BY ALICE NEWELL-HANSON, PHOTOGRAPHS BY SIMON WATSON, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
その日からそれほどたたないうちに、ホイットニーとアダムスは、ブリッジハンプトン村の郊外の静かな小径沿いにある、かつて園芸店があった敷地の中の、草に覆われた約8094㎡の土地を購入した。そしてセグリックとフェルナンデス・カステレイロに設計を依頼した。サイズ的には、田舎の余裕のある土地に、都会のロフトのような建物を設計してほしいと注文した。「その日から我々のコラボレーションが始まったんだ」とフェルナンデス・カステレイロは言う。「4人で一緒に打ち合わせをしながら、夕食をともにして、お互いのことを少しずつ知っていった」。彼らが育んだ素晴らしい人間関係と同様に、互いに相手を思いやった行動をし、創造性を大事にすることで、この家は形になったのだ。
ホイットニーとアダムスが唯一こだわったのは、寝室が二つあること、来客用に独立した離れを設けること、さらにスタジオが二つあることだった。セグリックとフェルナンデス・カステレイロは、夫妻のアパートと、当時ブルックリンにあったそれぞれのスタジオを訪れて、彼らが実際にどんなふうに絵を描いて生活しているのかを確かめた。「どんな建物になるのか、まだわからなかったから」とセグリックは言う。「まず頭の中で彼らが暮らす様子を思い描き、そのイメージに沿ってデザインを進めた」。彼とフェルナンデス・カステレイロは、早い時点で、たとえばアダムスが自然をこよなく愛していることに気づき、敷地内に生えている草木を極力切らずにそのまま保つことに努めた。樹齢の長いバターナッツ(日本名はクルミノキ)の巨木もあれば、鮮やかな紫色の実がついたヨウシュヤマゴボウまでさまざまな植物があり、ショウジョウコウカンチョウやウグイスなどの鳴鳥が、今ではこれらの実を目あてに集まってくるようになった。
「結局、敷地内のそれほどよくない場所に建物を建てることにしたんだ」とフェルナンデス・カステレイロは語る。「そして、もともとこの土地にあったものを大事に活かした」。つまり、約301㎡の母屋を区画の北東の端に建て、それぞれ約213㎡の広さがあるスタジオを西側にひとつと、南東にひとつ配置した。さらにアダムスのスタジオの裏側にある約60㎡の区画には、来客用の独立した簡易スイートルームを別につくった。セグリックとフェルナンデス・カステレイロが仕事で協業したのは今回がまだ二度目で、それぞれが独自に培ったミニマリストの手法を家づくりに活かした。外観の面からいうと、三つの直方体の建物の全貌をひと目見ただけで、これは紛れもなくセグリックの仕事だとわかる。大きな納屋のような建物の、なだらかなスロープ状になった屋根と壁部分には、つぎ目がなく耐久性に優れたスタンディング・シームメタルの黒い鉄製パネルを使用している。内装には、フェルナンデス・カステレイロが考案したエレガントで革新的な仕掛けが満載だ。たとえば留め金一つだけで固定されている、両方向に開く合板のドアなどがそうだ。
セグリックとフェルナンデス・カステレイロは、夫妻がアートを愛するのと同じぐらい食と音楽にも夢中であることを知り、そんなふたりの情熱が、自由に混じり合ってほとばしるような家をつくりたいと思った。そこで母屋の建物の四つの角にあたる場所に、用途別に小さな部屋をそれぞれ追加した。まず南西の角には書斎をつくり、スイス人の建築家で家具デザイナーのピエール・ジャンヌレが制作した机を置き、ニューヨーク市立図書館の分館にあるような機能性に富んだ鉄製の本棚を設置した。北西の角には、バスルームが併設されたシンプルな寝室をつくった。ニューヨーク市内のギャラリーでアソシエイト・ディレクターとして働いている29歳の息子のウィリアムが訪ねてくるときに使えるように。北東の角には同じように小さめの主寝室をつくり、自立型のバスタブを置いた。そして南東の角にはプロ仕様のキッチンをつくり、奥行きの広いステンレス製のカウンターを設置した。このカウンターは、かつてディーン&デルーカに同様の厨房設備を提供していたロングアイランドの企業から仕入れた。また、ふたりのデザイナーは、個室と個室の間をつなぐ場所に、コンクリート製の床でできた十字架の形をしたスペースをあえて残すことで空間に遊びをもたせ、さまざまな目的に応じてその場所を使えるようにした。
