世界最高峰のショパンコンクールに挑み、見事に栄冠を勝ち取った反田恭平は今、指揮者への道を全速力で駆け上る。自ら立ち上げたオーケストラと歩む先に、どんな未来を描いているのかを聞いた

BY MAKIKO HARAGA, PHOTOGRAPHS BY YUSUKE ABE, HAIR BY KENICHI(EIGHT PEACE), SPECIAL THANKS TO STEINWAY & SONS TOKYO

 住み慣れたワルシャワのアパートを、反田恭平はまもなく引き払う。ショパン生誕の地でその音楽を4年間ひたむきに追究し、2021年のショパン国際ピアノコンクールで2位という快挙を成し遂げた。演奏する機会が増え、ショパンとは“切っても切れない関係”になったが、彼自身は「次の作曲家に向けて前に進んでいる」と言う。

 すでにウィーンに居を構え、この地で半生を送ったブラームスの音楽に強く惹かれている。「ショパンよりも気持ちがわかる作曲家に出会えたのはラッキーなことでした。『こう弾いたらいいんだろうな』というのが、考えなくてもわかる。ショパンに関しては、弾き方を勉強する必要があったし、コンクールはそういう場ですから」

画像: 反田恭平(そりた・きょうへい) 1994年北海道札幌市生まれ、東京都出身。2021年第18回ショパン国際ピアノコンクールで日本では半世紀ぶりの最高位第2位を受賞。国立モスクワ音楽院を経て、F.ショパン国立音楽大学で学ぶ。2018年、「MLMダブル・カルテット」(JNOの前身)を結成。自前のクラシックレーベル「NOVA Record」、プロの音楽家と愛好家が集うオンラインサロン「Solistiade」も運営

反田恭平(そりた・きょうへい)
1994年北海道札幌市生まれ、東京都出身。2021年第18回ショパン国際ピアノコンクールで日本では半世紀ぶりの最高位第2位を受賞。国立モスクワ音楽院を経て、F.ショパン国立音楽大学で学ぶ。2018年、「MLMダブル・カルテット」(JNOの前身)を結成。自前のクラシックレーベル「NOVA Record」、プロの音楽家と愛好家が集うオンラインサロン「Solistiade」も運営

 ウィーンには、数年前から通っていた。ピアノではなく、指揮のレッスンを受けるためだ。門下から世界的指揮者を輩出している湯浅勇治に師事している。実は、反田はずっと指揮者志望だった。だが、まずはピアノを究めるようにと、子どもの頃に出会った指揮者の曽我大介から助言され、そのとおりに実践してきたのだ。

 反田は現在、自ら立ち上げたジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)の常任指揮者である。今後は少しずつ軸足を指揮に移していくが、「100パーセント指揮だけをして生きていくことは、まったく考えていない」と言いきる。「ピアノをやっていることが指揮に良い影響を与えてくれるし、逆もしかり。指揮者は自分では音を出さずに音楽を構成し、それをオーケストラに身ぶり手ぶりで伝えなければなりません。それができたあとでピアノに戻ると、自分の音楽が大人っぽく豊かになるのを感じる」

 JNOは自身を含めて20人の管弦楽団だが、反田が声をかければ参加してくれる仲間が数多くいるため、大編成の作品を演奏することもある。レパートリーは「自分が何を弾きたいか、振りたいか」ではなく、「今のJNOが成長するうえでどういう曲を振るべきかをいちばんに考えて、少しずつ増やしている」と言う。大編成で奏でるベートーヴェンの交響曲第九番を聴きたいというリクエストもあるが、「自分たち、特に僕の中にそういうスキルがたまってきたときに、やっていこうと思います」。

 JNOをザルツブルク音楽祭やBBCプロムスなど世界の檜舞台に招かれるオーケストラにしたい。そのためには自身が弾き振り(ピアノを弾きながら指揮をする)の技術を高めることが近道だと反田は考えている。海外のオーケストラを弾き振りして腕を磨き、つながりを築く。そうすればJNOにも世界から声がかかりやすくなる。

