今アメリカで最も称賛されているパフォーマーのひとり、アンダーソン・パーク。彼はジャンルを超えたコラボレーションの手腕で知られ、ソウル・ファンクのスーパーデュオであるシルク・ソニックのひとりだ。パークはポップスターという存在を再定義しただけでなく、ポップスターが到達できる限界を、ことごとく打ち破ってきた

BY ADAM BRADLEY, PHOTOGRAPH BY D’ANGELO LOVELL WILLIAMS, STYLED BY IAN BRADLEY, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

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 パークの自信満々な態度やファッションへの愛、そして彼の全人格──ウィッグや、レッドカーペット上のイベントでのおどけた態度など(今年のメット・ガラでは彼が英国風アクセントで話していたのを見た)──そのすべてが、二面性をもつトリックスターたちの長年の伝統を継承しているといえる。1958年に作家で批評家のラルフ・エリソンが、ジャズの巨匠ルイ・アームストロングを、ジャズを代表する存在だと評した以下の言葉が、パークにもあてはまる。「彼は汗や唾液を飛ばし、顔の表情を自在に変えることによって音楽の身体性を強調する。さらに彼は、ガラガラの砂利のような、喉から力を込めて絞り出される声で、魔法のようにロマンティックなメロディを生み出す」。アームストロングとパークはまったく異なるタイプだが、どちらも人生で経験した苦痛を心地よい音楽で伝えることで、人々に喜びを与えている。苦しみから遠ざかるのではなく、あえて近づくことで、それを可能にしているのだ。

画像: パークが笑顔で写っていない貴重なもう一枚の写真 ジャケット¥198,000(予定価格)、パンツ(参考商品)、サングラス¥73,700(予定価格)/セリーヌ オム バイ エディ・スリマン セリーヌ ジャパン TEL. 03(5414)1401 タンクトップ(参考商品)/Judy Turner judy-turner.com スニーカー[EPAAK SPORT DX]¥12,100/VANS VANS JAPAN TEL. 03(3476)5624 ジュエリー/すべて本人私物

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 パークは、長距離フライトなどひとりでいるときに「感極まって、いきなり泣き出すことがある」と言う。「テレビでたまたまある番組を見ていて、突然号泣したり。何も映っていない画面を見ているだけでも泣けてしょうがない」。彼が微笑むのは、楽しい気持ちを素直に表現するということと同時に、それが痛みをコントロールする手段でもあるからだ。「うれしいときに笑うし、怒っているときにも笑う」と彼は言う。「空腹のときにも笑うし、満腹でも笑う」。微笑みはウィッグと同じで、自己を解放するのに役立つ。そうすることで、これまで味わってきた最も過酷な体験からすらも、アートを創り出すことができるのだ。

 パークは今、和解と調停の時期に入っている。過去と和解し、アーティストとして次に何をしたいのかを調停する。彼は近年、母と親しく連絡を取るようになった。最近、母はパークが彼女のためにアトランタに購入した家に住んでいる。パークと彼の妻で韓国生まれのミュージシャン、チャン・ヘヨンの間にはふたりの息子(ソウル11歳とシャイン5歳)がいる。コロナ禍で自宅待機令が出てツアーが中止になったとき、パークはその機会を利用し、家族の中でも特に長男とともに親密な時間を過ごした。長男はYouTubeのチャンネルを立ち上げることに関心を示しており、パークはソウルのためにさまざまな映像を撮影した。長男がYouTubeへの興味を失ったあとも、このチャンネルの登録者数は増え続けた。その後パークは自分とほかのミュージシャンたちのために、ゴージャスで映画っぽい映像を駆使したミュージックビデオの制作をするようになった。リオン・ブリッジズの『Motorbike(モーターバイク)』やドミ&JD・ベックの『SMiLE(スマイル)』や『Take A Chance(テイク・ア・チャンス)』などの曲のビデオがそうで、彼らは、パークが設立した新しいレコード・レーベルのエイプシット・インクと契約を結んだ最初のアーティストとなった。6月のBETアワード(註:ブラック・エンターテインメント・テレビジョン・ネットワーク主催の賞)で、パークは最優秀ビデオ・ディレクター賞を受賞した。さらに彼は自らが初監督を務める映画作品で主演することになった。ドラマ仕立てのコメディ映画『K-Pops!』の中で、パークはかつては有名だったが今は落ちぶれたアメリカ人ミュージシャンの主人公を演じる。主人公は韓国に旅して、自分には息子(長男ソウルが演じる)がいたことを知る。その息子は、人気上昇中のK-POPグループの一員だった。疎遠だった息子が名声を獲得していくのに便乗し、自らのキャリアを復活させようと画策する父親の話としてドラマは始まる。その後、主人公は父親として目覚めて成長し、ミュージシャンとしても返り咲く。

