目の前に淡く広がる日常の景色と、心に浮かびあがる光景をゆっくりとときほぐしていくーー。うたかたのように見えて澱となり、ほのかに香りだち、いつしか人生を味わい深く醸す日々のよしなしことを、エッセイストの光野桃が気の向くままに綴る。第十回は、ままならぬ日々を過ごすなか、独自のリズムでのびやかに生きる少女を思う

BY MOMO MITSUNO

 ゆっくりちゃんというのは、娘の同級生の女の子のあだなである。小学1年の時、入学式に出ている合間に、男の子たちが紙を回して、あっというまにつけられてしまった。こういうことに対する男子の行動と言うのは、実に素早い。
 風に乗って舞う桜のはなびらも、心なしかもったりして見える。ゆっくりちゃんが歩けば、地球の自転もゆっくりにギアを変える。
 今日は何事もなく、元気に帰ってくるかしら。入学式の日、そんな思いでふと目を小学部玄関に向けて、ゆっくりちゃんのおかあさんは卒倒しそうになったそうだ。やっぱり駄目だったか・・・。生徒たちが帰宅し、それぞれの家族がひと通り記念写真を撮り終えて、もう小学部の玄関にはほとんどひとがいなかった。そのがらんとしたアーチ形の屋根の下に「うちのむすめ、ゆっくりちゃん」が一人にこにこ笑って立っていた。

画像: 剪定して、葉が少なくなった寂しいオリーブに、ある日、気がつくと、艶やかな若芽が出ていた。新芽というのはどうしてこんなに元気、かつ艶やかなのだろう

剪定して、葉が少なくなった寂しいオリーブに、ある日、気がつくと、艶やかな若芽が出ていた。新芽というのはどうしてこんなに元気、かつ艶やかなのだろう

 白い丸襟のブラウスにあわせた紺のサージのジャンパースカートは、脇のボタンで留めるように作られている。その上に、お揃いの生地で作られた上着。これにはボタンはなく、襟元を細い共布のりぼんで、蝶結びにする。まだ手が器用に動かず、ボタンを留めるのが大変な小さい子たちのために工夫された制服だった。
 そのブラウスのボタンから、ジャンパースカートの脇から、ジャケットの紐襟から、全部の「締めるべきところ」がすべてひらいていた。当然のことながら、制服の黒いタイツもはけていない。やっぱり、まだだめだったか…お母さんはため息をついた。模試の成績はいつもよかったのだから、ボタンぐらいはかけられるだろう。だからあまり練習もさせなかった。身体測定が入学式のその日にあると知っていたのに。
 それでも、娘を「早くしなさい」とせかすことには抵抗がある、と後日お母さんは私に言った。ある一定の速度は必要といえるだろうが、ぎりぎりまで待ってやってほしい。そうすれば必ず我が娘も自力で自分の速度を見つけ出し、それを基準にして、社会とつながっていかれるだろう、と。

画像: 玄関前にいろいろなものを置く。天使やアンモナイト、テラコッタの壁にはウェールズで購入したグリーンマンのちょっと怖い顔の飾り物。このグリーンマンは良く効き、あっという間に家中のグリーが繁殖した

玄関前にいろいろなものを置く。天使やアンモナイト、テラコッタの壁にはウェールズで購入したグリーンマンのちょっと怖い顔の飾り物。このグリーンマンは良く効き、あっという間に家中のグリーが繁殖した

 中学部になると、同じクラスになるだけではなく、ゆっくりちゃんは卓球部でも私の娘と一緒になった。互いの家にも行き来し、私たちはより親しくなっていった。ふつう、おうちへいくと、ハッとするような光景や会話を聴いてしまうこともある。しかし、ゆっくりちゃんのお母さんが、一般社会に苔のように根を生やす社会的、かつ常識的なルールを子どもに教え諭したり、しかりつけたりするのを一度も見たことがなかった。ゆっくりちゃんは、いつでも自分のペースで、誰からも邪魔されることなくのびのびと育っていった。これは、ゆっくりちゃん独自の「人間関係の作り方」「勉強の仕方」および「遊び方」といったものが、見えない力で彼女を助けているとしか思えなかった。制服のリボンを全部開け放したまま、スクールバスに乗りこむ中学生のゆっくりちゃんは、最強だった。

 小学校で出会い、中高大と互いの家の近くで過ごし、まったく会わない日々も、何年も付き合いが途絶えたこともあるが、還暦を迎えるころ、いつの間にか自然に再会した。私はパーキンソン病に苦しめられていた。何とか少しでも楽になりたいと、さまざまな本を読み、病気のことを学んでみると、この病気の進行を遅らせるのに必要なものは、ゆっくりちゃんの生き方そのものだった。

画像: 蕾の桜を玄関に飾る。これは3月に撮った写真だが、1度に春が来たように思えた

蕾の桜を玄関に飾る。これは3月に撮った写真だが、1度に春が来たように思えた

 それは第一に、できるだけストレスを受けないように生きる、ということだ。そのためには、呼吸を深く大きく、いつも頭も身体もリラックスしてやわらかく、どこにも緊張がないこと。なるべく笑っていること。そう、ゆっくりちゃんのように。

 私が40代で、とても忙しかった頃も、時々会うゆっくりちゃんはゆっくり生きていた。淡々と自分の時間をすごしていた。それから四半世紀の歳月を経て私はいま、ゆっくりちゃんにならおうとしている。彼女の本名はゆかりである。

画像: 光野桃(みつの もも) 1956年、東京生まれ。クリエィティブディレクターの小池一子に師事、その後、ハースト婦人画報社に勤務し、結婚と同時に退職。ミラノ、バーレーンに帯同、シンガポール、ソウル、ベトナムで2拠点生活をおくる。著書に『おしゃれの幸福論』(KADOKAWA)『実りの庭』(文藝春秋)『妹たちへの贈り物』(集英社)『白いシャツは白髪になるまで待って』(幻冬舎)など多数。

光野桃(みつの もも)
1956年、東京生まれ。クリエィティブディレクターの小池一子に師事、その後、ハースト婦人画報社に勤務し、結婚と同時に退職。ミラノ、バーレーンに帯同、シンガポール、ソウル、ベトナムで2拠点生活をおくる。著書に『おしゃれの幸福論』(KADOKAWA)『実りの庭』(文藝春秋)『妹たちへの贈り物』(集英社)『白いシャツは白髪になるまで待って』(幻冬舎)など多数。

【光野桃の百草スケッチ】エッセイ一覧へ

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.