 インタビュー中、反田は何度も「逆算して考える」というフレーズを使った。子どもの頃からの発想法で、これは無駄な行動が大嫌いな父親譲りだという。大いなる挑戦を明言する姿勢も、少年時代から変わらない。反田は12歳のとき、東京・仙川にある桐朋学園大学音楽部附属「子どものための音楽教室」に、音楽理論の点数が低すぎたため(300点満点中18点)、「合格は保留」という扱いで入学した。周囲は幼少期から英才教育を受けていて、サッカー優先だった自分とは違い、難曲を弾きこなしていた。だが、「最後に笑うのは俺。安心してていいよ」と、見守る母親に言い続けた。6つ年上の高校生の演奏を聴き、「6年後に自分がどれくらいうまくなっているか。逆算して考えると『俺のほうがうまい』と思った」からだ。そして、首席で卒業した。

 実は筆者も同じ仙川の教室でピアノを学んだことがあるので、つくづく思う。反田はやはり天才だ、と。目的地までの最短の道のりと必要な努力を見極める目、そして集中力が抜きん出ているのだ。楽譜も素早く覚えられるという。「毎日見て、書き込みをすれば覚える。耳で聴くのも大事。あとは身体で覚え、脳で暗記する。手の動く位置を覚えていて、目をつぶっても弾ける」。指揮も、一度やったことは忘れない。湯浅に「適応能力がとても高い」と驚かれるそうだ。指揮でも自身が目指すレベルに到達するのは「時間の問題だと思う」と言う。

画像: ラフマニノフを弾くとき、人物や情景の描写が巧みなゴーリキーの小説が参考になった。「当時の貴族の様子や町並み。あと、昔の人は『速く』という速度記号を、馬車のスピードを基準にして書いていたことも思い起こさせてくれた」

ラフマニノフを弾くとき、人物や情景の描写が巧みなゴーリキーの小説が参考になった。「当時の貴族の様子や町並み。あと、昔の人は『速く』という速度記号を、馬車のスピードを基準にして書いていたことも思い起こさせてくれた」

 身体の使い方にも、反田は並々ならぬ関心を持つ。指揮者は上腕の筋肉が発達していて、腕を振り上げると「シュッと風のような音がする」と言う。「僕は若干ですけど」と言いながらやってみせると、かすかに音が聞こえた。また、ピアノという楽器は右手が主旋律を担うが、反田は左手が圧倒的に優位な両利きだ。「筋肉質なので、もともと右の音もそこそこ出せました。でも緊張すると今でも右手が弱くなるのは事実。そういうときは、右肩を少し上げて弾く」

 猛スピードで頂点へと昇りつめたが、JNOの本拠地である奈良に音楽アカデミーを設立するという夢は、数十年先の目標だという。音楽家が自立するために必要なビジネススキルや、演奏家以外の音楽の道についても学べるような総合的な学校を、反田は構想している。「プレーヤーとしての今の活動は、将来海外から学生を集めるための宣伝なんです。25年後くらいに学校を建てて、その5年後に卒業生がカーネギーホールで晴れ舞台を踏んだとき、僕らの夢が完成する」

 その前にまずJNOの価値を世界で高めたい。少し前、反田はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が本拠地とするウィーン楽友協会のホールで、トゥガン・ソヒエフが指揮するチャイコフスキーを聴き、「衝撃的すぎて席を立てなかった。生き物のようにステージの上で動いていて、『やっぱりこれがオーケストラだよね』というのを教えてくれた」と言う。「人の人生を変えてしまうかもしれないような演奏をするのが一流のオーケストラ。お客さんに『指揮者になりたい』『バイオリニストになってみたい』と思わせる音楽を、奈良でやりたいんです」

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