画像: 2022年のグラミー賞授賞式の壇上で RICH FURY/GETTY IMAGES FOR THE RECORDING ACADEMY

2022年のグラミー賞授賞式の壇上で
RICH FURY/GETTY IMAGES FOR THE RECORDING ACADEMY

 そんな中でも、パークにとっていまだに一番の癒やしとなるもの──そしてファンを最も強く感動させるものは──ずっと変わっていない。「瞑想に一番近い状態になるね」と彼が形容するのは、ドラムをたたくことだ。「ドラムを演奏していると、神に最も近づける気がする」。ポピュラー音楽の歴史の中でもドラマー出身のリード・シンガーは片手で数えるほどしかいないが、その中には偉大な歌手が何人かいる。イーグルスのドン・ヘンリーやジェネシスのフィル・コリンズはリード・シンガーになるとドラムから離れたが、シーラ・Eやザ・バンドのリヴォン・ヘルムはドラムと歌の両立を続けた。パークがドラムを始めたのは必要に迫られたからだ。彼とそのバンドは腕のいいドラマーを確保することができず、パークがドラムも担当すれば「一人あたりのギャラがこれ以上減らないですむから」だった。

 だが、パークには生まれながらにドラムの才能があった。ドラムのたたき方を知る前から、彼の頭の中にはすでにリズムが浮かんでいた。小学生時代、彼は机の上を指でたたいてビートボックスの代わりにした。「先生たちが電話してきて、ブランドンの鳴らす音がうるさくて教室中が迷惑していると言われた」とパークの母は、ESPNの記者である(そして彼女がオックスナードに住んでいた頃の近所の住民でもあった)ドウェイン・ブレイに語った。ブレイはパークの家族の人生について書いた記事を2021年にオンラインで出版している。パークが中学生の頃、継父がドラムセットを初めて買ってくれた。パークの母は息子の才能に気づき、アーチー・ベル&ザ・ドレルズやジェームス・ブラウンの多数の曲など、ソウル・ミュージックに合わせてドラムを演奏することをすすめた。パークが12歳になる頃に、後見人の女性のひとりにうながされ、パークはバプティスト派のキリスト教会に通い始め、そこで彼は自分の役割を果たすことが重要だということを学んだ。「毎日教会に行って木製のベンチに座り、ドラムをたたくチャンスが来るのを待っていた」と彼は回想する。「あまりうまく演奏できなかったけど、どんどん上達していった。気づいたらどんな曲でも演奏できるようになっていたよ」

 教会でドラムを演奏することで、パークは多彩な能力を素早く身につけることができた。牧師や歌手や教会員たちのそれぞれのリズムに臨機応変に合わせ、さらに全員で合唱するときにも素早く音を合わせなければならなかった。そんな活動の中で、人間性も高めた。神に仕えるミュージシャンとして、神の教えを伝える道具としての役割を受け入れる必要があった。彼は学校でもドラムをたたき始め、ジャズ、ファンク、ロックやパンクの演奏を学んだ。パンクのショーに参加したときには、モッシュピット(註:ライブなどで密集した集団が過激に動いている場所)の中で蠢(うごめ)く若者たちと、教会の信者たちが神の啓示を受けたときの様子が、無関係にもかかわらず、似ていることに気づいた。「それは単純にエネルギーだ」と彼は言う。「エネルギーは、音楽の中に存在する違ったブレイク(無音状態)に応じて生まれる。そうだよね?」

