プライベートとパブリック、内と外、建築と自然といった相反する要素の関係性を探りつづけてきた藤本壮介。彼は現代建築界の傑出したコンセプチュアルアーティストだ

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY BENJAMIN HOSKING, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 2019年6月、東京・江東区越中島の静かなエリアにある藤本の事務所を訪れた。元倉庫を見事にリノベーションした事務所は、思わず見上げてしまうほど天井が高い。彼の建築作品と同じように、壁も家具も建築模型もまばゆいほど真っ白で、合板の大型作業台だけがブロンズ色のアクセントを添えていた。その日は週末だったが、彼のアトリエはこれまでに見たどの事務所とも様子が違っていた。そこには、コーヒーをがぶ飲みし、ヘッドフォンでテンションを上げるような曲を大音量で聴き、疲れた顔でオートキャド(註:建築施工図を書くためのCAD)を操るアシスタントたちはいなかった。目についたのは、模型制作にいそしむ数人の社員だけ。藤本は子どもが生まれてから、スケジュール管理に気を遣うようになったそうだ。しかし世界を舞台に活躍する坂 茂や隈 研吾と同様に、パリにも事務所を構え、最低月に一度はそこを訪れる彼に時間の余裕があるとは言えないだろう。

 2018年にはアメリカの〈ジャパン・ハウスロサンゼルス〉で、『藤本壮介:FUTURES OF THE FUTURE(未来の未来)』という展覧会が催され、藤本の創作プロセスが披露された。ホチキスの針やポテトチップス、くしゃくしゃの紙でできた模型を並べた会場では、藤本が常々探求する、人工物、身体、自然の“狭間にあるもの”が表現されていた。彼の手にかかれば、寿司に添えるプラスチックのバランはミニチュアの風景の一部になる。発泡スチロールのキューブを乾いた小枝でつないだ模型は、人工的な環境に自然を取り込むという新しい発想を示している。展覧会のオープニングで藤本が言ったように、彼は「自然を模倣して人工的につくったものが、改めて自然に別の可能性をもたらすかもしれない」と考えているのだ。

画像: 千葉県市原市の鉄道駅前、自然の中にぽつんと建つ公衆トイレ(2012年設置)

千葉県市原市の鉄道駅前、自然の中にぽつんと建つ公衆トイレ(2012年設置)

建材として主にスチールやコンクリート、ガラスを使う藤本が、まさか食べ残しのスナック菓子を建築に見立てるはずがないと思うだろうが、実は時折そうするらしい。「突拍子もない思いつきを話したり、たわいない雑談をしたり、くだらないものを持ってきたりして構想を練ることはあります」。その発想のプロセスにはスケッチ、思考のあれこれを書き連ねること、チームによる模型制作が含まれる。『未来の未来』展で藤本は、メタファーにあふれる想像力を鮮やかに駆使しながら、〈純然たる人工物〉と自然を結びつけ、両者の境界は曖昧であることを示した。建築の本質について繰り返し問いただしてきた彼が、建築とは対立した要素の融合であることを、来場者に伝えようとする熱い
思いも伝わってきた。

 彼が6年間、社会の枠の外で漫然と過ごしていた20代の頃には、今日の成功など想像できなかったはずだ。自ら選んだ無為の日々から抜け出す最初のきっかけ、つまり彼に転機をもたらしたのはふたつのコンペだった。ひとつ目は2000年の青森県立美術館の設計競技で、ほぼ全面にガラスを使った透明な空間を提案した。優勝は逃すが見事2位に入賞する。審査員のひとりだった伊東豊雄(藤本の一部の作品に見られる曲線や流動的なフォルムは伊東のデザインに通じるものがある)は、『新建築』誌で藤本の作品を取り上げ、新世代のホープとしてたたえた。「賞金は受け取っていないし、何かががらりと変わったわけじゃないんです。でもやっと水底から水面まで浮かび上がってきた気がしましたね」。藤本はまもなく設計事務所を立ち上げ、建築家として登録した。内気な性格を克服し、メディアに取り上げてもらい、ほかの建築家たちと交流するようにもなった。

 彼を成功に導いたもうひとつのプロジェクトは、1990年代後半に、父親と同じ精神科医である、父親の友人に依頼されたいくつかの病院の設計だ。これらのプロジェクトを通じて、彼は建築を独自の比喩で表現するようになった。少年時代を過ごした家は、父親の精神科病院の敷地からわずか100メートルの場所にある。「父親も同僚の医師たちも、患者たちは“閉じ込められた病人”ではなく、“空間と自由を必要とする独立した個人”だと考えていました」。そのため病院の敷地には囲いがなく、藤本がまだこの家で暮らしていた頃には、患者たちがよく彼に挨拶をしていたそうだ。

「ある意味、そういう環境で育ったのは幸運でしたね」。病気と健康、その境界について「あちら側にいても、またこちら側に戻ってくるかもしれない」と言う。つまり、一見相容れない要素の間にある差異とは“グラデーション”にすぎないのだ。「これが私の基本的な世界観なんです」。規格外を嫌う社会から数年間ドロップアウトした彼自身の人生も、この哲学にぴったりと当てはまる。「あちら側にいても、またこちら側に戻ってくるかもしれない」という道理で、彼自身が、自由に境界線の外に行って、また戻ってきたのである。

画像: 2014年竣工、渋谷区の《表参道ブランチーズ》は、店舗、オフィスが入った複合ビル

2014年竣工、渋谷区の《表参道ブランチーズ》は、店舗、オフィスが入った複合ビル

 医療機関としては最後になる、北海道伊達市《児童心理治療施設》(2006年竣工・現バウムハウス)の設計で、彼は初めて国際的な名声を得た。背の高い24個の白い箱を丘の上に並べたような建物は、写真で見るとどこか謎めいていて不気味だ。設計図上では、中心にある複数の箱が、かすかな距離を保ちながら好き勝手な方向を向いて並んでいる。内装写真を見ると、それぞれの箱の間に、風変わりな“くぼみ”のようなセミプライバシー・コーナーがあるのに気づく。彼がこうした配置や内装にしたのは、施設を利用する子どもたちが向き合う特殊な状況をよく理解していたからだ。一般的に心理治療施設というのは、患者が生活する場所でもあるため、社会の縮図を反映した空間をつくるべきだと藤本は考えている。

「この施設では約50人の子どもが一緒に生活をするので、ちょっと隠れたい気分になることや、ひとりきりになりたいときがあるんじゃないかなと思ったんです。だから子どもたちが人との距離を思い思いに選べる空間をつくりました。時にはひとりで、時には2、3人の本当の仲良しと一緒に、時には大勢の仲間と隠れられるように」。こうして生まれたのが、自分と他人との距離を自由に保てるスペースだった。着想から施工にいたるまで、藤本は開放的な空間と閉鎖的な空間のバランスを絶え間なく吟味し、開放してもプライバシーが保たれる限界と、区切っても人と交流できるギリギリのところを探った(オープンオフィスを設計する建築家に採り入れてほしい観点だ)。藤本は依頼主である医師と長年の知己だったおかげで「医師の意図がよくくみ取れたし、互いに信頼を寄せ合えた」と言う。

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