開催中の「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2023」。文化・芸術の世界に貢献する女性に光を当てるケリング「ウーマン・イン・モーション」が今年バックアップするのは、女性写真家の第一人者である石内都と、彼女が選んだ若き才能、頭山ゆう紀の二人展。作品を通して二人が交わす“対話”から、そこに写る“見えないもの”が立ち現れる

BY AKIKO TOMITA

 A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」展は、日本を代表する写真家・石内都と、次世代でのさらなる躍進が期待される気鋭作家・頭山ゆう紀の二名による写真展。「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2023」におけるメインプログラムの一つとして開催中の本展は、ケリングが“芸術や文化の分野で活躍する女性の才能に光をあてる”ことを目的に展開するプロジェクト「ウーマン・イン・モーション」の支援によって実現した。会場となったのは、三百年近く続く帯匠・誉田屋源兵衛の大正時代の大店町家の、誉田屋源兵衛 竹院の間だ。

 写真家二名による対話型のコラボレーション展示となる本展は、KYOTOGRAPHIE側から石内へ、次世代を担う女性写真家を指名し、二人展を企画してほしいとリクエストしたところからスタートしたという。石内自身は“女性写真家”という枠にくくられることを好まないが、日本の写真界が作家や言論人をふくめて男性中心だった時代から、果敢に表現者として挑んできた第一人者であることは認めざるをない事実だ。国内では1979年に女性として初めて第4回木村伊兵衛写真賞を受賞、2014年には写真のノーベル賞と称されるハッセルブラッド国際写真賞を受賞し、現在も世界中を飛び回り第一線での活躍を続けている。その石内が本展に出品したのは、代表作〈Mother’s〉。遺品の下着や口紅、靴等々を被写体に、戦中から戦後を生き抜き84歳で亡くなった石内自身の母の肖像に迫るシリーズで、2005年の第51回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家として個展を開催するために完成させた。

画像: 石内 都《Mother’s #5》 © Ishiuchi Miyako Mother’s #5, Courtesy of The Third Gallery Aya

石内 都《Mother’s #5》
© Ishiuchi Miyako Mother’s #5, Courtesy of The Third Gallery Aya

 先に〈Mother’s〉シリーズの出品が決まったことから、石内は二人展の相手は頭山ゆう紀しかいないと即決したという。頭山が出品作に選んだのは、デビュー作ともいえる〈境界線13〉シリーズ(2008)と、近年に撮りためた新作だ。

 このように、「透視する窓辺」展は世代の異なる現代の写真作家2名の作品と、歴史建造物の特異な空間というさまざまな要素が絡み合う展示でありながら、実際に展覧会場に一歩足を踏み入れると、作品と空間が一体となって迎えいれてくれているような感覚に襲われる。作品の背景や、4月15日に展示会場で開催された石内&頭山によるトークショーの発言に、この不思議な鑑賞体験を引き起こす原因を探ってみたい。

画像: 展示風景より。石内にとって、二人展は初めての経験だという。 石内 都・頭山ゆう紀 Adialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION 誉田屋源兵衛 竹院の間 ©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

展示風景より。石内にとって、二人展は初めての経験だという。
石内 都・頭山ゆう紀 Adialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION
誉田屋源兵衛 竹院の間
©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

“見えないもの”を撮る二人の写真家の共通点とは?

 石内の〈Mother’s〉は、極めて個人的な動機により撮り始めた写真だったと言えるだろう。生前にはあまり関係が良くなかったという母の、突然の他界により襲われた喪失感と向き合うために、捨てられずにあった遺品にカメラを向けたのだ。

画像: 石内都《Mother’s #57》 © Ishiuchi Miyako Mother’s #57, Courtesy of The Third Gallery Aya

石内都《Mother’s #57》
© Ishiuchi Miyako Mother’s #57, Courtesy of The Third Gallery Aya

 そして、石内の記憶にある頭山の作品との出会いは、2006年。普段は固辞するのに、その一回だけ審査員を引き受けたという写真コンテスト「ひとつぼ展」に、頭山が応募してきたのだ。その時の応募作が、本展にも出品されている〈境界線13〉シリーズ。友人の死をきっかけにして「写真の中に残された時間と存在にあらためて気づき、今を残していきたい(KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2023 図録より)」と、日常を撮った作品だ。

「残念ながらグランプリは逃したものの、私は彼女の作品こそが相応しいと思っていました。しばらく個人的な付き合いはありませんでしたが、最近になって再会したときに、頭山さんがおばあさまの介護をしていて、時間があるときに写真を撮っているという話は聞いていたんです。そして、そのおばあさまが他界されたすぐ後に、今度はお母様が急死されて、立て続けに二人の身近な女性を亡くされた。私はその間に撮られた写真は見ていませんでしたが、彼女の写真センスはとても良いと確信を持っていたので、一緒にやらないかと声をかけて、今回の展覧会に至ったんです(石内)」。

