日本を代表する作詞家、松本隆がシューベルトの歌曲『白鳥の歌』を日本語に訳詞。“挑みがい”があったという、その壮大なプロジェクトに寄せる思いを聞いた

BY SHOUKO FUJISAKI, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO

 いい歌には羽がある。国や時代を越えて飛んでゆく。オーストリア生まれのシューベルト(1797~1828)の歌曲もそうだ。はるか遠く日本で、今なお愛されているのは間違いない。だが、歌に描かれている情景や登場人物は、ドイツ語の霧の向こうに霞んではいないだろうか。日本語の魔術師、松本隆がその霧を取り払った。『冬の旅』(1992年)、『美しき水車小屋の娘』(2004年)に続き今年4月、日本語に訳詞した『白鳥の歌』がCDになり、三大歌曲集プロジェクトがついに完結した。

 日本語ロックの草分け「はっぴいえんど」のドラマーであり、作詞担当だった松本。その代表曲「風をあつめて」はソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』でも流れていた。バンド解散後、寺尾聰の「ルビーの指環」、松田聖子の「赤いスイートピー」などなど数えきれないヒット曲を手がけてきたことは周知の通り。そのかたわら取り組んできたのがシューベルトだ。
「例年、除夜の鐘が鳴ってから三が日までは超ヒマになるんです。ある年の正月、思いつきでシューベルトの『冬の旅』を日本語にしてみるか、と。書き始めたら止まらなくなって……。寝るのも忘れて書き続けました」

画像: 今年4月に発売された『松本隆現代語訳 シューベルト歌曲集「白鳥の歌」』¥3,000/日本コロムビア。題字は京都の書家・川尾朋子に頼んだ 公式サイト

今年4月に発売された『松本隆現代語訳 シューベルト歌曲集「白鳥の歌」』¥3,000/日本コロムビア。題字は京都の書家・川尾朋子に頼んだ
公式サイト

『冬の旅』は五郎部俊朗のテノールと岡田知子のピアノによって、『美しき水車小屋の娘』は福井敬と横山幸雄によって録音された。この2作品にはそれぞれ若者の悲恋の物語があり、ミュラーの詞で統一されていた。しかし『白鳥の歌』は成り立ちが違う。31歳で亡くなったシューベルトの死後、レルシュタープ、ハイネ、そしてザイドルの詞による遺作を楽譜出版社がまとめたものだ。

 とりわけハイネによる6曲は挑みがいがあったという。「ありえないほどきれい。詩を選ぶセンスにも秀でていたシューベルトとハイネの、天才同士の戦いを見るような作品ばかりなんですよ」。たとえば、物憂い世紀末のヴェネツィアを描いた「都市」。最後の一行、ピンポイントの光で青年の失意を浮かび上がらせるハイネの筆の鮮やかさは、訳詞を目で追いながら聞いても伝わらないものだ。
「ドイツ語にはたたきつけるようなリズムがあるけれど、日本語はなめらか。一音節で伝えられることも限られます。その違いを乗りこえて作曲家の言いたいことを歌のことばにするという仕事は、音楽を知らないとできない。幸いドイツ・リートの濃いファンの方々も評価してくれる作品になりました」

画像: 「やりたいことをやってきたから、最後まで好きなことだけやっていきたいね」と語る松本隆。ドイツ文化会館内のカフェレストラン「ボーデンゼー赤坂」にて

「やりたいことをやってきたから、最後まで好きなことだけやっていきたいね」と語る松本隆。ドイツ文化会館内のカフェレストラン「ボーデンゼー赤坂」にて

 東日本大震災後、東京への一極集中に疑問を深めた松本はいま、神戸と京都を拠点としている。『白鳥の歌』のレコーディングは昨年11月、京都コンサートホールで行われた。テノールは、2015年に『冬の旅』を再発表する際にも起用した鈴木准。「彼は妥協を許さない努力家」と信頼を寄せる。「巨瀬励起(こせ・れいき)さんのピアノも、和音をひとつ弾くだけで『この人は詩人だ』と感じられて、ファンになっちゃった。間(ま)も本当に美しいんです」。

 ジャケットのタイトル文字は京都在住の書家、川尾朋子が手がけた。天空へと昇っていくような「白」の字。そこには、松本が幾度も舞台を見たマイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」や、死後にその霊が白鳥になったというヤマトタケルの伝説に通じる“白鳥の美学”が凝縮されているという。「それは生と死のあいだにある、凜とした美学。そういえば、死してなおヒロインが恋人を守りぬくバレエ『ジゼル』もハイネの『精霊物語』が原作だった。能にも通じる幽明のあわいの世界だね」

 クラシック音楽に挑むときもポップスを書くときも、変わらない芯がある。「歌謡曲を書き始めたとき、ひとつ、意識したことがあります。本当の一流の詞というのは、予備知識ゼロでも『すごい』と思ってもらえる詞。市井の人が鼻歌でうたってくれる歌こそがすばらしい歌だと思う」

「心は海によく似てるね」という詞は、『白鳥の歌』の10曲目「漁師の娘」の一節。「あの日からやつれはて 焦がれ死にしそう 涙は心を蝕んだ毒薬」(第12曲「海辺」から)といったことば遣いも、歌の主人公たちの息づかいを身近に感じさせてくれる。「基本的に主人公の若者はどこか女々しくて、少女はいつもりりしい。松田聖子の一連の曲にも通じるかもしれない。ギリシャ神話をもとにした8曲目の『アトラス』はビートルズの『Carry That Weight』を思い出すし。ハイネの世界はもっと掘り下げてみたいな」
 若い才能にも出会いたくてうずうずしている。インタビューをすると、必ず最後に彼はこう言うのだ。「いい作曲家がいたら、紹介してね」

松本隆現代語訳によるシューベルト歌曲集
「白鳥の歌」 CD発売記念コンサート
出演:鈴木准(テノール)、巨瀬励起(ピアノ)
ゲスト:松本隆
期日:2018年 11月21日(水)14:00開演
会場:京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ
住所:京都市左京区下鴨半木町1番地26
チケット:¥5,500(全席指定、未就学児入場不可)
電話: 0570(200)888(キョードーインフォメーション)
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