手に触れ、その香りをかぐ。そのとき、薔薇は薔薇として、より美しく鮮烈に人の心に花開く。日本でしか作り得ない新しい花の姿を追求する実験的なファームを、初秋の琵琶湖畔に訪ねた

BY MICHIKO OTANI, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

 創業者である亡父が薔薇栽培を始めたのは、1965年。少年時代から京都の市場へ付き従って通ったという國枝さんは、長じて兄とともに就農し、切り花の生産に励んだ。ヨーロッパで育種、交配の技術に触れて興味を抱き、独立したのは2003年。それからはもっぱら新品種の開発、生産に注力している。「私は長男ではないので、後継者というよりは家業を手伝うというかたちでこの仕事に入りました。しかし、続けていればいるほど、やはり自分の居場所がなかなか見つけられないと感じていて......。この仕事で自分の特色を出す方法が何かないだろうか? と考えたとき、当時はまだ日本で少数だった品種改良をやってみようと思い立ったんです」

画像: 可能性を秘めた種が育まれる育種テントの中

可能性を秘めた種が育まれる育種テントの中

 確かに、國枝さんの作る薔薇は、薔薇のイメージに納まりきらないほど個性的だ。いわく、「薔薇らしくない薔薇」。なかには、交配や成長の過程で別の色の斑点が花弁に表れた突然変異種もある。花の形状や状態、長さなどに至るまで厳格な規格のある一般の花市場では、「まず取り扱われない。絶対にはねられます」と國枝さん。しかし、その個性を尊重し、育てた一輪一輪が人を惹きつけ、じわじわとファンを増やしているのだ。

「一般的に薔薇は気持ちを高ぶらせる花という印象があると思いますが、うちの花は、逆に、“癒やしの薔薇”だと。疲れて仕事から帰ったとき、一輪でも咲いていれば、それを眺めるだけで癒やされるという声を、よくいただきます。もちろん私も、最初は生産性などを重視して品種改良をしていました。でも、多くのほかの花が薔薇を目指して品種改良をしている中、だったら逆に薔薇らしくない薔薇を作りたいと思った。もうずっと、自分の好きな薔薇しか作っていません。はっきり言って、趣味の園芸です」

画像: (写真左)「本当は自分の名をつけようと思っていた」と國枝さんが言う「シャルロット・ペリアン」は、フランスの建築デザイナーの没後20年を記念した花。形状、大きさ、香りの三拍子が揃った、現時点での最高傑作と胸を張る (写真右)「プリンセス・マサコ」は、天皇、皇后両陛下のご成婚時に献上した薔薇。シャンパンゴールドの花弁と華やかな香りを持つこの花を、雅子さま自らが選ばれたという

(写真左)「本当は自分の名をつけようと思っていた」と國枝さんが言う「シャルロット・ペリアン」は、フランスの建築デザイナーの没後20年を記念した花。形状、大きさ、香りの三拍子が揃った、現時点での最高傑作と胸を張る
(写真右)「プリンセス・マサコ」は、天皇、皇后両陛下のご成婚時に献上した薔薇。シャンパンゴールドの花弁と華やかな香りを持つこの花を、雅子さま自らが選ばれたという

 美しく個性的に咲くだけでなく、和ばらは市場に出てからの花もちのよさにも定評がある。その秘密は、その生い立ちに起因するようだ。國枝さんの持っているもうひとつの温室は、おもに新たな種を生み出す育種のための農場。交配と品種改良の最前線であるそこは、伸び放題に伸びた葉や茎、蔓が絡まっていて、一見、荒野のようだった。

「水も肥料もほとんど与えません。ほったらかしの、過酷な環境です。でも、こういう場所に置かれることで、薔薇は子孫を残そうと必死になって種を残す。ここでできた種から生まれた薔薇は病気に強く、もちもよくなります。薔薇は自分で考える。そのことを大事にしたいんです。過保護に肥育するのではなく、自分の力で生きようとする、そういう薔薇を作りたい。栄養がなければ、自分で根を伸ばしていけるような」

画像: (写真左)ピンクの薔薇の中に現れた突然変異種 (写真右)花が散ったあとの花房。成熟し、ここに種が宿る

(写真左)ピンクの薔薇の中に現れた突然変異種
(写真右)花が散ったあとの花房。成熟し、ここに種が宿る

 温室の一隅で一輪、凜と咲く花があった。「これから親になる薔薇。名前はありません」と國枝さん。名もない薔薇から、独自の名と個性をもつ薔薇が生まれる。美しく強靭な花の姿に、ふと、人間の一生を思った。

 

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