画像: 頭山ゆう紀 〈境界線13〉シリーズより ©️Yuhki Touyama

頭山ゆう紀 〈境界線13〉シリーズより
©️Yuhki Touyama

 大御所やベテランと呼ばれることを嫌い、また若手に対しても「表現者としてはライバル」と言って憚らない石内が、新作を見ることもなく二人展の相手として即決するほど信頼する頭山の写真に、いったい何を見出だしているのだろう? そのヒントが、頭山が記憶する石内の言葉にあるようだ。

「そのコンテスト『ひとつぼ展』では、審査員から必ずコメントをいただけることになっていたんですが、石内さんが『何かが写っている』と書いてくださったことを覚えています(頭山)」

「何かとは、言い換えれば“目に見えないもの”です。それが、私の意識していることと近かった。写真もセンスなんです。良し悪しというよりも、センスの種類みたいなものがあって、頭山さんには自分と共通するところが初めからあったと思います(石内)」

 頭山が〈境界線13〉シリーズとともに出展する新作は、先述の通り、祖母を介護していた期間に撮影した写真たちだ。写真学校の学生時代に2年間同居し、暗室を作らせてくれた祖母が、新型コロナウィルス感染症の蔓延していた時期に癌を発症し、頭山は仕事を辞めて介護する役目を負ったという。「祖母は家から外に出られなくなったうえに、最期のほうではせん妄の症状が激しかったんです。いろいろな幻覚が見えていたようで、『墨絵が見える』と言っていたことがありました。新作のモノクロ写真は、墨絵が見える世界を想像しながら、祖母の視点で窓の外を撮った作品です。

 カラーの風景写真は、もともとは作品にするつもりはなく、介護の合間、息抜きで外に出たときに家の周辺を撮ったもの。どうしても閉鎖的になってしまう介護生活のなかで、一人の時間、心を切り替えることができる写真が私の中で救いになっていました(頭山)」

画像: 頭山ゆう紀が出品している新作より。祖母の視線で庭を撮ったというモノクロ作品 ©︎Yuhki Touyama

頭山ゆう紀が出品している新作より。祖母の視線で庭を撮ったというモノクロ作品
©︎Yuhki Touyama

画像: 頭山ゆう紀が出品している新作より。祖母を介護していた時期、貴重な一人の時間に撮影した家のまわりの風景 ©︎Yuhki Touyama

頭山ゆう紀が出品している新作より。祖母を介護していた時期、貴重な一人の時間に撮影した家のまわりの風景 
©︎Yuhki Touyama

 石内は頭山の新作を見た時、“同じ種類の表現者”であるとあらためて確信したという。

「私も〈Mother’s〉を撮り始めたとき、作品にするつもりはまったくなかったんです。なぜ母の遺品を撮ったのかといえば、彼女がいなくなってしまったという現実を受け止めることができず、遺された物としか対話できないという、非常に切羽詰まった現実があったから。時間が経ってからようやくプリントしはじめて、さらに時をかけて他人に見せることができるようになったとき、写真がはじめて作品になる。そこまで至るにはとても時間がかかるし、簡単なことじゃないんです。頭山さんは、そういう写真に対する考え方、根本的なところが私に似ていると思う(石内)」

 一方、頭山は自身の新作について、次のように語る。

「(遺品を撮らなかったのは)石内さんがすでに撮られていたということもありましたが、遺品という物よりも、私はその人がいた場所に、(故人の)存在を感じられる気がして。だから、母が亡くなったとき、彼女がいた風景を撮りたいと思ったんです。それで、初めて母が生まれた山口県の故郷に行ってみたんですが、目の前が海だったんですよ。母は自分のことを多く語らない人だったので、そんな場所で育ったということをまったく知りませんでした。実際に行ってみることで、その景色をリアルに感じることができましたし、母を新たに知っていくような体験でした。これからもそういう景色を撮っていきたいなと思っています(頭山)」

画像: 展示風景より。頭山ゆう紀による新作の風景写真が配置された展示室。 石内 都・頭山ゆう紀 Adialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION 誉田屋源兵衛 竹院の間 ©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

展示風景より。頭山ゆう紀による新作の風景写真が配置された展示室。
石内 都・頭山ゆう紀 Adialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION
誉田屋源兵衛 竹院の間
©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

