BY YUKA OKADA
自分にカメラを向けることができる是枝、言葉を誰よりも疑っている坂元
戦後の芸術復興を目的としてフランスきってのリゾート地を舞台にスタートし、今年で76回目を数えたカンヌ国際映画祭で、コンペティション部門にノミネートされた『怪物』。公式上映直後のスタンディングオベーションの最中、感極まる表情の是枝裕和監督と抱擁を交わしたのは、今作に企画・プロデュースとして参画した川村元気だ。
映画プロデューサーとして『告白』『悪人』『モテキ』をはじめ実写映画でヒットを重ね、33歳で手がけた初小説『世界から猫が消えたなら』は全世界で累計発行部数200万部を突破。その後もコンスタントに小説を発表する一方で、アニメーション映画のプロデュースにも軸足を置き、企画制作会社STORY inc.を設立。『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』『未来のミライ』『竜とそばかすの姫』で細田守監督、『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』では新海誠監督と制作を共にし、宮崎駿以降の日本のアニメーションを世界的認知に導いた。
そして今回の『怪物』は、終わってみれば見事カンヌの最優秀脚本賞を獲った坂元裕二が絞り出した物語を川村が受け取り、熟考の上、是枝監督に話を持ちかけたことから動き出したという。
「是枝さんとは山田洋次監督が開催する映画監督のサロンで何度かお会いしたことがありましたが、基本的に自分で企画を作られる方なので、よっぽどの企画じゃないと心を動かすものは用意できないと思っていました。そんな折、今回共同でプロデュースを担った山田兼司くんが坂元さんと長らく映画の企画について会話をしているなかで、『来週、坂元さんの仕事場に行くのだけれど、ちょっと来る?』と声をかけてくれて。坂元さんと僕はそれが初対面だったのですが、そのときに僕がなんとなくお伝えしたのが、坂元さんの本領であるテレビドラマの尺で走り切ってもらうために『45分くらいの物語の数本立てで、坂元さんがいちばん得意な尺で終わって次の章にいく構成を1本の映画と捉えたら、どうなるか』ということでした。以前『となりのトトロ』が、テレビアニメ25分の尺の4本立ての構成で発想されているという説を聞いたことがあって、確かにその観点でトトロを見ると、合点がいく部分もある。そうして何度目かの打ち合わせのあと、坂元さんから3部構成のプロットがポンっと上がってきたんですが、それがちょっと驚くべきもので、坂元裕二という脚本家が世界から受信している情報量の多さには本当に目を見張るものがありました。同時にその時点で子どもたちが重要な要素になることがわかって、彼らを大人と同じレベルで演出できる監督を考えたとき、是枝さんしかいないと思いました」
実際に川村から電話を受けた是枝は、「自分の力だけでは、繋げてくれる川村さんたちのような人がいなければ、決して成立しないコラボレーションだった」と感謝を述べた上で、実はプロットを読まない段階からすでに引き受けると心を決めていたと公言する。理由のひとつは、映画とドラマ、互いにフィールドは違っても、ネグレクト、犯罪の加害者、擬似家族など是枝が映画で取り上げてきた題材を、同じ時代の空気を吸う中で、坂元もまたドラマで描いてきたというシンクロニシティ。そして「自分には書けない物語、描けない人間を、丁寧に紡ぐ脚本家として、もしも自分の映画で脚本を書かないなら、坂元さんにお願いしたい」と、対談などの場でむしろ是枝のほうからラブコールを送っていたことも大きかったと振り返る。
『怪物』で描かれたのは “悪気はなくても、自分の正義は誰かにとって、時に凶器になる”という真理だ。川村の言葉を借りると「黒澤明監督の『羅生門』的な」構造を使った今回の表現は、ある事件を息子思いのシングルマザー、生徒思いの教師、無邪気な子どもたち、3者の視点から炙り出し、ラストに向かうにつれはたして誰が怪物なのかを、トリッキーに問いかける。
