京都を拠点にした写真の祭典 KYOTOGRAPHIE が、2023 年国際的なボーダレスミ ュージックフェスティバル KYOTOPHONIE を立ち上げた。そこで企画されたのが、人形浄瑠璃文楽座人形遣い・吉田簑紫郎とパリを拠点に活躍している作曲家/ピアニス ト・中野公揮の共演による新たな作品創りだ。『Out of Hands』と名付けられた本作品 は、絶世の美女と称され和歌の才で名を馳せた、小野小町の零落した姿を描いた文 楽版『関寺小町』を題材に、中野が新たな楽曲を書き下ろし、簑紫郎の遣う文楽人形 と共演するという実験的な試みである

BY HISAE HIGUCHI

 我々は皆、時間と空間に束縛された肉体として“今”という座標に生きている。しかし、また同時に意識レベルでは、過去・現在・未来を行き来し、様々な感情を体験しながら、多層的な世界を生きる存在であるともいえるだろう。新作『Out of Hands』に登場する老女・小野小町も、まさにそうした二つながらの存在として物語の「磁場」に佇んでいる。仄暗い舞台上に微かに灯った魂の火は、次第にその勢いを増し、そして儚くも消えてゆく。文楽の主要なエレメントである義太夫節は、中野が惚れ込んだ人形浄瑠璃文楽座・竹本錣太夫の語りを収録しサンプリング。加えて、中野が得意とするピアノの弦をミュートしながら弾く“内部奏法”で三味線の要素を盛り込み、簑紫郎の遣う人形とともに、本来「太夫」「三味線」「人形遣い」の三業で織りなす文楽の“変奏曲”を紡ぎ出す。

 作曲にあたって、先ずは源流である能楽『関寺小町』と向き合ったという中野。「老いさらばえた身を激しく憂いながらも、稚児たちを前に舞いはじめる小町の姿にはどこか芝居がかったようなところを感じ、若き日の恋を想うシーンにも誠実さと煩悩のようなものの間を行き来するアンビバレントな感覚が通底していて、とても面白いと思いました。また作者と言われている世阿弥の時代において、百歳の老女として登場する小町は、もしかしたらこの世とあの世の狭間の半ば亡霊のような存在だったのではないか、などと想像を膨らませていました。 キャラクターが内包するさまざまな二重性が、舞を通じ再び蘇る情熱とともに小町の肉体の中で一体化してゆく。そのようなクレッシェンドが書ければ良いなと思いました」。そう語る中野には、物語に渦巻く人間の意識、その多層性を味わいきったカタルシスが溢れていた。「すべてが真実で、そして全ては儚い夢のようなものなんですよね」

画像: 作曲家/ピアニスト・中野公揮 ©️CAMILLE PRADON

作曲家/ピアニスト・中野公揮
©️CAMILLE PRADON

 では、なぜそこまで作品世界に没入できたのか。中野は、今回最終的に対峙したのが文楽版『関寺小町』であったからだと分析している。「人が人形を操ることで生まれる“想い”と“動き”の間の微妙な差異や独特な距離感が、関寺小町のような複雑なキャラクターの解釈に、より多くの余地を与えてくれているように感じました」

 中野をここまで虜にした『関寺小町』を題材に選んだのは人形遣い・簑紫郎だった。その動機について、「最初に中野さんとの共演のお話を頂いた時に目に浮かんだのが、極限まで具象性を削ぎ落とした空間でピアノの音、シルエットを背景に人形を遣う光景でした。それはまさに今実現しようとしている『Out of Hands』の舞台空間を垣間見たかのようなインスピレーションで、そういう抽象性に耐える作品といえば『関寺小町』が最も適していると感じたんです。人生を巡るドラマはしっかりと凝縮しているけれど、表現の在り方は決してドラマチック過ぎない。能に起源をもつ物語である
ということもあって、際立った感情表現のない世界観の中で文楽人形の抽象性が際立つことも、この作品に対して人形遣いとして魅了され ているところです」と語る。

画像: 人形浄瑠璃文楽座人形遣い・吉田簑紫郎 ©️MINOSHIRO YOSHIDA

人形浄瑠璃文楽座人形遣い・吉田簑紫郎
©️MINOSHIRO YOSHIDA

 着想から数ヶ月後、仕上がった中野の作品を聴いた最初の感想について問うと、簑紫郎は高揚した面持ちでこう語ってくれた。「人が生まれてから死ぬまでの時間を刻むような音の流れを感じました。いつもは、太夫の言葉ありきで人形を遣っていますけれど、中野さんの紡ぎ出す音には魂が語りかけてくるような言葉を超えた説得力があって、この音であれば人形と溶け合うことができる。そんな確信と感動が混ざり合って、しばらくの間、音の波の中に深く潜り込んでしまいました」

