これまで転地を重ねてきた展覧会プロデューサーは自己主張の強いジョエ・コロンボの家具と、現代アートの作品を組み合わせることで、パリのアパルトマンを斬新な空間に変えた。こうして彼はついに、少なくとも現時点では、我が家と呼べる場所を手に入れたのだ

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY CОLINE CLANET, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 展覧会プロデューサーで独立系アートディーラーのオリヴィエ・ルノー=クレモン(57歳)がパリからニューヨークに移り住んだのは、1988年のことだ。彼はそのとき、照明や椅子がいつの日か自分にとって大切な存在になるなんて──それも、プロとして手がけてきたアートと同じくらい──夢にも思わなかった。当時、クリエイティブな若者の多くがそうであったように、彼もマンハッタンで引っ越しを繰り返し、次々とアパートメントを替えた。所有するモノはあまり増やさず、仕事に全精力を注いだ。ブレント・シッケマとともにソーホーでアートギャラリー「ウースター・ガーデンズ」を運営し、その後ミッドタウンの「ロバート・ミラー・ギャラリー」で写真部門を任された。彼は、人々が絵画や写真や彫刻を手に入れたいと願う気持ちは理解できた。だが、テーブルや照明を欲しがるなんて、「想像したこともなかった」と言う。

 1997年、友人でフランス人ギャラリストのルシアン・テラスとふたりでトライベッカのロフトを借りることにした。そこはビジュアルアーティストでもある博識家の舞台監督、ロバート・ウィルソンの住まいであったが、彼は同じ建物内のより大きなロフトに引っ越していた。現在80歳のウィルソンは、1976年に作曲家のフィリップ・グラスと共同で制作したオペラ《浜辺のアインシュタイン》が代表作として知られる。ルノー=クレモンとテラスは、ここに住んでいたあいだ(ルノー=クレモンは2001年、テラスは2006年まで)、時折ウィルソンのロフトを訪れた。そこには、彼が長い年月をかけて収集した、幅広い年代や様式の目を見張るようなオブジェがひしめいていた。ウィルソンはとりわけ椅子が大好きで何百脚も所有しており、シャルロット・ペリアンやフィリップ・スタルクなどフランス人デザイナーが制作したものもあれば、彼自身がメタルや木材、配管チューブやネオンを使ってデザインした前衛的な椅子もあった(現在、ウィルソンのコレクションの多くは、彼が1992年にロングアイランドで設立した芸術振興機関「ウォーターミル・センター」に所蔵されている)。「あそこに住んでいたとき、デザインとビジュアルアートを区別する違いは何ひとつないことに気づいた。それが、すべての始まりなんだ」とルノー=クレモンは言う。「それと、もちろんジョエ・コロンボを見つけたこともね」

画像: 展覧会プロデューサーでアートディーラーのオリヴィエ・ルノー=クレモンが住むパリのアパルトマンのリビング。トビア&アフラ・スカルパのラウンジチェア《ソリアナ》の後ろから弧を描くフロアランプは、ジョエ・コロンボがデザインし、オルーチェが製造した《クーペ》(1967年)。コーヒーテーブルはザノッタ製で、コロンボのデザインによる特注品。ガエ・アウレンティのランプ《キング・サン》は元はオリベッティ社のブエノスアイレスにあるショールーム用にデザインされたもの

展覧会プロデューサーでアートディーラーのオリヴィエ・ルノー=クレモンが住むパリのアパルトマンのリビング。トビア&アフラ・スカルパのラウンジチェア《ソリアナ》の後ろから弧を描くフロアランプは、ジョエ・コロンボがデザインし、オルーチェが製造した《クーペ》(1967年)。コーヒーテーブルはザノッタ製で、コロンボのデザインによる特注品。ガエ・アウレンティのランプ《キング・サン》は元はオリベッティ社のブエノスアイレスにあるショールーム用にデザインされたもの

 その“気づき”のあと、いつコロンボの1960年代後半から1970年代前半の作品に遭遇したのか、ルノー=クレモンは正確には覚えていない。だが、髭をたくわえ、パイプを愛用したミラノの工業デザイナー、コロンボの大胆なフォルムと斬新なマテリアルにふれた途端、強い共感を覚えたことは確かだ。このイタリア人デザイナーが遺したカラフルな作品は、どれをとっても彼の傲岸不遜な生き様と実用へのこだわりが感じられ、そのみなぎる自信とカッコよさに圧倒された。折り紙アートのように美しく開閉するトレイがついたワゴンや、重ねてラクに収納できるように工夫された椅子は、コロンボ作品の中でも特によく知られている。「僕の目にはとてもワイルドで、いかにもイタリアらしいデザインに見えた」と、ルノー=クレモンは言う。彼はフランスの建築とインテリアに囲まれて育ったが、フランスのデザインは、各地で市民による抗議運動が起きていた1960年代後半でさえ、旧態依然としていた。だからその時代のイタリアンデザインに強く惹かれたのだ。イタリアでは、クレヨンのような明るい色を使ったものがあふれ、モダンを象徴するマテリアルであるプラスチックで成形されたものが主流になり、オズヴァルド・ボルサーニやジオ・ポンティら戦後のモダニストたちが描くすっきりとしたラインは、デザインの舞台の中央から追いやられていた。