「多くの人が悪意を語ろうとするけれど、どちらかというと、正義とか善意の方が怖いこともある。戦争もネット内での分断も“正義”と“正義”のぶつかり合いで、自分のアングルでしか物事を見ることができないことにより発生しているように感じます。今回の制作にあたってはそこをどう物語で見せるかを、坂元さん、是枝さんとずっと話していました。脚本のプロセスにおいても、最初に坂元さんが書いた脚本が3時間分くらいあって、それを坂元さんがご自身が切っていく。でも是枝さんからは『あそこは戻してほしい』みたいな話もあって、僕は相撲の行司みたいな役回りで、坂元さんと是枝さんという強い力士同士が戦うなかで、お互いを殺さず、かつお互いが組み合わないとできないことを見出していく、ということを、是枝さんとの編集のプロセスに至るまでずっとやっていた気がします」
そうした両者との時間は、一方で、川村にとって学習のプロセスにもなった。坂元でいえば、言葉を扱う人でありながら言葉を誰よりも疑い、例えるなら「悔しい」というセリフを「悔しい」とそのまま言うことができる人は本来少数派で、多くの人間は怒ったり泣いたり見なかったことにする、その行為までを、新しい言葉として示し続ける姿勢。是枝でいえば、子どもへの演出はもちろん、年下のクリエイターたちにおもねることなく、かといって威張るわけでもなく、だからこそみんなが惜しげもなく是枝に与えるというフェアな佇まいだ。
「現場には20代の演出助手もいて、彼らは平気で是枝さんにものを言う。でも、それは是枝さんが『何を意見してくれてもいいよ』というムードを出しているからで、その意見を取り入れて、『こういうふうに編集してみたんだけどどうかな?』とショートメールでラフに送ってきたりする。変えることを厭わないし、変えてもダメなら戻せばいいやってところもあって。キャリアを積んでくるとなかなか自分の言ったことを撤回できなくなるものだけど、常に自分のアングル以外を試すことができて、『ごめん、やっぱり元に戻したい』と言えるって、本当に大切だと思いました。
子どもたちにしても、大人から演出されていると感じたらそれはお芝居になるけど、是枝さんが対等に接することで、子どもが子どものまま映画に写ることになる。きっと世界中のフィルムメイカーが是枝さんの子どもの演出マジックを盗みたいと思っているはずで、僕もそうでしたけど(笑)、つぶさに観察した結果、そこはもうテクニックじゃなくて、是枝さんの人間性でしかないと結論づけました。
相手に向いていたカメラがくるっと自分に向くことをカットバックと言いますけど、僕を含むほとんどの人が自分の見た世界についてはアップやロングで語るのに、自分が相手からどう見えているかを想像する力が欠如していたりする。今回の『怪物』もまさに、自分では正義を語っていても、いざカメラが自分に向いたときに実は鬼の形相になっているかもしれないという話で、そういう意味で是枝さんのように、カットバックのカメラで定期的に自分の姿を見ることで他者への想像力を失わないことは大事だと思います」
わかるとわからないの狭間を描く、日本の繊細な感受性を物語に
昨年、川村元気は、認知症で時間と空間が錯綜する祖母との私的な経験をもとにした自身4作目の小説『百花』を原作として初の長編監督に挑み、サン・セバスティアン国際映画祭にて最優秀監督賞を受賞している。短編では佐藤雅彦や『百花』の脚本を担当した平瀬謙太郎らと共に監督した『どちらを』を2018年に発表。同作はカンヌ国際映画祭でショートフィルム部門のコンペティションにノミネートもされているが、本人曰く「絶えず新人になれる場所を探して」、小説からアニメーションまで領域を広げてきた川村にとって、最もハードルの高いデビュー戦が『百花』を自ら撮るというチャレンジだった。
「『どちらを』は、映像手法がテーマやストーリーを規定するという作り方が評価されて、カンヌに呼んでもらった作品なんです。次はいよいよ長編を撮らなきゃいけないなって気持ちがどこかにあって、決定的な企画を探していたときに、『百花』をベースに人間の脳の働きや記憶を表現する映像手法が、自分の中で明解にイメージできた。それを誰かに伝えて撮ってもらうより、自分で再現した方が早いという想いもありました。他にもアニメーションでやってきたカラーマネジメントのような、アニメと実写の中間みたいな表現があったり、音楽においても認知症の人の記憶を表現するためにクラシックを一度壊して再構築したり。『百花』はそうやって自然と自分のアイディンティティの集合体になっています。デビュー作ですし日本映画としてはかなり特殊な作り方をしている作品なので、当然ながら反省や後悔もたくさんあります。でも、とにかく長編を1本、自分で撮ったことで、もう一段上の筋力を付けて『怪物』で坂元さんと是枝さんに向き合うことができたのは間違いないです」
