映画や演劇やテレビ、そしてビジュアル・アートやソーシャルメディアの分野で、より多くのろう者(聴覚障害者)のクリエイターたちが「アメリカン・サイン・ランゲージ」を使い、手話を表現文化に組み込んでいる。彼らはそうすることで、長い間ずっと沈黙させられてきたコミュニケーションの手法を人々に伝えているのだ

BY JAKE NEVINS, ARTWORK BY CHRISTINE SUN KIM, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 このパンデミックが始まった当初、ライブ・パフォーマンスが一気にオンラインの場になだれ込んできた。耳がよく聴こえない観客のために、字幕がつけられた演劇の映像を見たザーカーには、その字幕が十分だとは思えなかった。今、多くのろう者クリエイターらは、自宅待機の時代に、期せずして生まれた神器であるオンライン会議で会話しており、その場には、手話通訳者も現地に実際に行かずにリモートでログインして参加できる。さらに、ここ数年の間に、画面上に字幕が追加される機会も増え、聴覚補助の技術も進歩した。だが、そんな技術が進歩すると、手話コミュニケーションの多くの利点が軽視される可能性もまた出てくる。ロックダウンが始まってから数週間後にザーカーと、ろう者の演劇コミュニティの数人がスティーヴン・ソンドハイムのミュージカル『スウィーニー・トッド』(1979年)を観るためにリモートで集まった。全員がソンドハイムの作品に詳しいだけに、彼らは、会話が重なり合う部分や、歌詞の多くの部分が、いかに字幕ではカバーすることが不可能かという点に気づいた。「あれはまるでソンドハイムの作品を水で薄めたような感じだった」とザーカーは私に言った。

 その後すぐに彼と、ローレン・リドロフを含む彼の友人たちが手話を使って独自の『スウィーニー・トッド』の朗読会を開いた。その試みはまるで修復作業のようだった。字幕によって失われた言葉のリズムがきちんと表現され、それが視覚ではっきり確認できたのだ。彼らはほかにも『Company(カンパニー)』(1970年)と『イントゥ・ザ・ウッズ』(1986年)の2作を手話で朗読した。そしてそれが劇団「Deaf Broadway(ろう者のブロードウェイ)」の誕生となった。ロサンゼルスで30年間続いている「Deaf West Theatre」の東海岸版のようなものだ。字幕は、音を聴くことが難しい視聴者にとっては非常に役立つツールだが、やはり劇を自分のネイティブ言語で楽しめると、誰しも思わず力がみなぎって元気になる。ある母親が「Deaf Broadway」に連絡してきて、彼らにこう言った。彼女の健聴者の子たちは2014年の映画版の『イントゥ・ザ・ウッズ』がお気に入りだが、そのきっかけは、兄弟のうちのろう者の子が、手話バージョンの『イントゥ・ザ・ウッズ』を観て楽しんでいたことで、そこから映画版があることを発見したのだという。ザーカーにとっては「この話はつまり、字幕では足りないってことの証明だ。手話によって体験すると、深い意味まで理解することができるから」ということだ。

 それと同様に、手話の使い手が画面に映っている自分自身の姿を見ることもまた、重要な経験だ。ペンシルバニア在住の俳優、ミリセント・シモンズ(18歳)にとっては、画面の中の自分を見て現実を再認識するのは怖い体験でもあるという。映画やドラマに出てくるろう者の登場人物は、大抵、健聴者の俳優によって演じられている。また、たとえば、ろう者の俳優マーリー・マトリンが、1987年にアカデミー賞主演女優賞を受賞した映画『愛は静けさの中に』ですら、アメリカン・サイン・ランゲージを使った会話が編集作業によって意味が通らないものになってしまっている場面が多々ある。シモンズは、そんな歴史があるからこそ、自分の出演映画作品をあえて観ようという動機づけになるという。『ワンダーストラック』(2017年)や『クワイエット・プレイス』(2018年)と、今年公開されるその続編まで、全部まとめて観るつもりだ。もし手話がなかったら、と彼女は言う。「私は自分の家族とも親しい関係を築くことができないし、会話すらできない」

