メアリー・マッティングリーが創造するのは、社会と積極的に関わり、変革をもたらすアートだ。それは絵空事のようなプロジェクトにも見えるが、現在進行形で街を住みよい方向に変えていく起爆力があり、気候災害の危機に瀕しているニューヨークの天候を好転させるかもしれない

BY ZOС LESCAZE, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

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《ウォーターポッド》は公共の埠頭に停泊するようにデザインされていたため、マッティングリーは市の許可も取る必要があった。彼女の提案は、ニューヨーク市長事務所のイベント・コーディネーションと管理を行う部署に送られた。この部署ではタイムズスクエアで開催される大みそかのイベントなどを仕切っていた。もし、プロジェクトが市内の行政5区のすべてに停泊しない場合は許可をもらえそうになかったが、そもそも停泊可能な場所を探すのは困難だった。

「どこでも適当に停泊すればいいというものではないから」と語るのは、当時、市の事務所でインターンをしていたジェシカ・セットンだ。セットンはマッティングリーが停泊場所を探すのを手伝った。5区のそれぞれの埠頭からは独特の個別の条件を提示された。当時のブルックリン・ブリッジ公園には、使われていない埠頭や、工業廃材の山や空き家になった倉庫などが点在していた。そこはまだ開発が始まったばかりで、24時間体制のセキュリティ管理が必須だった。それはつまり、もっと多額の資金集めが必要だということだ。ほかの場所では、指定された保険に加入する必要があった。すべての波止場は高さがそれぞれ違い、車椅子の使用が可能な特注のタラップが必須だった。はしけで飼う鶏は、衛生局の検査に合格する必要があり、コンポスト・トイレ(バイオトイレ)とシャワーにはほかの部署の認可が必要だった。

 何度か失敗しかけながらも(あるときは、はしけが沈没しそうになった)、ニュージャージー州の船舶業者が、月3,600ドルではしけをマッティングリーに貸し出してもいいと言った。彼女は、国際船舶コンサルティング会社の共同経営者でありエンジニアでもあるリック・ヴァン・ヘメンとともに、はしけの構造的な設計を手がけた。ヴァン・ヘメンは許可を取りつける作業の指導も含め、彼女のプロジェクト全体のサポートを担当することになった。そしてついに、マッティングリーとそのチームは、ブルックリン・ネイビー・ヤード(註:かつて海軍の造船所だった場所で、現在は多くの商業施設が軒を連ねる)で、はしけの上での居住システムを1カ月かけて準備した。広告用のビルボードを切ってジオデシック・ドームの外壁として再利用し、使用されていない貯水塔の木材を小屋の壁として利用した。寄付された資材の中には、ブロードウェイの劇場で2008年に再演されたピーター・シェーファー作の演目『エクウス』の舞台で使用された金属製の手すりもあった。マッティングリーの友人たちは、自らのアパートメントで作物を栽培して、庭を造る準備に励んだ。

 2009年の6月、《ウォーターポッド》はマンハッタンのサウス・ストリート・シーポートでオープン初日を迎えた。その後、市内5区の11カ所に移動して、同年の11月には最終地点に停泊した。見学したい人は誰でも自由にはしけに入場でき、サステナブルなシステムがどんな形で実現しているのかを見ることができる。ビールを数本持参して、はしけの住民の鶏卵と物々交換するのもありだ。「はしけの上に住むのは、最初のうちは特に大変だった」とマッティングリーは言う。配管システムは常にメンテナンスが必要で、トマトの世話も欠かせなかった。ひっきりなしに見学者が訪れる公共の場所に住むのは、管理の仕事そのものよりもきつかった(何人かの住民スタッフは「動物園の動物」になったような気分だと言った)。だが、数多くの見知らぬ人々と会話し、触れ合ったことが、この経験を「信じられないほど素晴らしいもの」にしてくれた、と彼女は言う。そして「アートにできることは何なのかという私の考え方自体をも変えてくれる経験だった」とつけ加える。訪れた人々は彼女によくこう言った。「私は美術館には決して行かないけど、ここに来てよかった」