母と娘、二人の写真家、そして作品と建築
さまざまな次元の対話が交差する展示空間

 エネルギッシュに自身の表現を貫いてきた石内と、いかにも寡黙そうに見える頭山が、表現者として多くの共通点を持つことも興味深いのだが、今回の展示でもう一つ特筆すべきは、そんな二人の作品群が文字通り対話型の展示に結実していることだろう。3室からなる展示会場のうち、入って左側に位置する一室には〈Mother’s〉、そして右奥へと進む渡り廊下と奥の展示室には頭山の新作が配置されているが、入口からそのまま入ることになる中央の展示室には石内の〈Mother’s〉シリーズと、頭山の〈境界線13〉シリーズが混ぜられるようにして配置されている。そして、この中央の展示空間では、石内のアイデアがもとになった実験的な試みがなされているという。

「写真が掛けてある銀の壁は、頭山さんがおばあさまを介護しているときに部屋から撮った新作の庭の写真を拡大して貼っています。写真の上に写真を重ねて展示するという実験的な試みです。
 きっかけは、頭山さんが庭を撮影していると聞いたときに、〈Mother’s〉シリーズで最初に撮った写真を思い出したこと。母の遺品である下着を応接間のガラス窓に両面テープで貼り付けて撮ったのがはじまりでしたが、窓の向こう側にある庭が写りこんでいたんです。それが鬱陶しくて、次からは窓の外側からトレーシングペーパーを貼り、自然光のライトボックスみたいにして撮るようになりました。
 ですからこの引き伸ばしてもらった頭山さんの庭の写真に、〈Mother’s〉の写真を重ねるという演出で、初心を思い出そうと思ったんです(石内)」

画像: 展示風景より。中央の展示室に設けられた銀の壁は、頭山が庭を写した新作を引き伸ばしてプリントしているという。上に重ねるように〈Mother’s〉の作品を配置した試みには、石内のさまざまな思いが込められている。 石内 都・頭山ゆう紀 Adialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION 誉田屋源兵衛 竹院の間 ©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

展示風景より。中央の展示室に設けられた銀の壁は、頭山が庭を写した新作を引き伸ばしてプリントしているという。上に重ねるように〈Mother’s〉の作品を配置した試みには、石内のさまざまな思いが込められている。
石内 都・頭山ゆう紀 Adialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION
誉田屋源兵衛 竹院の間
©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

 そして、空間構成を考える上で、もう一つ石内がこだわったのが、もとからある空間をできるかぎり活かすということ。

「空間は、もとからあるものを無視してしまうとだめになってしまうんです。だから、今回もエアコンなど展示に関係のないものも隠さず、中央にある階段も利用することにしました。普段、この建物は帯が展示されていると聞いたので、母の遺品の中から和物を撮ったものを選んで持ってきました。長襦袢を写した大判のカラー写真を階段上に配置してみたら、この空間のための写真みたいにピッタリだった。初出品したヴェネチア・ビエンナーレの後、国内で一度展示したきりだったので、今回は3回目の披露となります。

〈Mother’s〉は、展示する空間や建物の歴史やあり様で、どんどん見え方が変わってくるんです。だから何度展示しても飽きないし、私自身、毎回とても新鮮な気分になります(石内)」

画像: 展示風景より。普段は帯が展示されているという大正時代の木造建築を使った展示室。中央の階段を活かし、〈Mother’s〉から長襦袢が被写体の大判作品を配置。本作は、国内では2度目の展示となるという。壁にかかるのは、頭山ゆう紀〈境界線13〉シリーズ。 石内 都・頭山ゆう紀 Adialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION 誉田屋源兵衛 竹院の間 ©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

展示風景より。普段は帯が展示されているという大正時代の木造建築を使った展示室。中央の階段を活かし、〈Mother’s〉から長襦袢が被写体の大判作品を配置。本作は、国内では2度目の展示となるという。壁にかかるのは、頭山ゆう紀〈境界線13〉シリーズ。
石内 都・頭山ゆう紀 Adialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION
誉田屋源兵衛 竹院の間
©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

 今回の展覧会場において、写真作品から感じとれる“目に見えないもの”。石内の発言を借りて端的に示せば、それは「死んだ三人の女たち」だろう。石内が距離を感じたまま逝ってしまった母。そして頭山が介護を引き受けた祖母と、たくさん会話はしたはずなのに自身について多くを語らなかったという母。

「写真を展示することによって、何度も、何度も、繰り返し母と出会いながら、ああそうだったのかと、わかってくることがたくさんある。そうやって理解していくと、母はどんどん私から離れていって、母と娘ではなくなり、女同士になるんです(石内)」