 アメリカ黒人音楽は、神聖なものと卑近なものが交差する場所に息づいている。パークがよく使う「イエス、神よ!」という呼びかけは、教会で何百時間も礼拝を経験したことにより、彼の身体に染み込んだものだ。その経験は、宗教とはまったく関係がないスター稼業に備えるのにも役立った。ソウル・ミュージックとゴスペルは嘆願の言語を共有する。ソウルは恋人への懇願、そしてゴスペルは神への祈りであり、形こそ違え、どちらの歌手も床にひざまずいて、身体全体で情熱をほとばしらせる、もしくは祈る点で共通している。シルク・ソニックとしてラスベガスの観衆の前で歌うことについて、パークはこう語る。「まるで、ありったけの情熱で合唱している黒人教会の人々に向かってパフォーマンスをしているようなものだ」

画像: 2016年にニューオーリンズで行われたライブ RMV/SHUTTERSTOCK

2016年にニューオーリンズで行われたライブ
RMV/SHUTTERSTOCK

 2月から始まったシルク・ソニックのコンサートの30回目にあたる土曜日の晩に会場に行くと、チケットはすでに完売していた。初夏の間、シルク・ソニックのコンサートが休みだった時期に、パークは、ヨーロッパでレッド・ホット・チリ・ペッパーズのコンサートのオープニングアクトを務め、一晩あたり10万人の観客に向かって演奏していた。今回のラスベガスのコンサートの観客たちは、いつも以上に多様性に富んでいる。30代、40代、50代の黒人女性が多いが、さまざまな年齢、人種の人々がいた。私の席の周辺だけを見ても、私は11歳の息子を連れた若い黒人男性の父親と話をしたし、20代の韓国人カップルが2組いて、70代の白人夫婦もいた。

 パークとマーズは音楽的には異なるパートナー同士だ。ふたりとも1970年代の流行のすべてを称賛しており──ラスベガスでのコンサート用のポスターでは、マーズがベルボトムのレジャースーツを、パークは大きな襟のついたサテンのシャツを着ている──テレビドラマの『おかしな二人』の現代版のような感じといえるかもしれない。マーズはさしずめ几帳面なフェリックスで、パークはいつでも自然体なオスカーだ。スタジオワークをするときは、マーズは曲作りの細部にまでこだわり、コーラスの前段階やコーラス、さらに小節やサビの可能性を探究する。それに対しパークは雰囲気を大事にするやり方を好んでいる。彼らが一緒に歌うようになったきっかけは、パークがマーズの2017年のヨーロッパ・ツアーのオープニングアクトを務めていた頃に、お互いひとりでは達成できないことがあると気づいたことだった。「今の自分の耳は以前とは違う」とパークは言う。

 舞台の幕が上がる30分ほど前に、私はパークに、エンターテインメント業界で最も高い業績を打ち立てたショーマンのひとりであるマーズとともに舞台に立つのはどんな感じかと聞いてみた。マーズに敵わないと彼が感じることはあったのだろうか? 「だから面白いんだよ」と彼は答えた。「最高のミュージシャンのひとりと共演してるんだ。彼はエンターテインメントをよくわかってる。だって、彼はずっと人を楽しませてきたんだから。それこそ──」

 すると、まるでタイミングを計ったかのようにドアが勢いよく開いて、マーズがそこに立っていた。挨拶をする代わりに、マーズは歌い始めた。「Cut my lifeinto pieces!(僕の命をこなごなに切り裂いた)」

