本国のフランスを中心に再評価が高まる「ナビ派」に属する画家、ピエール・ボナール。奥行きがなく、モノとモノの境界も曖昧。ぼやけた印象さえ与える、その絵画作品の"革新性"とは――

BY MASANOBU MATSUMOTO

 ピエール・ボナールは19世紀末から20世紀前半にかけて活動したフランスの画家だ。初期には「ナビ派」と呼ばれる前衛グループに所属。ポール・ゴーギャンを崇拝したこの集団は、ルネッサンス以降の自然主義的で写実的な絵画を脱却し、絵画はもちろん、ポスターなどのグラフィックや舞台美術なども手がけながら、装飾的な新しい造形表現を模索した。

画像: ほかの写真をみる ピエール・ボナール《庭の女性たち》 1890-91年 デトランプ、カンヴァスで裏打ちされた紙(4点組装飾パネル) 160.5×48cm(各) オルセー美術館 © RMN-GRAND PALAIS (MUSÉE D'ORSAY) / HERVÉ LEWANDOWSKI / DISTRIBUTED BY AMF

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ピエール・ボナール《庭の女性たち》
1890-91年 デトランプ、カンヴァスで裏打ちされた紙(4点組装飾パネル)
160.5×48cm(各) オルセー美術館
© RMN-GRAND PALAIS (MUSÉE D'ORSAY) / HERVÉ LEWANDOWSKI / DISTRIBUTED BY AMF

 ボナールは、この頃までにヨーロッパで一世を風靡していた「ジャポニスム」に傾倒。「日本かぶれのナビ」とのニックネームがつけられたほどで、屏風に通じる四曲一隻のパネル作品や、《見返り美人図》のようなポージングの女性の絵を残している。この時期の彼の作品に見られる、遠近法を無視した千鳥格子や水玉模様の平面的な描写、奥行きのない背景とモチーフの重なり合いも、浮世絵の図法にヒントを得たものだ。

画像: ほかの写真をみる ピエール・ボナール《黄昏(クロッケーの試合)》 1892年 油彩、カンヴァス 130.5×162.2cm オルセー美術館 © RMN-GRAND PALAIS (MUSÉE D'ORSAY) / HERVÉ LEWANDOWSKI / DISTRIBUTED BY AMF

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ピエール・ボナール《黄昏(クロッケーの試合)》
1892年 油彩、カンヴァス 130.5×162.2cm オルセー美術館
© RMN-GRAND PALAIS (MUSÉE D'ORSAY) / HERVÉ LEWANDOWSKI / DISTRIBUTED BY AMF

 この「ナビ派」は、印象派の系譜に連なるムーブメントのひとつ、またのちの20世紀の前衛美術の先駆けとして、近年、フランスを中心に再評価されている。そうした動向もあって、“ナビ派のボナール”の人気は根強い。しかし、国立新美術館で開催中の「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」は、良い意味でそれを裏切った。「ナビ派」時代はあくまで作家の出発点とし、それ以降の作品、遺作までをまんべんなく集め、いまだに謎多きボナールの画業の全体像をていねいに紐解いている。

 実際に、 20世紀に入って「ナビ派」が自然消滅すると、ボナールはキュビスムやシュルリアリスム、ダダイスムのような前衛アートの隆盛を横目に、絵画に関する個人的な興味、関心を作品に注いでいった。コダックのカメラにハマり、“瞬間”を描くことや新しいフレーミングを模索。モチーフを目の前に見ながら絵を描くのではなく、時にスケッチや写真を使いながら、記憶を頼りに作画することにも挑んだ。そういったボナールの創作人生において、何より革新的で注目すべきなのは、展覧会のコピーにもなっている、晩年の「視神経の冒険」と呼ばれるものだろう。

画像: ほかの写真をみる 《ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール》 1906年頃 モダン・プリント 6.5×9cm オルセー美術館 © RMN-GRAND PALAIS (MUSÉE D'ORSAY) / HERVÉ LEWANDOWSKI / DISTRIBUTED BY AMF

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《ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール》
1906年頃 モダン・プリント 6.5×9cm オルセー美術館
© RMN-GRAND PALAIS (MUSÉE D'ORSAY) / HERVÉ LEWANDOWSKI / DISTRIBUTED BY AMF

画像: ほかの写真をみる ピエール・ボナール《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》 1912年頃 油彩、カンヴァス 78×77.5cm オルセー美術館 © RMN-GRAND PALAIS (MUSÉE D'ORSAY) / HERVÉ LEWANDOWSKI / DISTRIBUTED BY AMF

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ピエール・ボナール《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》
1912年頃 油彩、カンヴァス 78×77.5cm オルセー美術館 
© RMN-GRAND PALAIS (MUSÉE D'ORSAY) / HERVÉ LEWANDOWSKI / DISTRIBUTED BY AMF 

 この言葉は、ボナールが手帳に残した「絵画、すなわち視神経の冒険の転写」というメモから取られており、1984年、フランスの美術批評家ジャン・クレールは、この「視神経の冒険」をタイトルにボナールの回顧展のためのエッセイを残した。それによれば、ボナールはこのフレーズを合言葉に「見る」という知覚のプロセスと絵画の関係の解明に挑んだという。

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