 このプロジェクトを立ち上げたことで、マッティングリーの作品の方向性とこの先の展望が変わった。これ以降の彼女のほとんどのプロジェクトの展示場所は野外の公共スペースで、ギャラリーや美術館ではない。《ウェアラブル・ホームズ》は孤独な生存者のために考案したプロジェクトだったが、《ウォーターポッド》は、人々と力を合わせて何かを成し遂げられることの証明になった。はしけの上で24時間を過ごしたキュレーターのサラ・レイスマンは、同じ街が違って見えることに気づいた。彼女がブルックリンのアパートメントに帰宅するため地下鉄に乗り、高架の線路上から建物を見下ろしたとき、屋根の上に植物を植えることができる建物が無数に存在することに気づいた。「《ウォーターポッド》で展示されていた数々の実験を見たことで、違った生活が可能なんだと理解できた」と彼女は言う。「人生をガラッと変える経験というか、最低限、考え方を大転換するきっかけになった」

《ウォーターポッド》が、サウス・ブロンクスのコンクリート工場跡に造られた公園であるコンクリート・プラント・パークの埠頭に停泊していた間、マッティングリーは、ロングウッドやハンツ・ポイントなどの周辺コミュニティでの食料へのアクセスの難しさに以前よりも気づくようになった。ニューヨークは世界中で最も裕福な都市のひとつだが、ニューヨーク市の非営利団体のフードバンクによれば、市民のうちの160万人──さらに3人にひとりの子ども──が安定した食料へのアクセスがない状態だという。

 ブロンクスのハンツ・ポイントには、地球上で一番大きな食の卸売り流通センターがあり、約9万3,000㎡の面積の生鮮食料品市場もある。ある統計によれば、市内で消費される生鮮食料品の実に60%が、この市場を経由して食料卸売業者、スーパー、レストランなどに流通していくという。食料が生産地からこの市場に集められ、小売りへと出荷されていく。だが、この地域には、スーパーはひとつしかない。この地域の住民の多くは、肥満や糖尿病など、栄養の偏りによる身体の不調に悩んでいる。フードデザート(食の砂漠)の現象は、ニューヨークや米国内では珍しいことではなく、食料へのアクセス確保が難しい地域では、たいてい食以外の不均衡も同時に発生している。有色人種の人々が白人よりも圧倒的に多く食の不均衡を経験している事実を伝えるには、フードデザートより「食料アパルトヘイト」という単語のほうがふさわしいと主張する人々もいる。

 同じ頃、マッティングリーは、不動産開発によってコミュニティ・ガーデンを失ったニューヨーカーたちのことを耳にはさんだ。ちょうどマッティングリー自身もセリアック病(グルテン過敏性腸症)に罹患していることがわかり、食習慣の見直しを迫られていた頃だった。彼女が別の公共プロジェクトを手がける余裕ができた2016年のタイミングで、食をテーマにしようという流れになった。彼女は、臨時プロジェクトをいくつも合体させたような作品を思い描いた。かつて自然環境に囲まれていた頃のニューヨークを思い起こさせる作品であると同時に、現在の不平等を批判し、将来への警告と提言を含むようなものを作りたいと。気候問題の研究者たちは、今世紀の干ばつと穀物の不作により、大規模で深刻な飢餓と人口流動の危機が起きると予測している。ニューヨークは、今日、そしてこれから先の数十年間、どんなふうに公共スペースを再利用すれば、市民によりよい支援を提供できるのだろうか?

 そんな問いへのマッティングリーの答えのひとつが、《スウェル(湿地)》(2016年~’19年)と呼ばれる、水に浮かぶはしけの上に生えた森林だ。それはマッティングリーいわく「童話かフィクションに出てくるような」素晴らしい場所で、そこでは、摩天楼のビル群が空に向かってニョキニョキと生えて、地平線上に揺れるのを見ながら、リンゴを木からもぐことができる。それは挑発行為でもある。ニューヨーク市の公共の公園で作物を採る行為は市の条例違反なのだ。この条例はもともと、多くの人間が公園の植物を盗むのを規制するために作られたものだ。公園から植物や花や低木やその他の作物を持ち帰ると、200ドルの罰金が科せられる。市の土地ではない水上に浮かぶ《スウェル》は、記念碑的な彫刻や社会的なパフォーマンスやコミュニティづくりの合体というだけでなく、同時に、条例が適用されない法律的な抜け道でもあるのだ。また、それは市井の人々がコモンズを効果的に運営することができるという証明でもある─誰でも自由に植物や薬草を無料で収穫できる。だが、訪れた人々の中で、山ほど収穫して持ち帰る人は少なく、多くの人々はほんの少しだけ植物を持ち帰った。

