BY KANA ENDO
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さまざまな立場から眺める「家族の絆」を紡ぐ映画
『ベルファスト』
故郷への郷愁や家族との思い出をみずみずしく描く
バディはベルファストに住む9歳の少年。両親と兄、近所に住む祖父母とともに、毎日を楽しく過ごしていた。しかし1969年8月15日、突然暴動が勃発し、穏やかで平和だったバディの世界は瞬く間に荒れた世界へと変わってしまう。住民皆が顔なじみで、まるで一つの家族のようだったベルファストの街は、この日を堺に分断されていく。暴力と隣り合わせの日々を過ごすバディ一家の内部でもさまざまな事件が起き、故郷を離れるかどうかの決断を迫られることになる。
本作は、ベルファスト出身のケネス・ブラナーが制作・監督・脚本を手掛けた自叙伝的作品だ。彼の愛した街や愛した人たちのほとんどを、アイルランド出身の実力派俳優たちが演じ、ベルファスト出身のヴァン・モリソンの楽曲や1960年代のイギリスのポップソングが迫力ある演技に華を添える。バディの視線によって描かれるベルファストで生きる市井の人々の悲喜こもごもが、モノクロ映像ながら実に鮮やかで生き生きとしていることに驚かされる。色を廃した映像は光と影が強調され、その表情は力強くノスタルジックに観客に訴えかける。
暴動やアイルランドなどと聞くと、自分ごととは感じられないかもしれないが、本作はどんな立場や境遇の人にも寄り添ってくれる作品ではないかと思う。家族を危険な場所に残し、単身ロンドンで仕事をしなければならない父や、家族を守らなければならない母、孫のことが可愛くてしょうがない祖母、妻のことを出逢った頃のように愛する祖父など、ありふれたどこにでもある光景があまりにもみずみずしく、性別や年齢を超越して自分自身を彼らに投影させ、気づくとまるでバディ一家の一員になったかのように物語に没入してしまうのだ。紛争によって故郷を離れなければならなかった人たちの苦しみ、愛する家族や友人と離れ離れにならざるを得なかった者たちの悲しみが終盤にかけて描かれ、心が締め付けられる。そして今、世界中に同じような境遇の人々がたくさんいることを思い出すだろう。
『ベルファスト』
Blu-ray: 2,075 円 (税込) / DVD: 1,572 円 (税込)
発売元: NBCユニバーサル・エンターテイメント
NETFLIXでもデジタル配信中
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『Our Friend/アワー・フレンド』
愛と友情を超えた絆を美しく丁寧に描く
ジャーナリストのマットと妻で舞台女優のニコルは、幼い二人の娘を育てながら賢明に毎日を暮らしていた。しかし、ニコルが末期がんの宣告を受け、妻の介護と慣れない子育ての重圧からマットは崩壊寸前に。家族の仲もぎすぎすしてしまう。そんなとき手を差し伸べたのが親友のデインだった。200キロ以上離れたニューオーリンズに住むデインは、住み込みで一家をサポートすることを引き受ける。
本作はマット(=マシュー・ティーグ)が2015年に発表し、「Esquire」誌に掲載され全米雑誌賞を受賞したエッセイ『友よ』を元にした実話である。デインはマット一家と血の繋がりはなく、法律上は家族ではない。しかし、デインを家族と呼ばず誰を家族と呼べるのだろう。自分の仕事や恋人を諦めることになっても、マット一家に24時間365日身を捧げるデインは、彼らにとって家族以外の何ものでもない。生物学的な繋がりや制度に縛られない愛の絆が存在することを本作が教えてくれる。
一体なぜデインはこれほどまでにマット一家を愛していたのか。その理由は物語の後半で描かれる。SNSで近況を知ることができ、簡単に連絡が取れる時代にいる私たちは、いつでも連絡できることを言い訳にして、何でもない日に連絡するのをつい躊躇ってしまうが、気軽に「元気?」や「どうしてる?」というメッセージを投げかけるだけで人は救われることがあるのだ。おせっかいと思わず、私はあなたのことを気にかけているよ、ということを伝えることがいかに大切かが描かれる。親友という言葉では語り尽くせない絆を感じることができる本作は、ティッシュボックスを脇において鑑賞するのがおすすめだ。
『Our Friend/アワー・フレンド』
スターチャンネルEXにて配信中
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『aftersun/アフターサン』
父娘の儚いひと夏の思い出から愛を見つけ出す
