印象派の時代から1920年代のハーレム・ルネサンス時代、さらにエイズ撲滅をめざす「Act Up」運動の時代など、どんな時代も、芸術家同士の友情が素晴らしい作品を生み出してきた。それだけでなく、友情は愛情の特殊な形としても存在してきた。この1年間、誰もが自宅待機生活で孤独を強いられる中、クリエイティブな者同士の絆は、親密さだけでなく、よりパワフルなものをもたらしてきた。それは「救い」だ

BY MEGAN O’GRADY, PAINTING BY WANGARI MATHENGE, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: ウィッドライン・カデットの作品《Ice Cream for Dessert on Lu’s Birthday(ルーの誕生日にアイスクリームのデザート)》(2017年) WIDLINE CADET, “ICE CREAM FOR DESSERT ON LU’S BIRTHDAY,” 2017, DISPOSABLE CAMERA

ウィッドライン・カデットの作品《Ice Cream for Dessert on Lu’s Birthday(ルーの誕生日にアイスクリームのデザート)》(2017年)
WIDLINE CADET, “ICE CREAM FOR DESSERT ON LU’S BIRTHDAY,” 2017, DISPOSABLE CAMERA

 牧師の継子であるジェイムズ・ボールドウィンは、ビューフォード・ディレイニーを父親代わりと感じ、彼の不断の努力と高い倫理観、そして勇気をお手本として仰いでいた。一方、ディレイニーのほうは、ボールドウィンの社会への深い関心や人権問題への取り組みに感化されていた。後年、ディレイニーが精神面で次第に弱っていったときにも、ボールドウィンが彼を支えたようだ。

1984年に文学雑誌『パリ・レヴュー』に掲載されたインタビューでボールドウィンが、グリニッチビレッジの街角でディレイニーと信号が変わるのを待っていた瞬間のことを以下のように語っていて、この部分は今まで幾度となく引用されている。「彼はむこうを指さして『見てごらん』と言った。私が見ると、そこには水しかなかった。すると彼は『もう一度見て』と言った。そのとおりにすると、水の上に油が浮いていて、水たまりに街が反射しているのが見えた。それは私にとって非常に驚くべき発見だった。言葉では説明できない。彼は私にものを見るということを教えてくれ、見たものをどうやって信じるかを教えてくれた。画家たちは作家に、いかにして世界を見るかをしばしば教えてくれた。そしてそんな体験を味わうと、世界がまったく違って見えるんだ」

 先入観を強く持たずに世界を見る方法を私に教えてくれた人々のことを考えてみると―― その方法とは、期待に沿うように、見たものの印象をすり替えるのではなく、自分が見たままを信じることだ―― 彼らはいつも私に本音で直言してくれる人々だということがわかる。私たちが、自分の主観にとらわれた牢獄から解放されるのは非常に稀な経験であり、それは芸術そのものとのワクワクするような出会いと似ている。他人の思考や、気の利いた言い回しや視点の中に、はっとするものを発見する瞬間だ。

アーティストたちの体験談を知ると、誰かと真にクリエイティブで親密な関係をつくり出すことは可能なのだと思えてくる。たとえば画家のサイ・トゥオンブリーと写真家のサリー・マンのことを考えてみよう。ふたりは、世代や表現分野は違えど、都会のアート界の中心から地理的に遠い、自分たちの故郷であるヴァージニア州のレキシントンに魅力を感じ、活動拠点を構えている。また、アーティストのマン・レイとマルセル・デュシャンは、最初は共通の言語を持っていなかったが、あるとき、ふたりはお互いいたずら好きであることに気づいた。

時にはそんな絆によって、文字どおり命拾いすることもある。1967年に、アメリカの画家ロバート・ラウシェンバーグは、彼の友人で協業者であり、ダンス界の星であるイヴォンヌ・レイナーが腸の病気で緊急手術を受けて入院していたデンバーの病院に慌てて見舞いに行った。彼女がやっと退院すると、彼が療養の面倒をみた。医療保険が治療費をカバーするのに十分ではないときに、友情がまさに命を救う役割を果たしたのだ。

 クリエイティブな天才は常に孤高な存在だという神話は、いまだに根強く残っているが、西洋の芸術や文学は、その多くが学校やグループや運動を通じて伝えられてきた。印象派や1920年代のハーレム・ルネサンス(ニューヨーク市ハーレム地区で花開いたアフリカ系アメリカ人の文化芸術復興運動)、そして1960年代の前衛芸術運動のフルクサスや、合同展覧会を開催したシカゴの6人の芸術家たち、ヘアリー・フーなど。さらにはLAの黒人映画製作者を中心としたLA Rebellionやエイズ撲滅のためのAct Up運動など、私たちの美意識の歴史は、時代が共有する繊細さや仲間内でしか通じないジョーク、夕食会での熱い議論や、先人たちが築き上げたものを焼き払ってしまいたいというよくある欲望に根ざしてきた。