画像: 《スウェル》の上の作物を収穫できる地面。2017年に撮影。ブルックリンのビル街が背景に見える MARY MATTINGLY, “SWALE,” 2016-19, AT BROOKLYN BRIDGE PARK IN 2017, COURTESY OF THE ARTIST

《スウェル》の上の作物を収穫できる地面。2017年に撮影。ブルックリンのビル街が背景に見える
MARY MATTINGLY, “SWALE,” 2016-19, AT BROOKLYN BRIDGE PARK IN 2017, COURTESY OF THE ARTIST

「《スウェル》をやりたいと強く思った理由のひとつは、《ウォーターポッド》に参加してくれた多くの人々が、彼らの地元の公園で同じような活動をしたい、植物や作物の世話をしてみたいと願っていたこと」と彼女は言う。食べ物を探して収穫することについて、彼女はこうつけ加えた。「すごく理にかなっている。新鮮で健康的な食料を得られる層と得られない層の間に、これだけ極端なギャップがある場合には特に」。《ウォーターポッド》によってマッティングリーを知ったサウス・ブロンクスの住民の中には、《スウェル》に積極的に関わった人々もいた。その中でも、ブロンクスを拠点とする非営利団体で、コミュニティの組織化と開発に特化するユース・ミニストリーズ・フォー・ピース・アンド・ジャスティスの若いメンバーたちは特に深く関わっていた─彼らはこの約470㎡の面積のはしけの建設を、ニューヨーク州のバープランクにあるハドソン川河口のマリーナで手伝った。ブロンクスやブルックリンに由来する作物をはしけに植えて、収穫するのを楽しみにしていたのだ。バナナに似たプランテン、オレガノ、ぶどうや、ハーブの一種のラベージ、ラベンダーなどがそうだ。ブロンクスのコンクリート・プラント・パークにはしけが停泊すると、ユース・ミニストリーズのメンバーたちはその運営を任された。ツアー客を案内し、はしけ上に森林のように茂る植物の世話をし、時にはダンスパーティも開催した。活動に関わった若者たちのうち何人かは、最初は冷房設備のあるオフィスでアルバイトをして夏を過ごしたかったが、このはしけで働いた経験によって物の見方が変わったとマッティングリーに語った。また、なかには、今、環境科学を勉強していると彼女に語った者もいた。

 このプロジェクトは2016年から毎年開催され、2020年の春のオープニングがパンデミックで中止になるまで続いた。その後も影響力は持続して存在している。《スウェル》プロジェクトの開始から1年後に、市の公園局の副理事だったリアム・カヴァナーは、ブロンクス・リバー・フードウェイの建設を支援した。この野外公園では作物を誰でも自由に収穫できることが、公園局によって正式に承認された。これは市内で初めてのケースだ。このフードウェイの建設は、マッティングリーの作品を、自分たちの地域の草の根運動の延長として尊重してきた近隣住民たちの啓蒙活動によって実現したといえる。「《スウェル》のプロジェクトは、多くのコミュニティ・メンバーたちがすでに何年も費やしてきた、社会正義を実現するための努力を何倍にも膨らませてくれた」と語るのは、アーティストで、パートナーシップス・フォー・パークスのシニア・コミュニティ・オーガナイザーのリーンダ・ボニーラだ。

 ガバナーズ・アイランドに設置されたマッティングリーの《スウェル・ラボ》には、都市の持続可能な食料生産の課題などに取り組む専用スペースがある。さらに彼女は最近新しい船を物色したばかりだ。それは解体されたフェリーで、このフェリーの上でなら、水上森林を長期にわたって管理できそうだ。さらに、もうひとつ、《バイオスフィア》と名付けた計画中のプロジェクトもある。これは、ニューヨークの海沿いの洪水多発地域で、海水を利用した農業ができる可能性を調査するものだ。じゃがいも、にんじん、赤玉ねぎ、キャベツやブロッコリーなどを海水で灌漑(かんがい)しても収穫できるという証拠がある。これもまた、楽観主義に基づいた作品だ。一見しただけでは、そうとは見えないのだが。マッティングリーの作品は、社会を分断する問題や弱点を可視化する。その上で、分断の溝の中から新しいタイプの生活を創り出す方法も提示するのだ。見知らぬ人々同士をつなぎ──私たちの将来に恐らく影響を及ぼすような──いまだかつて見たことのない力が彼女を触発する。そして、それは、彼女の希望の源でもあるのだ。

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