インディーズ・シネマ界を代表する女優がかつてのホームグラウンドを再訪し、あまりつつましいとはいえない生い立ちを明かす

BY AMANDA FORTINI, PHOTOGRAPHS BY SEAN DONNOLA, TRANSLATED BY NHK GLOBAL MEDIA SERVICE

画像: セヴィニーが子どもの頃よく訪れ、 今も帰省するたびに足を運ぶポスト・コーナー・ピザにて

セヴィニーが子どもの頃よく訪れ、
今も帰省するたびに足を運ぶポスト・コーナー・ピザにて

 クロエ・セヴィニーが幼少時代を過ごしたコネチカット州ダリエンは、ニューヨーク・シティから電車で1時間ほどのところにある人口2万人の裕福な町で、典型的な郊外の住宅地といえる――雪そり遊びやソフトボールの練習をし、自宅があった袋小路で近所の友達と日がな一日遊んでいた彼女は、小学3年生になるまで両親と兄のポールとともにこの町で暮らしていた。「母が朝ドアを開けてくれると私たちは出かけていって、日が暮れるまで帰ってこなかった。とにかくいつでも外に出ていたの」と話すセヴィニーは、2013年からブルックリンに住んでいる。

私たちは気温が零下3度まで下がった12月のある日にダリエンで落ち合った。その当時住んでいた家は、前庭に大きなレンギョウの木があった、と彼女は思い出す。「それが、なんていうか、私のお気に入りの場所だったの」。手入れの行き届いた芝生のある優美なコロニアル・スタイルの邸宅が並ぶ通りを車で走りながら彼女は語った。「いつもそこでのんびりくつろいでいたの、その木の下で。今思うと、それはとっても......」と言いかけて、彼女は笑い始めた。ぜんそくの人が咳をするような、腹の底から響くような騒々しい笑い声で、これから口にしようとしている言葉が、あまりにも陳腐で皮肉なものだと思ったか、まったく自分に似つかわしくないと自覚していることを示していた――「......牧歌的だったわ」

 セヴィニーのことをほんの少しでも知っている人なら、彼女がなぜ笑っているかわかるだろう。この古風な趣のあるコネチカットの町で育った彼女がいったいどのようにしてダウンタウンの“イット・ガール”となり、やがてはインディーズ映画に出演する女優となって、小説家のジェイ・マキナニーが、今や悪名高い1994年の『ザ・ニューヨーカー』誌のプロフィール記事で“世界で最もクールな女の子”と呼ぶような存在になったのかを計り知ることは難しい。その記事が世に出たのは、セヴィニーが映画デビューする直前のことだった。

物議をかもした1995年のラリー・クラーク監督作品『KIDS/キッズ』で、彼女は自分がHIVに感染していることを知るジェニーというマンハッタンのティーンエイジャーを演じた。セヴィニーはこの作品に続き、その後の10年間で最も愛された映画(『ラスト・デイ ズ・オブ・ディスコ』(’98年)、『ボーイズ・ドント・クライ』(’99年)や最も悪評を買ったもの『ガンモ』(’97年)、『ブラウン・バニー』(’16年)に出演した。その一方で、このクールな女の子は、ボウルカットのヘアスタイルから、とことんまで短くカットオフしたデニムのショートパンツまで、オルタナティブ・シックなファッション・センスのひとつひとつをパパラッチされ、まねされる女性となった。

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