 型破りな新世代のデザイナーや建築家たちは、イタリア人の思想にも影響を与えた。抽象表現主義の画家として活動を始めたコロンボは、抗議デモやストライキが盛んだった当時の世相を作品に反映させ、イタリアの工業デザインを大きく変えていった。クッションが入った革張りの椅子《エルダ》(1963年)や、大きさが異なる4つの円筒をビニール素材でくるんで椅子に仕立てた《チューブ》(1969年)など、彼の作品はどれも洗練されていたが、「自分は大衆の味方である」という気概がにじみ、労働者たちを勇気づけた。1971年に41歳でこの世を去ったコロンボは「モダニズムとは何かを語るのではなく、彼自身がモダニズムを体現していた」とルノー=クレモンは語る。

 ルノー=クレモンの自宅には、コロンボのオブジェとともに、チニ・ボエリやトビア&アフラ・スカルパら、コロンボと同時代に活躍したデザイナーのものも置かれるようになった。ボエリはその時代に名を上げた数少ない女性デザイナーのひとりであり、スカルパ夫妻はふたりで制作するチームだった。こうしたイタリア人デザイナーたちのオブジェは、彼の住まいを特徴づけるものになっていった。クイーンズのロングアイランド・シティで2007年に購入し、数年前に売却したロフト(広さは約140㎡)もそうであったし、パリの14区に構えた新居もそうだ。ルノー=クレモンは、パンデミックのあいだに拠点をパリに移した。現在住んでいる2ベッドルームのアパルトマンは、19世紀後半に建てられた建物の中にある。何年もかけて作品を買い集め、やがて彼はコロンボ作品の代表的なコレクターのひとりになった。特に、淡い色のシェードがついたランプ(鮮やかな色のものよりも稀少)は世界屈指のコレクションを誇る。ウィルソンが椅子に特化したのと同じように、ルノー=クレモンは照明の一大コレクションを築いたのである。

 ロングアイランド・シティのロフトは、極限までミニマルに抑えた真っ白な空間だった。オブジェが少しだけ置いてあって、それらがフューチャリズムの不気味なオーラを放っていた(ルノー=クレモンは所有する作品の多くをストレージで保管している)。だが、パリの新居ではイタリアンデザインのオブジェとミニマリスト作家によるコンテンポラリーアートが組み合わされ、前の住まいとは表情が異なる。このアパルトマンは、床がヘリンボーンの寄せ木張りになっていて、リビングには3つの高いアーチ窓があり、気持ちのよい陽光が降り注ぐ。こうした環境に置かれると、オブジェもアートも繊細で控えめな印象になる。この陽光が恋しくなったからこそ、何十年にも及んだ海外暮らしを捨ててパリに戻ってきたのだと、ルノー=クレモンは言う。今でも「ハウザー&ワース」が主催する展覧会のプロデュースなど、仕事の大半をニューヨークで行うにもかかわらず、だ。「この街のほうが、よほど暮らしやすいからね」と彼は言う。「新鮮な魚とおいしいバゲットが、どこでも買える。ニューヨークで生活するには膨大なエネルギーが必要で、それがイヤになったんだ」

