BY NATSUME DATE, PHOTOGRAPHS BY HIROYASU DAIDO
稽古場のドアを開けて中に入ると、いきなりテーブルの上に立つ湯浅永麻さんの姿が目に飛び込んできた。稽古しているのは、おそらく三部構成の第二部にあたるカフェのシーンで、テキストのト書き(状況や登場人物の動作などを指定した文)には「テラス席に佇む<わたし>」とある。これは佇んでいた<わたし>が、おもむろにテーブルに乗っかったところなのか。それとも、「佇む」をダンス化した振付として、テーブルに乗るという行為が行われたのだろうか……。
彩の国さいたま芸術劇場のダンス部門の創造発信プロジェクトであるこの作品は、世界有数のコンテンポラリー・ダンス・カンパニーのひとつネザーランド・ダンス・シアター(NDT)出身で、ダンサー・振付家として多ジャンルのアーティストとのコラボ経験も豊富な湯浅永麻さんと、世界規模で大活躍中の現代演劇界のトップランナーで、小説『ブロッコリー・レボリューション』で今年の三島由紀夫賞を受賞するなど文芸界でも注目される岡田利規さんとの初顔合わせ。句読点の少ない長文の現代口語せりふと俳優の所作を連動させたユニークな身体表現で、批評性に富む演劇作品を世に問う岡田さんが、柔軟な思考で引き出しの多いダンサー湯浅さんから、どんな言葉と身体を引き出すのかが、大いに注目されている。
その創作現場で最初に目に入ったのが「カフェのテーブルの上に屹立する女性の図」。さすが期待を裏切らない先制パンチではあった。
『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』は、SNSで30万人のフォロワーを持つという<先生>が唱える「身体(からだ)の声を聴きなさい」との言説=ナラティヴに心酔している<わたし>が主人公。昨年、ワーク・イン・プログレスとして上演された第一部では、客観性を標榜しつつ、その実<先生>の教えにどっぷり浸かっている<わたし>や、そのナラティヴを語り聴かせながら導く<先生>など、シームレスに登場する複数の人物のナラティヴを、湯浅さんがひとりで語り踊った。今回はこの第一部に加え、第二部と第三部を新たに上演して、完結させる。
この日稽古中の第二部では、カフェで佇む<わたし>の前に、同じ「身体の声を聴く」実践者でありながら、<わたし>とは異なるメソッドを主張して<わたし>の思考に揺らぎを与える第2の人物が現れる。映画監督で俳優としても岡田さんの信頼が厚い太田信吾さんが、そのキーパーソン、謎めいたカフェの<店員>役だ。冒頭のようにテーブルの上に立ったまま「身体の声」絡みの思考を巡らせている<わたし>の許にやって来て、「なにか、追加のご注文などは大丈夫でしょうか」と声を掛けるところから会話が始まり、次第に<わたし>に異論を唱え、挑発してゆく存在になる。
少し離れた席から二人のやり取りを見守る演出の岡田さんは、この導入部を何度か繰り返しながら、さまざまな状況や行動を試していく。
「なんていうかな。おもしろくなる可能性っていくつかあるじゃないですか。そもそも『なんでお前はテーブルの上に乗ってるんだ。おかしいよね、だってここカフェでしょ』っていう前提はあるわけで、ここではそのリアリティをぶっ飛ばしていいわけではない。といって、テーブルに立ってる永麻さんが太田君に気づいて『あ、ごめんなさい』みたいなリアルな反応をする必要もない。どうすればいいのかな……。これ、超あてずっぽうだけど、今は抽象的な太田君の振る舞い方を、もう少し具象的にして、ほんとのカフェの店員らしく近づいて『コーヒーのほうのおかわり、二百五十円で可能になっておりますので』って続けるとおもしろくなる気がするので、それをちょっと試してみましょうか」
まずは「なぜカフェの客がテーブルの上に乗ってる?」という、全観客が抱きそうな疑問を演出家が共有しているのがわかって、とてもホッとした。そしてリアルさを強化した太田さんの<店員>は、見ていて噴き出しそうになるほどおもしろくなった。それを認めたうえで岡田さんは、
「ただ、ずっとリアルで通すわけにはいかない。(展開上)飛躍する必要があるんだけど、それがいつなのか……」
