うとまれ、邪魔者扱いされてきた「雑草」たちが、いまにわかに注目を浴びている。皿の上からフラワーアレンジメント界まで席巻する、雑草の魅力とは

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPHS BY GUIDO CASTAGNOLI, FLOWERS STYLED BY MARY LENNOX, TRANSLATED BY NHK GLOBAL MEDIA SERVICE

 雑草がにわかにバラや蘭と同格に扱われるようになり、いつの時代も人気のシャクヤクやラナンキュラスと同じようにもてはやされているのは、昨今の政治的混乱と並行して、伝統的なヒエラルキーが覆されていることの表れなのかもしれない。思想家のラルフ・ワルド・エマーソンは、雑草とは「その美点がまだ発見されていない植物」だと言ったが、雑草という呼称自体、すでに軽蔑的な意味合いを含んでいる。アメリカの詩人ルイーズ・グリックは1992年の「ウィッチグラス」という詩の中で、題名となったこの雑草の視点から、目の敵にされ、根こそぎにされる者の気持ちをつづっている。

わたしがそれほど憎らしいなら
名前などつけることはない
それとも必要なのか?
けなすための
新しい言葉が
世の中の悪のすべてを
ひとつの種族のせいにするために

 痛めつけられ、ぼろぼろになりながらも決してくじけることのない植物が今こうして人々に受け入れられていることは、周到に完璧に仕上げられたインスタグラム投稿や、作家で活動家のマイケル・ポーランが「性と死を除去した自然」と呼ぶ、非の打ちどころなく刈り込まれた芝生のような、一点の汚れもなく整えられたものに対する人々の不信感を示唆してもいる。

「これは恐れを知らない負け犬たちの物語なのです」と言うのは、NY在住のフローラル・デザイナー、エミリー・トンプソンだ。彼女のアレンジメントは、ひとつの物語を思わせる。そこには意外な出会いがあり、イラクサ、ゴボウ、トウワタ、野ぶどう、ガマなどの好戦的なキャラクターが登場する。彼女は「均一さと優れた性質を求めて改良された」品種には興味がない。それよりも、ちくちくしたトゲに触れると血が出るサルトリイバラのように、冷酷で厄介な性質の植物を好む。「雑草」というレッテルを無視して、すべての植物は平等だと主張するフローリストもいるが、トンプソンはイメージが悪いからこそ、雑草をあえて使おうとする。雑草を恐ろしい怪物とは思わないが、その“怪物的な”性質を誇張するのが好きだという。

画像: 靄のようなノラニンジンの白い花と開花後の種子

靄のようなノラニンジンの白い花と開花後の種子

 何本かの小枝を添えることで、失われた牧歌的な田園風景への憧憬をほのめかすより、雑草の侵略的な力を前面に出すほうが面白いと思うからだ。「彼らのせっかくの生命力を薄めてしまうなんて、退屈だもの」と彼女は言う。

 雑草で作られた花束には、ありのままの飾らぬ自然の気配がある。それは、「作為的でなく、人の手を介さないところで生命を育んできた草花だからこその信頼性」だとトンプソンは言う。昨今、どこでどのように作られた食材なのかが何よりも重視されるようになった料理の世界でも同様で、皿にのせられた雑草たちはいかにも本物の自然らしさを醸し出している。

「“雑草”なんて存在しないと私は思っています」とデンマーク生まれのシェフ、エスベン・ホムボー・バングは言う。彼はオスロにあるレストラン「Maaemo(マエモ)」で、ノルウェーの森林とフィヨルドの調和を表現した料理を生み出している。「野生のタンポポは、白トリュフと同じくらい珍重されていますよ」とバング。

 NYにある人気の和食レストラン「Shuko(シューコ)」のシェフ、ジミー・ラウは、子どもの頃は中国の福建省で母親と野草を摘んでいたが、今は食材を求めてセントラルパークを歩き回っている。口に入れるとラディッシュのようなぴりっとした味がするナズナ。木の実のような風味のハコベ。ワームウッド(ニガヨモギ)の親戚のヨモギは、少し苦みのあるさわやかな味わいだ。オッタチカタバミはほのかにライムのような香りがあり、イタドリの筒状のシャキシャキとした茎はルバーブのようにみずみずしく、酸味がある。これらの食材は酢の物や天ぷら(その黄金色の軽やかな衣から、雑草の輪郭が透き通って見える)になって、195ドルもする「Shuko」の懐石料理のメニューに採り入れられている。

 ところで、イタドリという雑草は、(イタドリを主食とする昆虫が存在する日本以外の地域では)手に負えない災い、凶悪犯として恐れられている。家の裏庭にイタドリが芽を出そうものなら、土地の資産価値は下落してしまう。あたり一帯に生い茂り、野放しにしておけば周辺の植物をいっさい駆逐してしまうからだ。だが、単純に抜いて捨ててしまうのはもったいない、と「Maaemo」のホムボー・バングは言う。「こんなにおいしいんだから、食べたほうがいいでしょう?」

 

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