BY KURT SOLLER, PHOTOGRAPHS BY JOSH ROBENSTONE, TRANSLATED BY KANAE HASEGAWA
軽井沢はしばしば「東京の奥座敷」と呼ばれる。というのも、東京から新幹線で北西に向かうこと1時間で着くこの土地には、夏の暑さを逃れるために都心から人がやってくるのだから。避暑地に別荘を持つ企業のエグゼクティブや官僚たちにとって、軽井沢はニューヨークでいうハンプトンやマリブのような存在だ。ただ、海辺ではなく、ここ長野県の山岳地帯は、天然温泉とうっそうとした森林で知られている。とはいえ、軽井沢を目指すのは日本人だけではない。ここ十年の間に、ビル・ゲイツが邸宅を建設中と報じられ(ゲイツ財団は否定しているが)、1970年代にはジョン・レノンとオノ・ヨーコが、ヨーコの家族の別荘があったこの土地で何カ月も過ごすことがあった。こうした軽井沢の発展の礎を築いたのはカナダのキリスト教宣教師団で、1880年代から彼らによって幾何学模様のステンドグラスが壁を彩る教会がいくつか建てられた。
そうしたカラフルで100年以上経たステンドグラスから影響を受けて作られた一枚のパネルが、軽井沢の住宅の一階にあるバスルームの壁にはめ込まれている。家の主は建築家のテレンス・ウガンとインテリアデザイナーのエド・ウン。2人は、公私ともに長年のパートナーであり、1999年、香港にデザインオフィスAB Conceptを設立している。彼らは軽井沢に移住してきた最も新しい世代にあたる。50代の2人はこの数十年の間に、フォーシーズンズやシャングリラといったホテルからの依頼で、絢爛豪華なラウンジやレストランの内装をアジアおよびヨーロッパ中で手がけたことで名声を得てきた。それこそ、パンデミック以前にはミーティングのために世界4都市を毎週のように移動していた。「地上に降りると、かなりうれしかったですね」とウンは言う。しかし、香港が都市封鎖(ロックダウン)されると、2人は浅間山のふもとに建つ、2018年に購入していた別荘を拠点に仕事を回してみることにした。
それまでにも2人はたびたび日本で仕事をしてきた(現在、彼らのオフィスはリッツカールトン東京の改装を手がけている)。それでも、2人とも日本に腰を据えるとは想像すらしなかった。しかし、その後3年の間に、香港のマンションを手放し、台北の住まいを売り払い、浅間山のふもとの別荘に隣接する、売りに出されていた最後の土地を購入した。それは約4000平方メートルほどの土地で、生い茂るサクラやマツ、針葉樹などが季節によって新緑、金色、グレイと輝きを放つ。2人はいつかリタイヤ後の暮らしを送る場所として、雪深いニセコ、湖に臨む箱根など、日本各地を検討していた。それまで何年も華やかさと煌びやかさを打ち出してきた2人だが、自分たちのための“超静謐”な場所を作ることができるのは、結局は軽井沢だったとウンは言う。
だから、感染症防止対策のための隔離期間中、餃子の包み方を学んだり、水彩画を描き始めたりする人たちがいたなか、デザイナーの2人は、930平方メートルほどの、この土地の地形を生かした4つの建物の集合体、あるいは彼らが言う“小さな村”づくりを、そこで暮らしながら楽しんでいた。完成した住宅は、近隣の山並みになぞらえたように波打つ屋根が、ウンに言わせれば「道路からは小さく見える」。なぜなら「目立つべきではないと思ったから」。それでも、背後からは違った印象を受ける。人がデザインした苔むした日本式庭園の急な斜面を、まるで倒れた積み木の塔のように、スギ材で囲った箱がなだれ落ちるように配置されている。印象的なのは張り出した9メートルほどのバルコニーだ。目に入るのは移り変わる木々の葉の色や木洩れ日の光景だけで、遠くを見渡してもほかの住居は目に入らない。
おそらく2人とも香港出身だから、日本の住宅づくりの伝統や技法に捉われることなく、その伝統と技法を取り入れようとしたのかもしれない。「どんな設計においても、デザインというものを行く先々の文化に倣う旅のように考えています」とウンは言う。「日本というのはミニマリズムだけの国ではありません。マキシマリズムの過剰さも多くあります」。取材時の5月の午後、ウンはジョージ・ナカシマがデザインした四角いウォールナットのテーブルの傍らに腰掛けている。収集してきたアンティークやヴィンテージの家具(明朝時代のコンソールテーブル、ジオ・ポンティがデザインしたサイドボード、ジョージ・ナカシマの椅子とバースツール)に囲まれ、それらはおよそ470平方メートルの母屋のキッチンと隣接するダイニングルームを埋め尽くしている。日本的な建築様式とは打って変わり、この空間はガラスドアによって2階建ての上階と遮断されている。そうすることで昼食の魚介類の天ぷらの匂いが長い廊下を伝ってリビングルームや2人の寝室まで漂ってこないようになっている。
家の中の共有部分は、ガラスの壁と、ところによっては高さが5メートルを超える傾斜のある天井によって、彼らがデザインするホテルのロビーやバーのように、居心地のよい、洞窟のような空間となっている。約8メートル四方のリビングルームは、カッシーナ社の流線形のクリーム色のソファセットと、直径3メートル近いチェコ製の白いガラスのヴィンテージシャンデリアによって、部屋の広大さとどこまでも広がる視界が一層、際立っている。これらの中には、ウガンと日本の共通点である“かわいいもの好き”を物語るぬいぐるみのような小さなオブジェや、マンガに影響を受けたアート作品、そして愉快なリスの置物が飾られた地元で鍛鉄されたストーブがあり、「どんな豪壮さも中和してくれる」インテリアと、彼らの作品集に綴られている。
住まいの配色もまたどこもニュートラルで、日本の瞑想的な生活様式を反映し、日常を忘れさせるような、どこか浮世離れしたエリアがいくつかある。ダイニングエリアのそばには畳敷きの部屋があり、ここで2人は茶のお手前の代わりにデザートを振る舞う。下の階に下り、ミッドセンチュリーの影響を受けたウンの書斎の隣には、檜風呂を設けたテラスがあり、そこから敷地内の石畳の小道を臨むことができる。そこからは、ふもとに建つ2つ目の建物も、独立した車庫も、そして3つ目の、以前は彼らの住まいであり、今はキッチンと3つのベッドルームを備えたゲストハウスになっている建物も見えない。
しかし何といっても、ほかの建物から傾斜面を10メートルほど下った場所に建つ、4つ目の建物こそ誰の目をも惹きつける。約7メートル四方の温室は、4本の細い柱に支えられて、まるで宙に浮かぶように周囲の森に溶け込んでいくのだ−−寒い季節、緑豊かな温室内の植物が、茶色になった屋外の枝葉とコントラストをなし、生命とその終焉がガラスで分け隔てられる季節を除けば。2人は毎年冬にはこの巣にこもり、ピザ窯式の炉で焼いたパイを一緒に食べながら、ここ軽井沢に行きついた多くの先達と同じように、その道のりを振り返る。「ここで暮らすことの醍醐味は自然にあります」とウンは話す。「今日は苔が青々としているでしょう。そしていつか木の葉が色づき始めて、秋の訪れを告げるんです。“それ”が美の本質です」。
▼あわせて読みたいおすすめ記事