バーバラ・クルーガーというアーティストは、短いフレーズを使い、ゾクゾクするほど面白く、未来を予言するような作品を作る。彼女の作品は、何を意味しているのか―― 見わかりにくいが、そのメッセージは永遠に不滅だ。彼女の紡ぐ言葉は、政治スローガンと詩の間にある境界線を曖昧にし、アメリカの広告やメディアが使う言語をハイアートの地位まで押し上げた。彼女の作品は、インターネット・ミームに右往左往させられる私たちの真の姿を映す暗い鏡の役割を果たしている

BY MEGAN O’GRADY, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

  私は、彼女の作品が存在しなかった世界をもう思い出せないのだが、クルーガーの恐らく最も有名なイメージであり、最初にいつも思い浮かぶのが《無題(あなたの身体は戦場だ)》という作品だ。偏光加工され、画像の縦半分がポジで残りがネガという、女性の顔の写真だ。クルーガーが最初にこの作品を手がけたのは1989年で、ワシントンで開催されるウィメンズ・マーチ(註:女性が人工中絶する権利を合法として守るためのマーチ)を宣伝するための街頭ポスターとして制作した。当時、ロー対ウェイド事件の最高裁判決を弱体化させるような、中絶反対派に有利な法規制をめぐり、中絶反対派と賛成派がぶつかり合っていた。彼女は、当時自らが教鞭を執っていたホイットニー美術館のインディペンデント・スタディ・プログラムの学生たちの力を借りて、夜中にニューヨーク中にこのポスターを貼って回った。1990年には、オハイオ州立大学のウェクスナー芸術センターが同じ作品をビルボードサイズ(註:屋外の広告看板の大きさ)で彼女に作ってほしいと発注した。すると作品が設置された12時間後には、中絶反対派のグループがすぐ隣のビルボードを受胎後8週目の胎児の写真で埋め尽くした。

画像: 《無題(あなたの身体は戦場だ)》。クルーガーは最初にこの作品を、1989年にワシントンで中絶の権利を守るべく行われたウィメンズ・マーチを支持するために作った。彼女の数ある作品の中でもアイコン的存在となった BARBARA KRUGER, “UNTITLED (YOUR BODY IS A BATTLEGROUND),” 1989, PHOTOGRAPHIC SILKSCREEN ON VINYL, COURTESY OF THE ARTIST AND THE BROAD ART FOUNDATION

《無題(あなたの身体は戦場だ)》。クルーガーは最初にこの作品を、1989年にワシントンで中絶の権利を守るべく行われたウィメンズ・マーチを支持するために作った。彼女の数ある作品の中でもアイコン的存在となった
BARBARA KRUGER, “UNTITLED (YOUR BODY IS A BATTLEGROUND),” 1989, PHOTOGRAPHIC SILKSCREEN ON VINYL, COURTESY OF THE ARTIST AND THE BROAD ART FOUNDATION

 さらに、今となってはどこでこの作品を最初に見たのか覚えていないが、実物を間近に見たのは、ロサンゼルスのブロード美術館でだった。ビニールの上にシルクスクリーンを貼った高さ約2.7mの作品が展示室を圧倒するように飾られていた。だが、それよりずっと以前に、私はこの作品をすでに知っていた。この作品を実際に目の前にするとまるで、トワイライト・ゾーンに滑り落ちていくようなぞわっとする感覚があった。それは2015年で、そのとき、私は娘を妊娠中だったが、ひょっとしたらそれは1989年であったかもしれないのだ。1989年当時、クルーガーの作品はポスト・レーガン時代における左派からの揺り戻し、つまり、船底の重しのような存在でもあった。

クルーガー本人がよく言うのは、自分の作品は、意見を表現するひとつの方法だということだ。だがそれだけでは、彼女の率直な主張が内包する親密さとパワーを伝えることは到底できない。彼女の言葉は、1990年代の初めに10代だった私が、芯の強い友人から何度かもらった手紙のようなものだ(「ああ、あなたがいてくれて助かった」と言いたくなるような存在なのだ)。その声は、いつしか、それまで私の成長過程において支配的な地位を占めていた父やニュースキャスター、聖職者や政治家たちの声に取って代わるようになった。そしてその声を理解するためにフーコーの著書を読んだり、美術学校に行く必要はなかったのだ。

ブロード美術館での邂逅体験から1年後、女性嫌悪を誇る人間が大統領に選ばれた。クルーガーはそのタイミングで、ニューヨーク・マガジンの表紙を飾る作品を担当した。グロテスクなまでにクローズアップされたトランプの顔写真の上に「敗者」という文字を貼りつけた抵抗の作品だ。その2年後、性暴力を告発されたもうひとりの男性が、米国最高裁判事として任命された。権威主義的な男同士の馴れ合い政治の新時代に突入したのだった。私の身体も、そして私の娘の身体も、依然として戦場だ。私たちが生まれたこの国では、避妊の手段は、いまだに、国民が受けられる最低限の医療の範疇(はんちゅう)だと認定されていない。人工中絶手術へのアクセスは30年前よりもさらに制限されつつある。

 今年はいったい何年だ? どうやら2020年のようだが、すべての時計の針が逆回転しているようだ。ここ半年の間に、公衆衛生の危機、失業危機、さらにずっと前に解決しているべきだった人種差別を巡る議論が起きた。私たちは、中絶の権利が揺さぶられた1989年だけでなく、スペイン風邪が猛威を振るった1918年、大恐慌の1929年、そしてキング牧師が暗殺され、暴動が全米で起きた1968年を再び生きているかのようだ。銅像が各地で倒され、さまざまな組織がリアルタイムで再構築されていく。どんなアートもすべて抵抗の行動だという議論があるが、アート作品を作ること自体が、どうしようもなく政治的な行為なのだ。だがブラック・ライブズ・マターの活動家たちが平和的に行進して反人種差別のデモをしているときに、大統領が自らのPR写真の撮影をするために、彼らを催涙ガスで追い払うのを見ると、私たちが、近年の歴史の中でも最も政治化された時代に生きていることは明らかだろう。

 優れたアート作品は、どれも本質的に政治的な題材を扱ってきた。ベトナム戦争への反対運動を描いた1960年代後半のピーター・サウルの絵画や、リチャード・ニクソンを痛烈に批判したフィリップ・ガストンのイラスト画『Poor Richard(かわいそうなリチャード)』などは、当時、この国に漂っていた空気感を表現したものだ。だがそんな中でもクルーガーの作品は彼女の手法を頑なに守りつつ、常に新鮮であり続けた。それが可能だったのは、権力を握っている腐敗した支配者たちに恩恵を与え、彼らを守るような政治システムが存在する限り、私たちは、過去の不正を繰り返す運命にあるのだと彼女が常に理解していたからだ。

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