画像: 石内 都《Mother’s #39》 © Ishiuchi Miyako Courtesy of The Third Gallery Aya

石内 都《Mother’s #39》
© Ishiuchi Miyako Courtesy of The Third Gallery Aya

 しかし、この二人による展示空間に身を置いて、自らの母や祖母に思いを馳せない鑑賞者はいないのではないか。そして自身の子供時代、現在の親との関係、彼らが亡き後に生き続ける将来の自分にも。それはきっと、“母”というテーマが普遍的であるだけではない。作家がじっくりと時間をかけて向き合い、作品に昇華された写真が、表現として作り手から自立し、観る者たちが我が身を投影するような対象となり得えたからではないだろうか。

 「意識的に(制作には)時間をかけたいと思っています。向き合うことで、これがどういう写真なのかを理解し、客観的にも見ることができると思うから。そのプロセスはすごく大事だと思っています(頭山)」。

「写真って、はじめは非常に個人的なものとして撮るけど、作品として発表して、他人の目線が入ってきた時に、それはもう個人の問題ではなくなるんです。観る人の問題意識が反映されて、その個がどんどん広がっていく。それが、写真の一つのあり方だと思います(石内)」。

「透視する窓辺」は非常に含意のある展覧会名に思えるが、石内は次のように語っていた。

「窓辺から透視する、外に見えないものが見えてくるといった感じを表したかった。それに、ここにはいない人、もしくは空や音は現実には目には見えないけど、写真はそういうものたちを写す力があるとずっと思ってきました。この展覧会名には、そういう思いも込めています」

 二人の女性が亡き母たちと写真を通して試みた対話は作品に結実し、その作品たちが、人の歴史が積み重なる古い建造空間で出会った「透視する窓辺」展。展覧会場をあとにして心に浮かんだのは、自分がこれから先、人生の経験をいくばくか重ねた後に、もう一度この同じ展示を見てみたい、という思いだった。それがかなわぬ願いであることは分かっているが、少なくとも石内と頭山という二人の写真家が創作を続けるかぎり、彼らの作品には何度も出会うことができるだろう。

画像: アーティストトーク 対談「石内都と頭山ゆう紀の視点」は、2023年4月15日に誉田屋源兵衛 奥座敷で開催された。 PHOTOGRAPH BY EMMA KIRK MARTIN

アーティストトーク 対談「石内都と頭山ゆう紀の視点」は、2023年4月15日に誉田屋源兵衛 奥座敷で開催された。
PHOTOGRAPH BY EMMA KIRK MARTIN

画像: 石内都、頭山ゆう紀によるインタビューダイジェストはこちら youtu.be

石内都、頭山ゆう紀によるインタビューダイジェストはこちら

youtu.be

【作家プロフィール】
石内 都
群馬県桐生市生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。1979年に〈Apartment〉で第4回木村伊兵衛写真賞を受賞。2005年、母親の遺品を撮影した〈Mother’s〉で第51回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出される。2007年より現在まで続けられる被爆者の遺品を撮影した〈ひろしま〉も国際的に評価されている。2013年紫綬褒章受章。2014年には「写真界のノーベル賞」と呼ばれるハッセルブラッド国際写真賞を受賞。近年の主な展覧会・出版物に、個展「Postwar Shadows」(J・ポール・ゲッティ美術館 ロサンゼルス 2015)、写真集『フリーダ 愛と痛み』(岩波書店 2016)、個展「肌理と写真」(横浜美術館 2017)、個展「石内 都」(Each Modern 台湾 2022)、個展「Ishiuchi Miyako」(Stills エディンバラ 2022)、「六本木クロッシング」(森美術館 東京 2022)などがある。作品は、東京国立近代美術館、東京都写真美術館、横浜美術館、ニューヨーク近代美術館、J・ポール・ゲティ美術館、テート・モダンなどに収蔵されている。

頭山ゆう紀
1983年千葉県生まれ。東京ビジュアルアーツ写真学科卒業。生と死、時間や気配など目に見えないものを写真に捉える。自室の暗室でプリント作業をし、時間をかけて写真と向き合うことで時間の束や空気の粒子を立体的に表現する。主な出版物に『境界線13』(赤々舎 2008)、『さすらい』(abp 2008)、『THE HINOKI Yuhki Touyama 2016−2017』(THE HINOKI 2017)、『超国家主義−煩悶する青年とナショナリズム』(中島岳志 著、頭山ゆう紀 写真/筑摩書房 2018)がある。

【展覧会INFORMATION】
KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2023
「A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama | 透視する窓辺」展
With the support of Kering’s Women In Motion
会期:~5月14日(日)
会場:誉田屋源兵衛 竹院の間

公式サイトはこちら

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