11歳のソフィと離れて暮らす31歳の父親カラムは、一緒に夏休みを過ごすため、トルコのリゾートを二人で訪れる。眩しい太陽の下、カラムが持ってきたビデオカメラでお互いを撮影しながら、二人ははしゃいだり、時に口喧嘩をしたりしながら濃密なひと夏を過ごした。20年後、当時の父と同じ年齢になったソフィは、懐かしい映像の中に大好きだった父との記憶を手繰り寄せ、当時は知らなかった彼の一面に気づく。
本作は心温まる家族の話ではない。しかし、愛について描かれていることは間違いない。ソフィーの視点では、毎日が文字通り“夏休み”で楽しくキラキラしているが、父・カラムは、まるで毎日が夏休み最後の日のような寂しさをもっているように感じられる。ティーンへと成長していくソフィーと11歳の娘と離れて暮らす父親のカラム。親密でありながらどこか距離があり、現実の記憶とビデオ映像の記録といったさまざまな対比が、ストーリー上でも画面上でも見事なバランスで描かれ、本作が長編デビューという監督のシャーロット・ウェルズの手腕の高さに驚かされる。
余白の多い作品ゆえ、父と娘の夏休みの旅に想いを馳せることもできるし、一つ一つのシーンに意味があるかもしれないと深く考察することもできるが、ソフィーはカラムの全てを“お見通し”だったのではないだろうか。空を見ながら不意に「空を見ると、離れていてもパパと同じ太陽の下にいると思えてうれしい」と言ったり、誕生日をサプライズでお祝いしてくれたり、子供というのは親にとってその存在だけで愛なのだと気付かされる。私は、自分の親孝行は足りないのではないかと焦る気持ちが常にあるが、自分が愛されてきたのと同じくらい自分も親を愛してきたはずだと本作を観て思うことができた。特別なことをしなくとも、お互いを想い合うだけで愛を伝えられるのが家族なのだ。ソフィの無邪気な問いが救いとなる。「パパはママと別れたのになぜ電話を切るとき愛していると言うの」。それに対しカラムはこう答えるのだ。「だって家族だから」。
『aftersun/アフターサン』
Blu-ray & DVD 2024年1月10日発売
Blu-ray:5,500円(税込)/ DVD:4,400円(税込)
発売元:株式会社ハピネットファントム・スタジオ
販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング
U-NEXTでもデジタル配信中
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時代の先輩に教わる女性としての生き方とは──
『レディ・バード・ジョンソンの日記』
出しゃばらずとも巧みに自分の考えを示す──
ケネディ大統領暗殺事件で副大統領から大統領に昇格し、政権を引き継いだ第36代アメリカ合衆国大統領リンドン・ジョンソン。その妻であったレディ・バード・ジョンソンが残した音声日記を元に、大統領を支えるファーストレディとしての務めや、ホワイトハウスでの生活を描いたドキュメンタリー作品。
レディ・バードという名は、本名ではなく子供の頃から一貫して使用していた本名同様の通称だ。本名はクローディア・アルタ・テーラー・ジョンソンと言い、一般にはほとんど知られていない。幼少期にてんとう虫(=レディバード)のように愛らしかったことから付けられ、本名のように定着したという。リンドン・ジョンソンは、人種差別制度を禁止し、公民権法を成立させ、黒人初の最高裁判事を任命した大統領で、その功績はルーズベルト大統領に匹敵するほど目覚ましいと言われる一方で、ベトナム戦争への軍事介入を拡大させ、世論との対立を生み出した。
本作は、レディ・バードが録音した123時間に及ぶ音声テープを元に、その肉声と当時の映像やイラストを組み合わせて構成されており、ケネディ大統領暗殺事件の回想や、エアフォースワンの中で行われた大統領就任式の様子などの裏側を垣間見ることができる。夫である大統領に「今日の演説はBプラス」と酷評したり、スピーチを変更するよう進言するも「口出しするな」と否定されたりするが、彼女の存在が政権運営に少なからず影響を与えている様子がうかがえる。女性の立場が今ほど認められていなかったであろう時代において、男性に真っ向から立ち向かうのではなく、軽やかに理知的に振る舞う様子は、見習うべき姿勢かもしれない。とかくその装いが注目されがちなファーストレディだが、大統領に唯一、忖度せず進言できる人物として、市井の人々と国家とのパイプ役を果たした姿に、どんな女性にも必ずその人にしかできないことがあると勇気をもらえる作品だ。
『レディ・バード・ジョンソンの日記』
ディズニープラスのスターで独占配信中
© 2022 American Broadcasting Companies, Inc.
