BY MAKIKO HARAGA
イタリア北部の町マラネッロで限られた台数しか作られないフェラーリ。その“跳ね馬”を駆り、嘶かせることは、高度なテクニックを持つドライバーにしかできないし、許されない――。
スーパーカーとは無縁で、いたって凡庸なドライバーである筆者は、自分と同じ誕生日の創業者エンツォ・フェラーリには以前から勝手に親しみを感じていたが、フェラーリという車には畏怖の念を抱いてきた。ところが「プロサングエ」の試乗ツアー「Ferrari Purosangue Japan Grand Tour」に参加して、フェラーリに対する認識が一変した。
2022年秋に発表されたプロサングエは、75年を超える同社の歴史において初めて誕生した4ドア4人乗りのモデル。フェラーリらしいスポーツカーの顔と日常生活に溶け込む顔を併せ持つ、まったく新しい概念の車なのだ。4ドアを望む声は昔からあって、エンツォ自身も切望したというが、スポーツカーのパフォーマンスを損なわずに完成させることは技術的に叶わなかったという。だからプロサングエは、長い年月を経てついに実現した夢の車なのである。
プロサングエは、イタリア語でサラブレッドを意味する。その名が示すとおり、同社のルーツであるレーシングカーのDNAを忠実に受け継ぎ、その象徴であるV型12気筒エンジンを搭載している。同時に、実用性と快適さも極限まで追求されている。車高が高めで楽に乗り降りすることができ、車内は運転席と助手席のみならず後方もゆったりとしている。トランクには、小さめであれば4人分の旅行の荷物を積める。家族でロードトリップや買い物に出かけるなど、フェラーリにはそぐわないと思われてきた用途にも向いているのだ。
試乗ツアーの参加者は3人で1台のプロサングエに乗り、京都から松本を目指す旅(道中金沢で1泊)に出た。筆者が乗車したのは、深みのある艶やかな銀色のプロサングエ。初めて対面したとき、筋骨隆々とした毛並みの良い競走馬を彷彿させるシルエットに、思わず息をのんだ。インテリアも洗練の極みで、エアコンの吹き出し口にいたるまでスタイリッシュ。助手席にも液晶モニターがあしらわれ、運転席と左右対称になっているのが美しい。シートは環境にやさしく耐久性や耐熱性に優れた高級人工皮革「アルカンターラ」に包まれている。
篠突く雨のなか、ついに筆者がハンドルを握る番がやって来た。身長155cm足らず、愛車は中型でスポーツカーの運転経験は皆無である。そんな自分にこの大きくて超パワフルな車――静止状態からわずか3.3秒で時速100kmに到達する――を走らせることが(しかも土砂降りのなか)できるのか、はたしてその歓びを味わうことはできるのか……。
覚悟を決めてエンジンをスタートさせると、プロサングエは滑らかに動き出し、そのまま琵琶湖沿いの道を軽快に駆け抜けてくれた。小柄な筆者にとっても前方の視界は良好。緊張はすぐに吹き飛んで運転が楽しくなり、すべては杞憂に終わった。静かに走っていてもエンジンはフェラーリ独特の音を奏で、アクセルを踏み込むとクレッシェンドしていき、甲高い音へと変容する。
プロサングエは車両の全幅が2,028mm、全長が4,973mm、重量が2,033kgという大きな車だが、驚くほど反応が早くて鋭敏に動き、交差点もくるりとコンパクトに曲がった。安定感も抜群で、くねくねと続く道も高速道路のカーブも、巧みな制御によって難なく回ってくれた。そこにはフェラーリの最新技術があますことなく採用されているからだ。
たとえば、新たに開発された「フェラーリ・アクティブ・サスペンション・テクノロジー」。これによりボディとタイヤの動きが緻密に制御され、コーナリングの性能が最大限に引き出される。ほかにも四輪駆動に後輪操舵が組み合わされていたり、車体の動きを把握するのにダイナミックセンサーが活用されていたりする。
ドライビングモードを「アイス」に設定すればさらに制御が利いてステアリングが重くなるので、筆者のようなスポーツカー初心者は天候や路面の状態にかかわらず、最初のうちはこのモードや「ウェット」で走行すると、より安心感を覚える。
同乗者の御仁はふたりともフェラーリをご自身の手足のように操れるドライバーなので、マニュアルモードで跳ね馬を手懐け、山道のきついカーブでも高速道路のコーナーでもアグレッシブに駆る。しばしば、プロサングエの嘶きは「これぞフェラーリ」という最高潮の音域に達した。変速していくさまが助手席のモニターにもつぶさに表示され、自分も一緒に運転しているような気分を味わった。
後部座席も前列と同じくスポーツカー特有のフルバケットシートで、前後の位置や背もたれの傾斜を(ヒーターの温度も)調節できる。その反面、ふかふかのシートに身を沈めてまったりとくつろげるようには設計されていない。後ろに座っていても車の動きやドライバーの意図がダイナミックに伝わってくる。すなわち、後部座席の乗客にも「コー・パイロット」としてドライビングの歓びを共有することが期待されているのだ。
「フェラーリ交響曲」と称されるエンジン音にずっと耳を傾けているのもよいのだが、プロサングエには21個ものスピーカーが備わっている。低音を厚くしたり高音を際立たせたりなど、音の鳴り方も自分好みに変えられる。ラフマニノフのピアノ協奏曲も、コンテンポラリージャズも、80年代のロックンロールも、テイラー・スウィフトの最新アルバムも、音の粒がきれいに再現され、臨場感に満ちた立体的なサウンドとして車内全体に広がった。レーサーにならなければオペラ歌手を目指したというエンツォ・フェラーリが存命であれば、プッチーニのアリアを大音量にして聴くのかもしれない。
フェラーリが苦境に立たされていた時期をマイケル・マン監督が描いた『フェラーリ』(日本公開は2024年7月)の中盤で、アダム・ドライバーが演じるエンツォが設計中のエンジンの青写真を幼い息子のピエロに見せ、マシンのパワーとスピードが向上する仕組みを説明する場面がある。その言葉が、フェラーリの車づくりの神髄を言い表している。
「より優れた性能を発揮するモノは、より美しい姿をしているものなんだよ」
プロサングエとともに風光明媚な土地を巡る旅が終わりに近づいた頃、信号待ちのあいだにふとサイドミラーに目を向けると、映りこんだボディが筋肉質な馬の後ろ脚の付け根に見えた。
「ちっとも怖くなかったでしょう?」
そんなふうに言われたような気がした。フェラーリの長年にわたる研究の成果と最新テクノロジーが凝縮されたこの跳ね馬は、とても賢い。コアな愛好家を満足させる走りをするのは言うまでもないが、不慣れで自信のないドライバーのことも、その技量に合った走る歓びへと誘ってくれる。フェラーリを交替で運転しながら家族や友人と旅をする――。プロサングエは、そんな夢を叶えてくれる頼もしい名馬なのである。
PHOTOGRAPHS: COURTESY OF FERRARI JAPAN
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