セグリックとフェルナンデス・カステレイロはこの空間を「広場」と呼び、この家の玄関から入ってきた客は皆、直接この場所に足を踏み入れるつくりにした。天井まで約4.8mの高さがあるこの空間は巨大で風通しがいいが、全体としては心温まる親密な雰囲気を醸し出している。その左側には、レモンイエローと濃いオレンジの色彩が映える、アダムス作の約2.4mの大きさの絵画が壁にかけられており、その先にはオリーブがかった緑色のモロゾ製のソファが置かれ、座ってくつろげる場所になっている。ウール地の素材が編み込まれた、角張った形をしたこのソファを夫妻は30年前にローマで初めて見て、そのとき以来ずっと手に入れたいと願っていた。夫妻はときには朝食もここで食べるし、特にUSオープンの試合が放映されているときは(テレビがソファの近くにある)ここが夫妻の定位置だ。だが、それと同じくらいの頻度で、来訪した客たちとともに別のソファや椅子に座って語り合っていることも多い。来客用のソファの近くにはモダンな鋳鉄製のストーブが置かれていて、夫妻が蒐集したレコードもある。自宅のあちこちに、厳選した芸術作品を何点か飾っている。たとえば、ホイットニーがマドリードを拠点とする画商と交渉し、自作と引き換えに手に入れたゴヤ作の一連のモノクロ版画などもある。また、アダムスが昔から憧れていた陶芸家のベティ・ウッドマンが、何色もの薬剤を使って焼き上げた大きな壺もある。そんな作品の数々は、夫妻が長年の間に集めたものだ。「この家は」とアダムスは言う。「私たちふたりの人生の集大成みたいなもの」
そんな中、セグリックとフェルナンデス・カステレイロというふたりのデザイナーがこの夫妻に贈った最大のギフトは、やはり、それぞれの用途に合わせて特別にしつらえた仕事用のスペースだろう。フェルナンデス・カステレイロいわく、この家の敷地は「人間と鳥と動物が共生する場所」であり――たとえば、スイミングプールには自然の濾過装置がついており、亀たちのオアシスになっている――そんな環境につくられたふたりのアート・スタジオは「それぞれの聖域」なのだ、と彼は語る。ホイットニーのスタジオは、家の裏から出て、松の木の針のような葉で覆われた小径を少し入ったところにある。一方、アダムスのスタジオは車庫に通じる砂利道を数分歩いた場所にある。道の脇にはニワヤナギが生い茂る巨大な土手があり、夏には大量の蜂がやってきて、土手の草全体がブルブルと振動するほどだ。それぞれのスタジオの内部は車庫のようなつくりで、四方の白い壁以外には何も遮るものがなく、大きな木製のテーブルの上にはブラシや塗料の缶が所狭しと置かれている。
ホイットニーもアダムスも、これまではネジで固定するランプなどの器具を必要に応じて使い、作業用の照明を工夫してきた。だが、セグリックとフェルナンデス・カステレイロは壁の一番高い場所に細長い穴を開け、そこに横長の窓をいくつかはめて日光が入るようにし、さらに照明エンジニアに相談して、天井に直接取り付ける電灯の光度をちょうどいい具合に調節した。ホイットニーは「ここで描くと、色みが鮮明に出る」と、彼が最近キャンバスの上に描いたばかりの、淡くくすんだ色を指して言った。「もしほかの場所で描いていたら、この色はたぶん使わなかったと思う」
前時代のアーティストたちと同様、彼らを含む多くの画家たちがこの地域をこよなく愛する最大の理由が、この日光なのだ。さらに、この土地に集う仲間たちの存在も大きい。昨年9月下旬のある日の午後、アダムスがポットに入ったレモンバーベナ・ティーの残りを素焼きのコップに注ぐと、この4人の仲間たちは、セグリックが持ってきた、ラベンダーがトッピングされた小ぶりのスポンジケーキを頰張った。セグリックはこの4人の間ですでにおなじみになったジョークを繰り返した。「よし、ここに住んじゃうぞ!」。するとアダムスが笑いながらこう返答する。「あなたはいつもそう言うし、スタンレーは決まって『だからドアには鍵をかけてるんだよ!』と言うんだから」。そして、セグリックとフェルナンデス・カステレイロが、すでにこの家の合鍵を持っていることを誰もが思い出し、全員で大笑いをするのだった。
▼あわせて読みたいおすすめ記事