画像: エントランス。アンジェロ・コルテシとセルジオ・キアッパ=カットーが制作したランプ《アンゴロ》

エントランス。アンジェロ・コルテシとセルジオ・キアッパ=カットーが制作したランプ《アンゴロ》

 ルノー=クレモンは、展覧会のプロデュースを通じてあることを学んだ。それは、徹底的に考え抜かれた空間にも、なんらかの驚きがなければダメだということ。自身の住まいも、エントランスに更紗のカーテンをあしらい、いわゆる“おしゃれなフランス流アパルトマン”とは一線を画すような佇まいにした。このカーテンはオブジェの背景という役割を担っていて、アンジェロ・コルテシとセルジオ・キアッパ=カットーが共同で制作した鏡張りのフロアランプ(全長約152㎝)を引き立てている。一方で、アラバスター調の淡い色に塗られたリビングは、もっと人間味が感じられる空間だ。スカルパ夫妻がデザインした、白い革張りの座面の低いラウンジチェア《ソリアナ》やコロンボの鳩羽色の椅子《エルダ》が、同じくコロンボのコーヒーテーブルを囲んで配置されている。そのテーブルの上にあるランプは、ガエ・アウレンティが家具ブランド「カルテル」の依頼で1967年にデザインした《キング・サン》。透明なアクリルと白いアルミ材が使われている。隣接するダイニングには、コロンボが家具ブランド「ザノッタ」のためにデザインしたオーダーメイドのダイニングテーブル(1968年)が置いてあり、その端にはメタルスピンドルで作られた、彫刻と見まがう椅子が鎮座している。かつてジョン・F・ケネディ国際空港内のザイール航空のラウンジに飾られていたものだ。ホワイトラミネートとシルバーを組み合わせたサイドテーブルは、ドイツ人デザイナーのホルスト・ブリューニングが制作したもので、その上の壁に掛かっている長方形のガラス彫刻は、ミッドセンチュリーのキネティック・アーティスト(動く立体作品を作る作家)、アドルフ・ルターによる1970年の作品だ。キャビネットの引き戸を開けると、コロンボがデザインしたドリンクグラスがひしめいている。数十個を誇るコレクションの中には、パーティ客が片手でタバコとカクテルを同時に持てるようにデザインされた、かの有名なグラスセットも含まれている。

画像: ダイニング。壁のガラス彫刻はアドルフ・ルターの作品(1970年)。ホルスト・ブリューニングのサイドテーブルはキル・インターナショナル製。セルジオ・アスティのカラフェ(水差し)はアルノルフォ・ディ・カンビオ製。テーブルの上には、ジャン=ミシェル・オトニエルのランプ(2020年)とマルセル・ワンダースの彫刻(1990年代)も

ダイニング。壁のガラス彫刻はアドルフ・ルターの作品(1970年)。ホルスト・ブリューニングのサイドテーブルはキル・インターナショナル製。セルジオ・アスティのカラフェ(水差し)はアルノルフォ・ディ・カンビオ製。テーブルの上には、ジャン=ミシェル・オトニエルのランプ(2020年)とマルセル・ワンダースの彫刻(1990年代)も

 所有するコレクションが、ボザール様式(註:ヨーロッパ古典様式)の建築に合わせて選んだ調度品となじんでいるように見えるのは、ルノー=クレモンの審美眼が確かであることの証しだ。リビングの壁面のひとつを飾る、緑一色の抽象的なカラーフィールド・フォトグラフィー《Green Screen #1》(2003年)は、ボストン生まれのアーティスト、リズ・デシャンの作品だ。この、つやつやした表面から何かがあふれ出てきそうな作品がモノクロームのリビングに置かれているのは衝撃的だ。2016年に「ポーラ・クーパー・ギャラリー」でデシャンとソル・ルウィットの二人展が開催されたが、ルノー=クレモンはその実現に一役買っている。

画像: 仕事部屋。テキスタイルはブラジル人現代美術家、ノルベルト・ニコラの作品(1980年頃)。デスクランプと2脚の椅子は「BBPR」

仕事部屋。テキスタイルはブラジル人現代美術家、ノルベルト・ニコラの作品(1980年頃)。デスクランプと2脚の椅子は「BBPR」

 彼の仕事部屋を見ると、やはりすべてがしっくりと収まっている。机は、ミラノの建築家集団「BBPR」がオリベッティ社のために制作した、1950年代後半のものだ。照明は、稀少性の高いものが何点か置いてあり、そのひとつがチェーザレ・レオナルディとフランカ・スタギというふたりのイタリア人アーティストが1971年にデザインした、伸縮自在のフロアランプだ。さらにこの部屋には、ニューヨークを拠点に活動するコンセプチュアル・アーティスト、ロニ・ホーンのディプティク(註:二連のパネルで構成される作品)と、ブラジル人の現代美術家ノルベルト・ニコラの色鮮やかな壁掛けのテキスタイル作品がある。

 オブジェもアートも、まるでこのアパルトマンに合わせて買い揃えたように見えるが、ここを終ついの棲家にするつもりはないと、ルノー=クレモンは言いきる。彼にとって引っ越しは、次の“展覧会”を企画するチャンスなのだ。作品のまだ見ぬ魅力が引き出されるような新しい見せ方を考えるきっかけになる。今の場所にいつまで住み続けるのか、次にどこへ行くのか、自分でも見当がつかないという。「ひとつの空間に、自分という人間を丸ごと招き入れる。一定の時間がすぎたら、すべてをイチから作り直すタイミングが訪れる」と彼は語る。「まさにそれこそがアートの本質。同時に、人間が生きていく力の源でもある」

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