 パークはカウチで寛いでいたが、飛び上がってこう切り返した。「This is mylast resort!(それだけは避けたかったのに)」。マーズはキレのあるエアギターのジェスチャーでパワーコード(註:ロック音楽でよく使われる演奏方法)を奏でながら「ジュン、ダン、ジュン、ダン」とうなり声を上げた。それはニューメタルのバンドであるパパ・ローチの2000年のヒット曲『Last Resort(ラスト・リゾート)』の出だしのフレーズの掛け合いだった。かなり昔の曲だが、ノスタルジーによって磨かれた名曲というレベルにはまだ至っていない。だが、パークとマーズは皮肉ではなく、本気でこの曲が気に入っているようで、私と、長年パークのフォトグラファー兼ビデオグラファーを務めてきたイスラエル・ラモスのふたりだけのために30秒間即興でこの曲のカバーを歌ったのだった。

「ふたりとも何の曲かわかったみたいだな。ウー、Do you have the time...(君、時間はあるかな)」とマーズは歌う。

「To listen to me whine(僕が泣き言を言うのを聞いてくれる)」とすかさずパークが呼応し、グリーン・デイの1994年のヒット曲『Basket Case(バスケット・ケース)』の歌詞を口ずさんだ。
「今度はハーモニーをやろう」とマーズが司令を下す。

 パークがメイン・ボーカルを担当し「Sometimes I give myself the creeps(時々自分で自分にぞっとする)」という歌詞を口ずさむと、マーズがそれに高音で合わせ、ふたりの声が溶け合った。「クリープ(creeps)は『クレープ(crepes)』っぽく発音しなくちゃ」とマーズは言い、少年のように微笑んだ。「時々自分にクレープをくれてやるんだ/頭がおかしくなりそうだああああ!」

「モッシュピットをやろうぜ!」とパークが言う。

 ドアの外に出て行くときに、マーズは私とラモスのほうを振り返り、私たちと目を合わせて言った。「どう、元気?」。そして彼は去った。このすべてが、わずか2分間の出来事だった。これだけでシルク・ソニックがどんな存在かを知るには十分だ。即興に富んでいて遊び心があり、難易度が高く、作品へのこだわりがある。

 8人編成の彼らのバンドのショーはラスベガスの舞台にぴったりだ。響き渡る大きなホーンセクション、スパンコールのついたスーツ、緻密に振り付けされたダンスの動き、ちょうどいい具合で打ち上がる花火。マーズが歌うフレーズ、そして彼のステップやスライド。非の打ちどころは微塵(みじん)もない。一方、ほとんどのトークを担当するのはパークで、彼は観衆をからかい、挑発する。パークがサングラスを二度はずすと、観客はそのたびにうなり声を上げる。このふたりの男性が醸し出す親密さは何者にもコントロールされることがない。ウィットに富んだ彼らのやりとりは、この晩のパフォーマンスの中で、最も価値がある部分かもしれない。そして、そんな彼らのショーは、1970年代のファンクやソウル・ミュージックではなく、むしろ1910年代に流行したヴォードビル(註:歌や対話が入った喜劇や曲芸など)を想起させるのだ。

