母校である早稲田大学に、自らの名を冠したライブラリーを立ち上げた村上春樹。公の場に現れることも少なかった作家が始めた、人と人をつなぐ新たな場づくりとは?

BY MUTSUKO OTA, PORTRAITS BY TAKASHI HOMMA, PHOTOGRAPHS BY KOHEI OMACHI, EDITED BY JUN ISHIDA

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 コロナ禍と並んで、私たちの生活を大きく変容させているのがデジタル化だが、長く小説を書き続けている中で、本離れが進み、本が売れない現在の状況、そして本や図書館の未来をどう捉えているのだろうか。

「僕は、全人口のうち本当にちゃんと本を読む人は5%だと思ってるんですよ。ベストセラーみたいなのがわっと出れば浮動票が膨らむこともあるけれど、ブームが終わればまたしぼんで5%に戻る。でも、この5%の人たちは『本を読むな』と止められても読むんですよ、絶対に。そのコアな少数の人たちが大事で、彼らが読んでくれればだいたい飯は食っていける。クラシック音楽を聴く人も、ちゃんと自分の頭でものを考えられる人も5%。エリート主義みたいに聞こえちゃうかもしれないけれど、ものをつくる人間というのは、その5%の人たちを真剣に相手にしていくしかないんです」

画像: 村上春樹(HARUKI MURAKAMI) 1949年京都市生まれ。1975年早稲田大学第一文学部映画演劇科卒業。1979年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、『騎士団長殺し』など。他に短編小説集、エッセイ集、紀行文、翻訳書など著書多数。フランツ・カフカ賞はじめ海外での文学賞の受賞も多い

村上春樹(HARUKI MURAKAMI)
1949年京都市生まれ。1975年早稲田大学第一文学部映画演劇科卒業。1979年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、『騎士団長殺し』など。他に短編小説集、エッセイ集、紀行文、翻訳書など著書多数。フランツ・カフカ賞はじめ海外での文学賞の受賞も多い

 とても少ない数字のようだが、世界に目を向ければ4億人弱。その中にかなりの割合で村上ファンがいることは容易に想像できる。
「それから、どんなにデジタル化しても、僕は音楽をコンピュータで聴きたくない。友情とセックスは混ぜない、みたいな感じかな。喩えがよくないけど(笑)。僕は頑固だから車もマニュアルだし、音楽はプラスチック製のレコードで聴きたいし、物語は紙に印刷した本で読みたい。具体的な手触りみたいなものをいつまでも大事にしたいんです」

 村上さんが図書館をつくる、しかも大学の中に、というのが意外で、話を聞くまではしっくりこなかったのだが、その思いを知ることで深く納得した。そういえば日本国内ではほとんどメディアに出ないことで知られる村上さんなのに、このインタビューが実現していること自体が珍しい。どんな心境の変化があったのだろうか。それは小説家としてとても真摯な理由だった。

「これまであまり表に出ることはしないようにしてきたのも、もっと文章が上手になりたいと思っていたからなんです。昔は、自分が書きたいものが書けないことが結構あったんですよ。でもある程度自由に文章を書けるようになった。もちろん時代小説を書けと言われたら無理だけど(笑)。だからもうそろそろ文章を書く以外の仕事をしてもいいかなと思って、ラジオも始めて、朗読会なんかもするようになったんです」

画像: 村上の書斎を再現したスペースも登場。プレーヤーやアンプ、椅子は実際と同じ製品、机の素材やソファ、絨毯は似たものを使用

村上の書斎を再現したスペースも登場。プレーヤーやアンプ、椅子は実際と同じ製品、机の素材やソファ、絨毯は似たものを使用

 もうとっくに自由自在に書いていると思っていた村上さんにもそんな思いがあったとは! 作家という仕事の奥深さを思い知らされる。

 そんな、柔軟だけど頑固な小説家をつくった大事な要素が旅だ。これまでかなり危ない場所にも訪れてきた。しかし、さすがに昨今の世界情勢には憂いを覚えているという。
「グローバリズムと言い出した頃から、治安という意味では世界はだんだんまずくなってきた気がします。一番怖いのは、新型コロナによって国と国の間の行き来が難しくなってきて、おかしな形でのナショナリズムが現れてくること。僕は社会システムや国家システムというものが力を持った社会というのが嫌いです。このライブラリーでも、大学というひとつのシステムの中に違う価値観を持ち込むというのは、結構大変で、軋轢(あつれき)も生まれる。システムというのはどうしてもネガ潰しになるんですよ」

 第二次世界大戦、1995年のオウムによる地下鉄サリン事件、2001年のアメリカ同時多発テロ、2020年にはアメリカから起こったブラック・ライブズ・マター運動、フェイクニュースが吹き荒れた大統領選。あらゆるところに潜む支配関係。村上さんはそうしたものと向き合ってきた。『1Q84』でもDVやカルト宗教として描かれたが、それは個人間にもコミュニティ間にも国家間にも存在し、どの時代にも人間が対峙しなければならない「卵に対する固い壁」として存在し続ける。原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げ、読み手と共有することを物語の中で実行してきた村上さんが、新型コロナウイルスが世界を席巻するこの時代に、リアルな場所からのアジテーションを始める。ライブラリーという平和のバリケードを構え、文化という武器を携えて。私たちはよき共犯者として、そこに参加できたらと思う。

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