私たちは先人たちが書き残した手紙や日記や宣言を読み、彼らがいかにして伝統をつくり上げてきたのかを観察するうちに、先人の存在が、彼らの小説や戯曲や映画の登場人物のごとくリアルに感じられるようになる。そんな偉人たちの中でも、自己信頼を提唱し、孤高の思索で知られるラルフ・ワルド・エマーソンでさえ「私たちの知的な活動力は愛情によって増幅する」と1841年出版のエッセイ『友情』で述べている。「学者は座して書き、何年かけて瞑想しても、優れた思想や幸福な表現に到達することはできないが、友人に手紙を書くことは必要だ。するとたちまち温かい思いに満ちあふれ、その思いが手を通じて言葉を紡いでいく」。

エマーソンが、彼の友人であり、トランセンデンタリズム思想(註:1830年代中頃からアメリカのニューイングランドで広まった思想。神はすべての自然と人間に宿るとエマーソンは提唱した)の仲間であり弟子のヘンリー・デイヴィッド・ソローの存在なしに、文学界に同じ足跡を残したことを想像するのは難しい。同様にミッシェルなしのロミー(註:高校の同窓会を描いたコメディ映画『ロミーとミッシェルの場合』)や、トードなしのフロッグ(註:絵本の『がまくんとかえるくん』シリーズ)、そしてライナス・ヴァン・ぺルトなしのチャーリー・ブラウンや、ルイーズなしのテルマを想像するのも難しい。

画像: シキースの作品《To Be Held(抱きしめられて)》(2021年) SHIKEITH, “TO BE HELD,” 2021

シキースの作品《To Be Held(抱きしめられて)》(2021年)
SHIKEITH, “TO BE HELD,” 2021

 原稿の締めきりが迫っているときに、仕事をする代わりに友人にメールを書いているのにふと気づくと、私はエマーソンの言葉を思い出す。芸術は、友人との会話に似て、心の中にある種の反応を呼び起こす空間をつくり出してくれる。その空間に私たちは世界と自分たちの境界線を引くのかもしれない。そして、後世に語り継がれるブロマンス(註:男性同士の、性的な関わりのない近しい関係)が主要な思想やアイデアのもとである一方、ライバル関係にあるふたりも多い。たとえばウィレム・デ・クーニングとジャクソン・ポロックや、アンディ・ウォーホルとジャン=ミシェル・バスキアなどだ。競争相手の彼らの間で交わされる知的なやりとりが、お互いを飛躍させる重要なカギとなっていたようだ。

また、最初から、周囲の誰からもアーティストになると期待されていなかった人たちの間の友情ほど、私を感動させるものはない。1957年にボストンの文章講座で出会い、のちにともに詩人となるマキシン・クミンとアン・セクストンのふたりが、子どもたちが学校に行っている数時間の間だけ、20世紀半ばの郊外に住む母親の役割から解放されて、家族に内緒で引いた2本目の電話回線を通じて、朝書き上げたばかりの第一稿を批評し合っている光景を想像するのが私は好きだ。この第2回線の電話での交信は彼女たちにとって命綱だった。受話器から聞こえてくる声が創作に欠かせない励ましだった。芸術と同様に、友情はふたりを社会の片隅にいる存在から、陽のあたる存在へと変えていく力強い機会を提供した。

それは現代でも同じだ。キャシー・パク・ホンの2020年出版のエッセイ『An Education(エデュケーション)』を読んでほしい。オーバリン大学で出会ったふたりの親しい友人について書かれている文章だ。作者を含めた3人はアジア系移民の娘で、それぞれアーティストをめざしている。彼女たちはアート界の主流である白人風の作品とは違うクリエイティブな作品を手がけようとしていた。「私たちは、何よりもまずアーティストとして扱われたいと要求した唯一の存在だった」とホンは書いている。このエッセイにはこの3人の関係が激しく移り変わるさまが描かれている。そしてそれは彼女たちの存在をかけた闘いそのものだ。

※ 掲載商品の価格は、特に記載がないかぎり、「税込価格」で表示しています。ただし、2021年3月18日以前に公開した記事については「本体価格(税抜)」での表示となり、 掲載価格には消費税が含まれておりませんのでご注意ください。

 

This article is a sponsored article by
''.