と、同じ箇所を繰り返すたびに自在に動きを変えてさまざまな選択肢を提示してみせる太田さんを見ながら、タイミングとその方法を探り続け、ついには、かなり大胆な飛躍場所を見出していた。
一方の湯浅さんは、第一部はモノローグ、第二部はダイアローグ、第三部は……と、形を変えた枠組みのなかで大量のせりふを発しながら、それらにふさわしい動きを見つけてゆく。ダンサーとしてかなり負荷の大きい作業に挑んでいるわけだけど、つねににこやかで、積極的に提案を行い、柔軟に対応する姿が清々しい。ブレスの位置にも戸惑う岡田流の長ぜりふを、いま初めて<わたし>の口からこぼれ出た言葉のように、ナチュラルに語れる才能にはたじろぐほど。
もちろんそこには、演出の岡田さんの行き届いたアドバイスが介在している。たとえば、<店員>に「見下してるぞという自覚はないんですか」と挑発された<わたし>が思わず言い返す、こんなせりふがある。
「ないですね、ないですねというか自覚はないですねのないですねでは今のないですねはないですよ、見下してるぞみたいなことはまったくないですねという意味の今のはないですねですよ、でしたよ、(後略)」
湯浅さんは、両腕を肩から大きく緩やかに動かし上体を捻らせながら、太田さんにこのせりふを投げかけた。すると岡田さんは、
「『こういう気持ちだ』と解釈してからじゃないと動きは出てこない、ということはないと思うんですよ。今のは『見下していない』と言い訳する気持ちから動きが生まれている感じだけど、それでは浅い。もっと〝深い状態〟にすることはできるはずで、深いところまでいけば、自然とおもしろい動きは出てくると思います」と言い、〝深い状態〟を得るにはテキストを読むのがいちばんと、立ち稽古の合間に何度もテキストの音読(いわゆる本読み)を促した。
そしてそのたびに、
「まだ言葉に引っ張られている」「いいですね、言葉で表現しようとしていない。自分で粘土をこねくり回すみたいに言葉を使っていないところが、すごくいいです」「今、つかみましたね。もっと奥にいけると思いますが、ベクトルはピッタリです」「今せりふの言い方のニュアンスで表現しようとしていることは、すでに永麻さんの身体にぜんぶ入ってにじみ出てきているので、意識して出そうとしなくて大丈夫です」と、次第に〝深い状態〟に近づいてゆく湯浅さんを評価し、「今日はこれくらいが限界かな」と、スパッと稽古を切り上げた。
稽古後、湯浅さんに聞いてみた。
「最初のころは『せりふが聞こえない』ってよく言われたんです。それは声が出ていないという意味ではなくて、せりふが自分の中にちゃんと入っていないから、感情を込めてるつもりでも観客には届かないのだと。だからとにかくたくさん読みましょうと岡田さんは言うわけです。始めはなぜこんなに読む必要があるのか不思議でしたけど、繰り返すうちに『このセンテンスにはこんな意味が含まれている』とか『この言葉はずっと後ろのこの言葉に掛かっている』といったことがわかってきて、そのうえでせりふを言うと観客に聞こえる、という意味なんだなと、今は理解しています」
ということで、なぜ<わたし>がカフェのテーブルの上に乗っているのかは聞き忘れたけれど、たぶんそれはさほど重要な問題ではないと思われる。それより、第三部に登場するという、太田さんの<店員>のさらなる進化形態による強敵の正体が、今はとても気になっている。早く本番が観たい。
『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』
テキスト・演出:岡田利規
共同振付:岡田利規、湯浅永麻、太田信吾
出演:湯浅永麻、太田信吾
上演期間:2022年9月1日(木)・2日(金)19:00開演
9月3日(土)・4日(日)14:00/18:00開演
会場:彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
住所:埼玉県さいたま市中央区上峰3-15-1
料金:一般 ¥4,500、U-25 ¥2,500
チケット予約:https://ticket.aserv.jp/saf/(埼玉県芸術文化振興財団オンラインチケット)
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