約49メートル)ものチューブのなかを、猛スピードで進むことになる。そのうちの何人かには、植物を体に巻きつけて滑ってもらう。

画像: 来訪客はマメ科の植物と一緒に最上階から高速で急降下。恐怖感あるいは高揚感、あるいはその両方を誘発される目眩いがするような体験だ

来訪客はマメ科の植物と一緒に最上階から高速で急降下。恐怖感あるいは高揚感、あるいはその両方を誘発される目眩いがするような体験だ

「展覧会をパブリックに開かれた場所にする、という考え方が好きなんだ」と滑り台の向こう側に立つヘラーは筆者に言った。彼は、訪れる人が観察者になったり、同時に実験台になったりもする、錯覚的なインスタレーション作品を作ることで知られている。ヘラーは、アイソレーション・タンク(感覚を遮断する装置)、ナイトクラブ、回転ブランコ、滑り台やその他の体験的な作品を「不飽和なアート」と呼んでいる。この言葉は、19世紀の論理学者ゴットロープ・フレーゲから借りたもので、人が関われば関わるほど新たな意味を帯び続ける参加型のアートを指す。「“不飽和なアート作品”というものは、被験者がいてはじめて意味をなす」とヘラーは言う。「つまり未完成なのだ」。

 ストロッツィ宮殿のディレクターであるアルトゥーロ・ガランシーノは、ルネサンス期のアートが占拠しているこの都市で、あらゆる人、本当にあらゆる人に現代アートを届けることが自身のミッションだと言う。ヘラーが自身の作品として、20年にわたって制作してきた人気の滑り台には、人を引き込む完璧な力があると、ガランシーノはみなしている。1ヶ月をかけて建設されたフィレンツェ版の滑り台は、歴史的建物に穴ひとつ開けずに念入りに設置された。鋼鉄製のハリでしっかりと支えられ、古い建物構造に影響しないように作られている。

画像: カールステン・ヘラー

カールステン・ヘラー

 筆者は、ストロッツィ宮殿の最上階の、滑り台の入り口で覚悟を決めた。まず急こう配を落下し、勢いよく速度が増していき、自分の体を制御できなくなり、どうすることもできず叫び声をあげた。滑り台のチューブの上半分は透明になっており、空と、窓が並ぶ宮殿の壁が、万華鏡のようにごちゃ混ぜになって見えた。このような幻覚効果は、へラーの作品にはよく見られるものだ。15秒間の旅が終わると、大量のアドレナリンによって頭がふらふらし、錯乱状態になった。地上で人混みやコリント式の柱の間をふらつきながら、無性に見知らぬ人に抱きつきたくしたくなったが、我慢した。

 この体験が、マメ科植物の苗にどんなブードゥーのまじないをかけたのかは不明だが、地下室では白衣を着た研究者たちが、(来場者と一緒に滑り台を下りた)苗を微量ガス分析器に接続し、その分析結果を、静止状態にあった苗の数値と照合していた。同じ階には2つの小さな映画館があり、一方ではホラー映画が、もう一方ではコメディー映画が上映されていた。室内の空気と、鑑賞している客の感情的な反応によって発せられる嗅覚信号が、屋外に植え付けられた藤のつるのところへ送り込まれている。この夏の数か月を通して、藤のつるの伸び具合を調査するのだという。これらの実験は、今回の展覧会の共同制作者であるステファノ・マンクーゾとともに計画されたものだ。マンクーゾは植物の知性について研究をしている、フィレンツェ在住の神経生物学者だ。植物たちは、“私たちにとって未だ謎めいた、人間とは異なる種類の意識”を持っている、と彼は仮定している。

画像: 植物界についての人間の理解を促進するために、参加者と植物が相互に作用しあうことが、展覧会の要素の一つとなっている

植物界についての人間の理解を促進するために、参加者と植物が相互に作用しあうことが、展覧会の要素の一つとなっている

 とはいえ、ヘラーは速やかにこう説明した。「《The Florence Experiment》は科学実験ではなく、アートショーです。物事に対する私たちの理解を考え直そうという提案なのです」。ヘラーは過去の作品で、私たちが人間以外の生物の存在に対していかに無知なのかを探るために、キノコを育てたり、動物をギャラリー(展示室)の中に集めたりした。「私たちは、人間の意識がこの世でいちばん優れたものだと思い込んでいる」とヘラーは言う。「しかし、私たちは植物の生態ですら、いまだ理解することができていないのです」

The Florence Experiment
場所:ストロッツィ宮殿
※2018年8月26日(日)で一般公開は終了
公式サイト

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