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『ナイアド 〜その決意は海を越える〜』
歳を重ねることをポジティブに捉えられる──
マラソンスイミングの選手を引退して30年。60歳になったダイアナ・ナイアドは、母の遺品から見つけた本に感化され、20代の頃に叶えられなかった夢に再び挑戦したいという思いが膨らむ。それは、キューバからフロリダまで約160キロの海峡を泳いで渡るという挑戦だった。親友であるボニーにコーチを頼み、人生をかけた夢に向かっていく。本作ではナイアドをアネット・ベニング、ボニーをジョディ・フォスターが演じる。
ダイアナ・ナイアドは実在の人物で、本作は実話をもとにしたノンフィクションだ。最初の挑戦は1979年、28歳の時だった。体力的には28歳の時の方が確実に有利にも関わらず、それでも夢に挑もうとするナイアドには、若い時よりも強い心があった。そして今回は親友のボニーも一緒だった。彼女たちの周りに集まった精鋭チームと、そのチームを信じられるようになっていくナイアド。若い頃や今回の挑戦を始めた時点では自分の能力を過信するあまり、人の意見を素直に聞けず、自分の主張ばかりしていたが、いつの間にか自分の弱さをさらけ出すことができるようになっていく。チームメイトの信頼を得たナイアドは、60歳を過ぎているにも関わらず、最初の挑戦の時よりも強くなっていくのだ。
また数々の名画に出演してきたアネット・ベニングとジョディ・フォスターという名優が、メイクもほぼせず、髪もボサボサでシワをさらけ出し、ありのままの姿でスクリーンに登場していることにも勇気づけられる。加齢により変わっていく自分を受け入れ、認めてあげることで放たれる清々しい美しさがそこにはあり、歳を重ねることへの恐怖を払拭してくれる。40代や50代になると人生の行き先をなんとなく決めつけてしまいがちだが、何歳になっても変わることはできるし、人生を心から楽しむことができると教えてくれる。
『ナイアド 〜その決意は海を越える〜』
NETFLIXで配信中
©NETFLIX
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秋の夜長に見たいアートな映画
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
映画を最も深く理解していた偉才──
数々の映画音楽を手掛け、2020年、91歳でこの世を去ったエンニオ・モリコーネ。『荒野の用心棒』、『アンタッチャブル』などを始め、500作品以上の映画やTVドラマの音楽を制作し、アカデミー賞®には6度ノミネートされ受賞もしている。そんな伝説の音楽家が自身の半生を振り返る様子を『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレが監督したドキュメンタリー作品。
かつて映画音楽は地位が低く、アカデミックな音楽を学んだモリコーネは劣等感に加え、罪悪感まで感じていたと涙ながらに語る。名声を得ながらもそのジレンマと葛藤し、音楽家としての誇りを手にするにまでの課程が、懐かしい名画や、監督らの言葉とともに紐解かれていく。モリコーネによって語られる制作の裏話が小気味よく、またその記憶力の良さにも驚く。自分の作った作品ゆえ当然なのかもしれないが、語りながら口ずさむメロディーは、まるで楽器のように曲ごとに音色を変え、音程も速度もオリジナル音源と寸分違わない。
また豪華な出演者も本作の見どころだ。モリコーネとともに仕事をした70人以上の著名人へのインタビューを敢行し、盟友であるセルジオ・レオーネをはじめ、クリント・イーストウッド、オリバー・ストーン、クエンティン・タランティーノといった名監督からブルース・スプリングスティーン、ハンス・ジマーなど映画や音楽に関わる多くの著名人が登場し華を添える。まるで彼らからのラブレターのように愛あふれる言葉に心温まり、アカデミー賞®受賞シーンや、ワールドコンサートのシーンでは感極まるだろう。本作はとにかく映画が見たくなる、映画音楽が聞きたくなるそんな作品だ。