 耳が聴こえないことは、ひとつの生き方であり、劣っている生き方ではないのだと認識するプロセスは、ダリウス・マーダー監督の最近の映画『サウンド・オブ・メタル―― 聞こえるということ』(2019年)でも描かれている。主演のリズ・アーメッドはこの作品のために手話をイチから学んだ。映画の中盤にさしかかる頃、アーメッドが演じる役ルーベンは、何年もヘビーメタルバンドのドラマーとしてツアーをしているうちに耳が聴こえなくなってしまう。彼は人工内耳を入れる決意をする。神経機能の代替となるデバイスが聴覚神経を刺激し、聴覚に近い感覚を作り出すのだ。だが、映画の中で、彼が暮らすことになるろう者のコミューンでは、人工内耳を入れることは侮辱だと受けとめられている。「ここにいる誰もが、耳が聴こえないことを、治療すべきことだとは思っていない」と彼のメンターはルーベンに言う。

 映画『サウンド・オブ・メタル』は依然として存在するイデオロギーの違いによる分断を描き、その問題点を掘り下げながらも、ジャッジすることはしていない。そのかわりに、この映画は、音なしで、手話を使って豊かな人生を送ることができるのだと提示している。聴力がないということは、そのぶん、人生の苦難も感じなくなる、ということでは決してない。筆者の私自身、聴覚障害を抱えており、数えきれないほどの時間を視聴覚訓練に費やしてきた。だからこそ言えるが、マーダー監督はその苦難の非情さと恥辱を上手に表現している。特に、ルーベンが人工内耳を入れて最初に聴く音が、どこかぼんやりとしていて、機械的に響き、彼が覚えていた音とはまったく違っている、というシーンは秀逸だ。この作品は、ほかの映画作品でよくあるような、耳が聴こえないことの原因と結果を分析したりはしないし、ろう者を感覚的弱者、またはスピリチュアル的弱者として捉えてもいない。

 ろう者が体験することを真摯に表現する手助けになればと、マーダーは、32歳のジェレミー・リー・ストーンを起用した。ストーンはアーメッドのブルックリンの自宅に行き、彼に手話を教えた。ストーンはこの映画の中で端役として登場している。ストーンとアーメッドがまず最初に話したのは、ろう者のアイデンティティについてだった。「大文字のD。文化と歴史を含めた意味だ。医学的な意味でのろう者を表す小文字のdではないんだ」とストーンはその違いを説明する。次第にストーンはアーメッドにASLの特訓をしていく。ストーンいわく、その過程でアーメッドは「彼自身のアイデンティティをはぎ取って、違う人間にならなければならなかった」。二人がカフェで手話の実演練習をしているときに、ウェイターが注文を取りに来ると、ストーンはアーメッドに口語で対応することを許さず、アーメッドが演じる役になりきって、飲み物を注文させた。「彼に経験してもらいたかったんだ… きちんと言いたいことが伝わらなくてイライラする気持ちや、誤解されてしまうことなんかを」とストーンは言う。

 Zoomを使ってストーンと会話をしているときに、彼に、ASLについて一番誤解されていることは何だと思うかと聞いた。すると彼は少し考えてから、もし、“百聞は一見にしかず”が本当ならば、「手話ひとつは100万語に匹敵する」と答えた。だが、すぐに彼はこのフレーズは、多面体のような言語である手話の力を十分に表現しきれていないことに気づいた。言葉で表すといくつかの文になるコンセプトや行動は、手首をしならせる動きや、眉間にシワを寄せるだけで表現できてしまう。つまり、身体が舞台の開口部のような役割を果たし、話し手はそこから無限の情景を伝えることができるのだ。「これは伝えるのがちょっと難しいな」と彼は言い、それならと、実際に手話をやって見せてくれた。

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