行きすぎた資本主義経済の「その先」はどこにあるのか? マインドフルネスの由来でもある「禅」の思想が、いま世界で注目される理由とは

BY RYOKO SASA, ILLUSTRATIONS BY STINA PERSSON

画像: 食事の時間は、話をせず、味わうことのみに集中する。すると、五感が研ぎ澄まされ、食材本来のほのかな滋味が体に染み入るのがわかる。道元禅師は、素材そのものの味「淡味」があると記した。これは心が静まっていなければわからない味なのかもしれない ©2017STINA PERRSON-CWCTOKYO.COM

食事の時間は、話をせず、味わうことのみに集中する。すると、五感が研ぎ澄まされ、食材本来のほのかな滋味が体に染み入るのがわかる。道元禅師は、素材そのものの味「淡味」があると記した。これは心が静まっていなければわからない味なのかもしれない
©2017STINA PERRSON-CWCTOKYO.COM

 果たしてそれは真実だろうか?
そう問いかけるのが禅である。社会は生産性のないものを「愚」と呼ぶが、仏教ではそれを「聖」と呼ぶさかさまの世界だ。 今、「マインドフルネス」の技法は、集中力を養い、生産性を高める手法として企業に注目されている。しかし、どれだけの人が気づいているだろう。本来、禅は過度な競争主義や、資本主義に対する「ワイルドカード」なのだ。果てしない競争社会から「降りる」ための革命の技法なのである。

 星覚さんはこう語る。

「ドイツに渡ったばかりの頃は、果たして生活していけるのだろうかと不安に思ったこともありました。それでも5年以上たって、僕はこうして生きている。それが事実です。 ときどき、ベルリンの広場で托鉢(たくはつ)をしているのですが、坐っていると子どもたちが、パンや果物を持ってきてくれて、『ダンケ(ありがとう)』と声をかけてくれます。言葉はなくとも、どこかで通じるところがあるのでしょう。よく誤解されますが、托鉢は僧侶のためにするものではなく、布施をすることが自分自身のためになるからしているのです。何の見返りも求めず、ただ与えることは執着を減らします。すると思いもよらないかたちで縁がつながり、それが人々を支えます。思いがけず誰かに与えられることもあるでしょう。それをただ受け取る。そのことによって人々はつながっていきます。それが僕らの本来住んでいる世界です。むさぼらない。へつらわない。お金はなくてもいいし、あっても構わない。そこに執着をつくりません。人間は生まれるも死ぬも裸一貫。一枚の服、ひとつの器を持っていることだけで自然界では特別なことです。そこから考えれば、私たちはすでに十分すぎるほど所有しているのではないでしょうか」

 ベルリンでは、普段使わない日用品から、家や食料品まで声をかけあって融通しあうシェアリングエコノミーの考え方が浸透し、ベンツやBMWも最新の技術を使ってカーシェアリングを導入しているという。世界中が今、行きすぎた資本主義経済のその先を模索している。

「ものをわけあって大切に使う、贅沢なものは持たない、持ち寄って食卓を囲む、客人を泊める。少し前まで特別な光景ではなかったはずで す。退くには勇気がいります。しかし最小限のもので満足できる方法を知っていれば、無理なくそれができる。昔の智慧を学ぶ新しい懐かし さはむしろ楽しいものです。生まれたばかりの頃は誰もがそういった世界を経験しているからでしょう」

 Appleの設立者のひとり、故スティーブ・ジョブズも禅に傾倒していた。ジョブズはこんな言葉を遺している。――方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、最も重大な機能を除いて、本当は重要でないすべてに『ノー』を言う必要がある――

 歴史に「もし」はないが、もしジョブズが生きていたら、いずれ彼はコンピュータも手放していたかもしれない。

 道元はこう記している。

「須(すべか)らく回光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし」 

 禅はこの先の未来を指し示すことができるだろうか。「退歩」することもまたひとつの進歩なのだと認められるほど、果たして社会は成熟することができるのだろうか。それを考える前に、破滅に向かっていると知りながら、手放すことのできない自分の欲望を見つめるレッスンをしなければならないのかもしれない。

 

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