 その後、深夜0時30分頃、バーバー・ショップという名のクラブで、パークはグッチの青いスーツに身を包み(マーズは彼を「グッチを買うためなら自分の身体も売るやつ」と称してからかったことがある)、ブロディと名づけたウィッグをつけていた。マーズは半袖のシャツに、くっきりとプリーツが入った白いパンツというカジュアルな服装で、ソロ製の赤いプラスチックのカップを手に持っていた。ふたりは即興でまだそれほど古くなっていないロックの定番曲の数々を口ずさんでいた。その中には十分リハーサルずみの『Last Resort』もあった。さらに深夜1時半頃には、ふたりはパークMGMのオン・ザ・レコードというバーの中にある、メイン・ルームと名づけられた空間に移動していた。パークは(DJのピー・ウィーとして登場しつつも、まだブロディのウィッグをかぶっていた)レコード盤を何時間もひたすら回し続ける。彼の隣には地元ラスベガスのDJ兼プロモーターのエディ・マクドナルドが立っていて、壁の棚からアルバムのレコードを取り出していた。マーズはほとんどの時間を踊って過ごし、肘が届く距離にいる誰とでもカップを合わせて乾杯する。その間、パークはマイケル・ジャクソンの『Don’t Stop ’Til You Get Enough(今夜はドント・ストップ)』とユーリズミックスの『Sweet Dreams(Are Made of This)(スイート・ドリームス)』のレコードを回していた。

画像: 今年のメット・ガラのアフター・パーティ JUTHARAT PINYODOONYACHET FOR THE NEW YORK TIMES

今年のメット・ガラのアフター・パーティ
JUTHARAT PINYODOONYACHET FOR THE NEW YORK TIMES

 パークがまだブランドン少年だった頃、彼は友人や母とラスベガスによく行った。母と継父がカジノでギャンブルをしている間、パークとその仲間たちは探検をしていた。まず家族で宿泊しているシーザーズ・パレス・ホテルの宿泊費無料のスイートルーム(註:ラスベガスのカジノには、無料で常連客に部屋を提供し、ギャンブルをしに来てもらうキャンペーンがある)から出て、ストリップと呼ばれる大通りに向かった。「レストランやプールに行ったり、ルームサービスをとったり、舞台を観たりするのが大好きだった」と彼は回想する。エンターテイナーのジークフリード&ロイや、イリュージョニストのデビッド・カッパーフィールド、マジシャンのペン&テラーや、コメディアンのキャロット・トップなどのショーを観た。さらにアース・ウィンド&ファイアーや、歌手ウェイン・ニュートンの舞台までも観賞していた。「エンターテインメントの究極形であるそんな舞台が、いつしか自分の中の基準になったんだと思う」と彼は言う。「ベガスでは、出来の悪いショーには決して当たらないから」

 今、彼の母がストリップ大通りを歩いて息子の舞台を観に行くときには、9メートルの高さのビルの壁に大映しにされた息子の映像を眺めることができる。「めちゃくちゃクレイジーだ」とパークもさすがに認める。長年さまざまな仕事をし、困難があってもそれを乗り越えてきた彼の心の中には、日の目を見なかった頃の感覚が今でも根強く残っている。マーズが伝統的な意味でのセレブリティだとするならば、パークはそれとは違う種類の存在だ──多数のウィッグ、サングラス、帽子を駆使することで彼はある程度の匿名性を保つことができている。「ありふれた格好をすることで、ひと目を避けられる」と彼は言う。楽屋でのパークは、巨大な電光掲示板に自分の姿が映し出されているのにもかかわらず、クラブの入り口では係員に自分が誰かを説明しなければ中に入れてもらえなかったという話をジョークめかして語っている。そんな彼には、30年前、オックスナードの街の通りで遊んでいた少年だった頃の面影がある。そして彼はジョークのオチであり実際に起きた出来事をこう語った。「あれは自分なんだよ!」と彼はビルの方角の空を指さして言うのだ。「ほら、あそこにこの顔が映ってるでしょ」

HAIR BY ADRIANNE MICHELLE AT SIX K L.A., GROOMING BY ALANA WRIGHT PALAU USING SHISEIDO AT THE CANVAS AGENCY., SET DESIGN BY KELLY INFIELD.

PRODUCTION: CONNECT THE DOTS. PHOTO ASSISTANT: RASHAD ALLEN ROYAL. SET DESIGNER’S ASSISTANT: KAYLA EPHROS. TAILOR: OLENA PLETENETSKAYA. STYLIST’S ASSISTANT: ANDREW MCFARLAND

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