さらに今年2月には『君の名は。』『天気の子』に続き、新海誠監督と制作を共にした『すずめの戸締まり』がベルリン国際映画祭のコンペティション部門にノミネート。日本のアニメーション映画としては2002年の『千と千尋の神隠し』以来の快挙で、結果、日本映画としての海外興行収入は、史上最高を記録した。そうしてヨーロッパではまだまだ立場が弱いとされるアニメーションでも結果を出し、世界の観客と前向きにコミュニケーションができるようになったいま、表現における日本のストロングポイントを、川村はどう見ているのだろう。
「『百花』『すずめの戸締まり』そして『怪物』の3作のテーマは関係していて、どれも、日本という小さな国に生きる日本人から見た社会や世界をどう捉えるかという視点で描かれています。そして日本の人口が減ってマーケットが縮小し、海外にも必然的に作品を売っていかなければならないなかで、勝算があると感じているのが、日本人がもっている感受性のレイヤーです。英語より日本語の方が表現の層が多いように、そのレイヤーをもって感じたことを、キャラクターや物語にすることができるのも日本の強み。物量勝負になるともう中国やアメリカに勝てないですが、エンターテインメントに限らず、アートやビジネス、サービスの世界もきっと同じで、物語化することでこそ日本人の強みが活きる。逆に『なるべくみんなにわかりやすく』みたいなことで、黄色という色をイエローとだけ言ってしまうかのように、その色から感受したレイヤーを物語化しないでいると、どんどん強みが削がれていくような気がします」
まずもって、今の時代やこの世界をどう見ているか、そこから何を感じているかーー。『怪物』はまさに、社会や世界を誰よりも目を逸らさず見つめて作品に昇華させてきたトップランナーが集結したからこそ産み落とされた映画史に刻まれる傑作であり、我々観客にも、目を見開いて、この世の中を、その我が姿を見よと、迫り来る。
「でも、作り続けるのは、本当につらいです(苦笑)。一瞬でも幸せを感じたのはカンヌの公式上映が終わってスタンディングオベーションを味わっていた9分半だけです。『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞の作品賞を受賞した友人のポン・ジュノも、よく『毎日つらくて生きていくのが大変だ』と言っています。けれども是枝さんや坂元さんという大先輩を見ていると、日々苦行の中にあってもいろいろな人とものを作ることで、まだまだ次を目指している。僕も彼らのような年齢になったときに『怪物』を超える物語を生み出せるように、また一瞬の幸福のために、日本から物語を発信し続けたいと思います」
川村元気(かわむら・げんき)
1979年横浜生まれ。『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』などの映画を製作。2011年、優れた映画制作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。2012年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、同作は25カ国で出版された。2018年、初監督短編作品『どちらを』がカンヌ国際映画祭短編コンペティション部門に出品され、2022年には『百花』にてサン・セバスティアン国際映画祭にて最優秀監督賞を受賞。2021年、初の翻訳本『ぼく モグラ キツネ 馬』を刊行。他著に小説『億男』『四月になれば彼女は』『神曲』、対話集『仕事。』『理系。』など。2024年春には米津玄師やあいみょんのMVなどでも注目を集めてきた山田智和が初監督を務める『四月になれば彼女は』の実写映画が公開予定。
『怪物』
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