建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞した磯崎 新。磯崎なくして今の現代建築はなかったと言わしめるラディカルな先駆者が建築界にもたらした“事件”とは?

BY JUN ISHIDA, PHOTOGRAPHS BY TAKASHI HOMMA

 80年代の磯崎を知る人物の一人が、1983年から’90年にかけて磯崎新アトリエに勤務した青木淳だ。入所当時、スタッフのほとんどは磯崎にとって初の国家的プロジェクトとなるつくばセンタービルの計画に忙殺されていたという。青木が所員時代に担当した主なプロジェクトは水戸芸術館(1990年)。水戸に文化施設を造りたいという市長の強い思いから始まったプロジェクトであり、磯崎も真摯に向き合っていた。「基本的に磯崎さんは、クライアント思い。クライアントとの話を徹底的に掘り下げるのですが、一度全部忘れる、切断するんです。そして忘れることで、結果として応えられる。施主が言語化できない無意識の欲望を実現するのですが、それには飛躍が必要で、それが磯崎さんの場合は切断なのでしょう。論理的に導き出された答えではなく、よくわからないけれどうまくいく。それを成し遂げられるのが磯崎さんの魔法であり面白いところですね」

画像: 1990年に開館した水戸芸術館。シンボルタワーはDNAらせんを描く ART TOWER MITO, PHOTO COURTESY OF YASUHIRO ISHIMOTO

1990年に開館した水戸芸術館。シンボルタワーはDNAらせんを描く
ART TOWER MITO, PHOTO COURTESY OF YASUHIRO ISHIMOTO

 クライアントとの強いつながりはプリツカー賞の受賞スピーチでも感じられた。磯崎は数名のクライアントの名を挙げると、「アーキテクトを信用したクライアントがいたことで、これまでの仕事ができ上がった」と謝意を述べた。意外にも思えたこの出来事に対して、青木は幸せなパトロナージュの時代が終わったことを述べたかったのではと言う。「建築家を信頼して依頼するクライアントが存在した時代、建築は人間のために行う仕事でした。しかし今やそうしたパトロンはいなくなり、人間不在のところでシステムが自動運転している不毛の時代になりました。その中で、もう一度、人間が何かしなければお終(しま)いなのではと、磯崎さんは言いたかったのではないかと思います」

 2000年代に入ると、磯崎の主要なプロジェクトの地は、急速に開発の進む中東と中国へと移る。特に中国では都市計画を多く手がけ、その中には国家規模のものも含まれる。都市工学者である羽藤(はとう)英二は、磯崎とともに中国で都市設計のプロジェクトを手がけるコラボレーターだ。「中国の省は日本だと県にあたりますが、人口だけ見ると一つの国に値する規模です。彼らは統治するのに必要な物語を求めていて、磯崎さんはテクノロジーや歴史などさまざまな方面から揺さぶりをかけ、物語を提示してゆく。彼は、都市や国家のビジョンを描くことのできる世界でも稀有な建築家だと思います。師である丹下さんは20世紀後半の日本における国家建築家でありテクノクラートアーキテクトでした。資本の力が強くなり国家建築家であることが難しくなった時代に、そうした薫りのする唯一の人が磯崎さんです」

画像: 磯崎が最も好きな作品と言うスペインのア・コルーニャ人間科学館(1995年)。船の帆を思わせる外観が特徴 DOMUS: LA CASA DEL HOMBRE, PHOTO COURTESY OF HISAO SUZUKI

磯崎が最も好きな作品と言うスペインのア・コルーニャ人間科学館(1995年)。船の帆を思わせる外観が特徴
DOMUS: LA CASA DEL HOMBRE, PHOTO COURTESY OF HISAO SUZUKI

 現在、羽藤は中国で進む新しい都市計画にも参加している。磯崎が構想する新たな都市は、彼が世界のデジタル化が本格的になる前から唱えていた“ハイパーヴィレッジ”としての都市を具現化したものとも言える。「100年続いた“Home to Office”を規範とする都市構造は次の世紀に向けて確実に崩れてゆき、人は居住空間に留まりながら、AIの支援を受けて自らを分人化させ、情報空間を行き交う時代へと移行しつつある。中国で構想中の新たな都市はこうした時代の都市像として、建築と交通と情報を同時に設計しようと試みたもので、ハイパーヴィレッジの一つの体現です。磯崎さんの描くスケールアウトした都市プランを現実離れしていると言う人もいますが、旧来の社会制度の中で作られた都市は確実に破綻します。今、目の前にある状況のその先に向かって都市と人類の未来を描くことこそ、今アーキテクトに求められていることだという磯崎さんのメッセージが、そこには込められているのではないでしょうか」

画像: 東日本大震災を受け、アニッシュ・カプーアと共同制作した移動式コンサートホール、ルツェルン フェスティバル アーク・ノヴァ(2013年/宮城県松島町) LUCERNE FESTIVAL ARK NOVA, PHOTO COURTESY OF IWAN BAAN

東日本大震災を受け、アニッシュ・カプーアと共同制作した移動式コンサートホール、ルツェルン フェスティバル アーク・ノヴァ(2013年/宮城県松島町)
LUCERNE FESTIVAL ARK NOVA, PHOTO COURTESY OF IWAN BAAN

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