  ここ数年、コンテンポラリーダンサーとの共演を通じて、身体の微細な動きに込められた人間の感情を音にする実験を重ねてきたという中野。 今回の共演については、「人形ならではのぎこちない動きにどのような音を響かせることができるのか。リアリズムに執着していない人形の動きは、言うなれば人間の動きにもう一枚レイヤーが重なっているような状態ですから、自ずと別のアプローチが要求される。一番特徴的だった点を言えば“無音”を楽しめたということですね。これは、日本的な要素だと言うことができると思うのですが、間を取れば取るほど良くなるということに気が付いて、普段なら一拍のところを二拍で間を取る」というような、いつもの感覚を超えて無音を意図することで人形の動きやそこに表現される感情との親和性が高まるという体験をしたという。伝統芸能へ新たな息吹を吹き込むことへの気負いは無かったのかと続けて尋ねたところ、「もちろん何も感じなかったわけではないですが、あえてそこにフォーカスすることなく、純粋に人形の動きに寄り添って物語を 楽しみました」と笑顔を見せた。

画像: 新作『Out of Hands』に登場する小町の衣裳。簑紫郎自らが人形拵えを行う ©️MINOSHIRO YOSHIDA

新作『Out of Hands』に登場する小町の衣裳。簑紫郎自らが人形拵えを行う
©️MINOSHIRO YOSHIDA

 “伝統”と向き合うこと、それはあたかも何万年もの時間を経て堆積した化石を切り出し、そこに現れる美しい断面に光を当てて鑑賞するような行為である。縦軸に意識を向ければ少なからず葛藤も生まれようが、横軸で見れば、ただその断層の美しさに惚れ惚れするばかりで、切り取る角度によって景色が一変するということ以上に多くの言葉を費やす必要がないように感じる。太夫が語らず、三味線が奏でないことで“文楽”が成立するのかという議論もあるだろうが、“文楽人形”そのものや、一体の人形を、主遣い、左遣い、足遣いの三人で遣う“三人遣い”というスタイルは世界的に見ても類い稀な技芸であり、それだけを切り取っても文句なく美しい。簑紫郎、中野ともに長年、古典を学び技術の研鑽に努めてきた者であるからこそ、“型”や“予定調和”から抜け出し、“音”や“人形”といったエレメントにフェテッシュに向き合い、自由な、しかしある種の意図が結び目として存在する“状態”を創造することができるのではないだろうか。

 さらに、物語の磁場とは別の階層に目を転じれば、両者がそれぞれの媒体=相棒となる“人形”や“ピアノ”へ命を吹き込んでいるその姿にも、観るものを魅きつける物語が立ち現れる。そうして、どこまでも拡張してゆく物語の多層性に思いを馳せる時、そこに立ち会う我々もまた間違いなくその一つのレイヤーとなっていることに気付き、言葉を超えた何かを受け取ることになるのかもしれない。“Out of Hands” 何一つ留めることができないこの儚い世界。我々が生み出し続ける物語の美しさを永遠に担保しているのは、まさにその不確実性なのかもしれない。

  上演後には、文筆家/アートプロデューサーの小崎哲哉氏が両者を繋ぐ触媒となって、世界初演『Out of Hands』について紐解くアフタートークを行う。一日限りの公演で生まれる化学変化に舞台愛好家ならずとも期待が高まる。

吉田簑紫郎
大阪府生まれ。人形浄瑠璃・文楽座人形遣い。1988 年、13 歳で三代吉田簑助に入門。2014 年より、国際交流基金の支援を受けてアジアツアーを自主開催。2017 年の咲くやこの花賞他、各賞受賞。2021 年、長年撮り溜めた文楽人形の写真を一冊にまとめた写真集『INHERIT』を上梓。立役、女形いずれもこなす人形遣いとして文楽界の中核を担うとともに、写真表現という新たなフィールドでの挑戦も本格的に始動している。

中野公揮
1988 年福岡市生まれ。3歳よりピアノを始める。桐朋女子高等学校音楽科(共学)ピアノ専攻を卒業。東京芸術大学作曲科入学後パリに拠点を移す。 ニューヨーク / リンカーンセンター、ロンドン / カドガン・ホール、パリ / ルーブル美術館、フィルハーモニー・ドゥ・パリ、シャトレ座などで演奏。2016 年にファーストアルバム「LIFT」をパリのレーベル NøFørmat!から発表。 2020 年「Pre-Choreographed」 を発表後は人体の動きと音との関係性の探求を続け、ダミアン・ジャレ、アマラ・ディアノール、テス・ボルカーなど世界的な振付家とコラボレーションを行っている。2020 年、パリ・オペラ座委託作品作品、「Brise-Lames」(振付・ダミアン・ジャレ、舞台美術・JR)に作曲家として参加、ガルニエ宮にてパフォーマンスを行う。2022 年には3枚目になるアルバム「Oceanic Feeling」 を発表。これまでに彫刻家・名和晃平、チェリスト・ヴァンサン・セガールなどともコラボレーションを行っている。

小崎哲哉
ジャーナリスト、アートプロデューサー。ウェブマガジン『REALKYOTO』発行人兼編集長。あいちトリエンナーレ 2013ではパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』、著書に『現代アートとは何か』などがある。2019 年にフランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエを受章。

『Out of Hands』
日時:2023年5月6日(土)
1st 開場 14:30 開演 15:00 終演 16:00
2nd 開場 18:30 開演 19:00 終演 20:00
会場:ロームシアター京都 ノースホール
住所:京都府京都市左京区岡崎最勝寺町13
入場料:¥6,000
問い合わせ先:
総合受付 info@kyotophonie.jp
チケット ticket@kyotophonie.jp
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