紀元前から描かれてきた人魚に、近年登場してきた“男性版”。人間の女性と異生物とのロマンスがもてはやされる現象の意味とは

BY THESSALY LA FORCE, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

画像: ある仮装パーティで撮影されたマーマンの扮装をした男性(1968年) VERNACULAR PHOTOGRAPHY COLLECTION OF BARBARA LEVINE / PROJECT B

ある仮装パーティで撮影されたマーマンの扮装をした男性(1968年)
VERNACULAR PHOTOGRAPHY COLLECTION OF BARBARA LEVINE / PROJECT B

 古くは紀元前4世紀の中国の神話からハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話に至るまで、「人魚」は人類が共有する空想の海を泳ぎ続けてきた。人魚たちはたいてい深海の姫君として描かれ、なめらかな白い肌、脚代わりの巨大なヒレ、胸を覆う豊かな長い髪をもっている。しかし、人魚の魅力は見た目の美しさだけではない。

何世紀ものあいだ、男たちは二度と家に帰れないかもしれないことを承知しながら、大海原へと乗り出していった。そんな船乗りたちにとって人魚は、あるときは大波や荒れ狂う嵐といった危難から守ってくれる船のバラスト(重しとなる底荷)であり、あるときは海の底に引きずり込んで死に至らしめる誘惑の化身でもあった。従順さと妖しい魅力を併せ持つ人魚は、陸で待っている退屈な日常を彼らに忘れさせてくれる存在だったのだ。確かに人魚はファンタジーだが、一方で、自然界の不可思議を説明する手段として使われることもある。クリストファー・コロンブス率いる探検隊の船長が、灰色のなめらかな流線形の体をもつ哺乳類マナティがカリブ海をゆっくりと動く姿を見て人魚と勘違いしたという逸話もそのひとつだ。

 しかし最近になって、人魚の男性版がロマンスの対象として浮上してきた。その最たるものが、今年のアカデミー賞で4部門を受賞したギレルモ・デル・トロ監督の映画『シェイプ・オブ・ウォーター』だ。サリー・ホーキンス演じる、政府の極秘研究所で清掃係として働く声の出せない女性イライザは、海で捕獲された不思議な両生類の生き物に心を奪われる。“彼”はマーマン(男の人魚)というより、水かきのような指とエラをもつ沼の生物といった感じだが、イライザのかけるジャズのレコードに合わせて水槽の中でゆったりと体を揺らす姿に、彼女はすっかり魅了されてしまう。

本作は、1982年刊行で近頃復刊されたレイチェル・インガルスの小説『ミセス・キャリバン』を彷彿させる。カリフォルニアに暮らす孤独な主婦が、セクシーなカエル男――「……暗緑色の体に黒っぽい斑点があって髪の毛がないことを除けば、まるで屈強な大男のようだった」――と恋に落ちる話だ。そして、今年5月に出版されたツイッター有名人メリッサ・ブローダーの痛快なデビュー作『The Pisces』(うお座)。ある晩、ロサンジェルスのヴェニスビーチを散歩していた若い女性が出会ったのは、テオという名のハンサムなマーマンだった。テオは「尾ヒレはここから下だよ」と説明して彼女を安心させたりもする。人間と異生物との恋愛を描いたほかの作品と同様に、ふたりは悲しい結末を迎えることになるのだが、その情熱的な愛は善悪の判断を超えてすがすがしさすら感じさせる。

 現実の人間の男性は今日、女性たちからもう必要とされていないのだろうか? こうした異生物間のロマンスにおいて、女性たちは「キスされたカエルが王子さまに変身する」というおとぎ話のお決まりの結末に救われることを期待しているわけではない。さらに言うなら、彼らの愛は、今の世の中でおおいに欠けているように感じるある種の“共感”を表しているといえる。「#MeToo」運動が広がる今、こうしたフェミニズムの再生を告げる物語に触れると、私たちはこう自問せずにはいられない。「本当に危険なのは誰?」「本当の安心って何?」と。私たちが最も恐れているのは、彼らのようないわゆる“海のモンスター”ではないのかもしれない。

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