日本にル・コルビュジエの作品はたったひとつしかない。だが、日本のモダニズム建築の多くは、ル・コルビュジエから始まったと言っても過言ではない。そこには、ル・コルビュジエの思想と日本人のアイデンティティとを融合させようとした建築家たちの苦闘の歴史が刻まれている

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY ANTHONY COTSIFAS, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 前川やそのほかのモダニズム建築家がまだ何の作品も発表していない頃から、建築界にはこうした不安がすでに見てとれた。1929年、月刊建築誌『国際建築』は2号連続でル・コルビュジエの作品に関する特集記事を組んでいる。5月号にはル・コルビュジエに関する記事が15本も掲載され、6月号では英語圏の評論家やル・コルビュジエ自身の著作の邦訳など11本の記事が紹介された。

ル・コルビュジエは当時、新進気鋭のモダニストとして建築理論(1929年時点では未邦訳)を発表して注目を集めていた。また、パリのアトリエを拠点にして発表した建築作品は、比較的規模は小さいものの世間をかなり当惑させるものだった。ほかのモダニズムの建築家同様、ル・コルビュジエは建築技法をいくつかの主要な要素にまで単純化しようとしていた。ル・コルビュジエが建築にもたらしたその革新的な変革は、彼の設計した建築物にはっきりと表れている。

なかでも、パリ郊外の〈サヴォア邸〉(1928〜1931年建設)では、ル・コルビュジエの提唱する「近代建築の5原則」が完璧な形で具現化されている。中央の空間を建物の荷重を支える構造から解放した(その結果、構造のための壁を考えることなく自由に部屋を配置できる)「自由な平面」(フリープラン)で、コルビュジエは鉄筋コンクリートの柱梁構造による優れた技術をダイナミックに披露した。彼の圧倒的に明快な主張、印象的な名言をちりばめた魅力的な文体、そしてすでに世界的に勢いを増していたモダニズムの波によって、日本の新世代の建築家たちにコルビュジエが与えた影響は計り知れないものだったろう。

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ル・コルビュジエの設計した〈国立西洋美術館〉の内部

 とはいえ、その影響は、圧倒的な矛盾を抱えた状態でしか感じられない類のものだった。建築家の谷口吉郎は、ル・コルビュジエを受け入れる日本人建築家の内心をわかりやすく説明した。「このル・コルビュジエという男は自分の心をわしづかみにし、圧倒して離さない。それはいったいなぜなのか?」――彼は『国際建築』のシンポジウムへの寄稿でこう自問している。谷口のこうした反応は、その後、数年間の日本のモダニズム界を特徴づける深い矛盾を示している。すなわち、当時日本の建築家たちには、世界的に建築のモダニティとみなされているものを採り入れたいという思いと、漠然とながら一般に「日本的なもの」をにじませる手法や、木の梁や勾配屋根といった伝統的な日本の建築技法など、日本的であると広く考えられてきた感覚を失いたくないという相反する気持ちがせめぎ合っていたのである。

こうした「日本的なもの」を巡る論争自体が、ある意味で西洋から持ち込まれたと言ってもいいだろう。そもそも19世紀半ば頃から、ヨーロッパの印象派、アールヌーヴォーのアーティストや建築家のあいだでは、葛飾北斎や歌川広重の木版画や屛風、象牙の薬箱など、日本のモチーフを採り入れた「ジャポネズリー」と呼ばれる日本趣味が流行していた。そうした西洋の流れを受けて、「日本的なもの」に対する日本人自身のイメージも変容してきた。建築家の磯崎新が自著『建築における「日本的なもの」』の中で指摘したように、日本趣味を形容するのはたとえば「単純さ」「素朴さ」「純粋さ」「軽さ」「しぶさ」であり、それが「日本的なもの」の指標となっていた。磯崎は続ける。「それが『日本的なもの』だと認定されるようになったのはそんなに古いことではない。(中略)いいかえると、近代建築は『日本的なもの』という問題構制を組みたてながら、日本にはいってきた」

 ル・コルビュジエはインドの都市チャンディーガルの都市計画マスタープランの立案に携わり、その模倣者たちがカンボジアやスリランカでも彼のビジョンを追求したが、最も積極的にコルビュジエイズムを採り入れようとしたのは日本だった。ル・コルビュジエの人を惹きつける魅力は、同時に、人をはねつける部分でもある。それは伝統から切り離された形式主義や、設計の再現性、その時代の技術革新を建築で見せる決意といったものだ。日本の建築を考えるとき、ル・コルビュジエは必ずしも最初に思い浮かぶ名前ではない。だが、日本のモダニズム建築の軌跡を理解するうえでは、ル・コルビュジエは最も重要で象徴的な建築家だと言えるかもしれない。

 

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