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
Blu-ray:¥5,390、DVD:¥4,290
発売・販売元:ギャガ
Amason Prime Videoなどでレンタル配信中
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『アイ・ウェイウェイ:ユア・トゥルーリー』
アートが人々を動かしていく現場を体感できる──
中国を代表する現代美術家であるアイ・ウェイウェイは、自身の政治的発言により2011年4月に北京空港で身柄を拘束される。同年6月に釈放されるも、パスポートを剥奪され中国から出ることができず半ば軟禁されたような状態に。そんな時に企画された個展が「@Large」で、本作はその「@Large」開催を追ったドキュメンタリーだ。
「@Large」は、かつて刑務所として使われ、今では国立公園となったサンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズ島で開催された。今でも刑務所施設は残っており、毎日多くの人が見学に訪れる観光名所だ。本展の主題は“自由”だとアイ・ウェイウェイは語る。詩人であったアイ・ウェイウェイの父が政治的発言により僻地へ追いやられ、20年間トイレ掃除をして暮らしたことをモチーフに独房のトイレを陶器の花で埋め尽くした《BLOSSUM》や、チベットでは太陽光が強いため金属板の反射光でお湯を沸かすそうだが、その金属板を鳥の羽と見立て、自由のメタファーとして翼を表現し、檻の中に配した《REFRACTION》など、“自由”をテーマにした多様な作品が展示される。
なかでも、人権や言論の自由を訴えたり、政府の不正を告発したりしたことで、不当に刑務所に収監された活動家や政治犯176人の肖像を、カラフルなレゴブロックを使い表現した《TRACE》が本展のメイン作品だ。会場には肖像とともに各活動家宛のポストカードが用意されており、展覧会を訪れた人たちは、彼らに直接手紙を書き、支援の声を届けることができるのだ。ある活動家の元には毎週何百通もの手紙が届き「私は忘れられていなかった」と涙を流したという。自由を奪われたアイ・ウェイウェイや、世界各国にいる不当逮捕されたアクティビストたちの現状を、アルカトラズという特別な場所が生々しく描き出す。日本語訳の拙さが少々気になるものの、言葉を介さなくとも伝わるアートの力を感じることができるとも言えるだろう。声を上げてきた人々を忘れないこと、彼らの活動を知ることこそが、自由へと近づく大切な一歩だと気づかせてくれる。
『アイ・ウェイウェイ:ユア・トゥルーリー』
Amason Prime Videoでデジタル配信中
©FOR-SITE
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女優マーゴット・ロビーがプロデュースする作品から現代社会の問題を学ぶ
『プロミシング・ヤング・ウーマン』
果たしてあの時の自分は大丈夫と胸を張って言えるか ──
大学時代に起きた事件によって約束された明るい未来を奪われたキャシー。医大を中退し、コーヒーショップの店員として働いているが、夜になると派手なメイクと服装でバーやクラブへ出かけ泥酔したふりをし、介抱する体でお持ち帰りする男性たちに制裁を加えていた。実はこの行動は、キャシーの幼なじみニーナに起きた事件に理由がある。大学時代のクラスメイトであるライアンと偶然再会したことで、キャシーの壮絶な復讐計画が始まる。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』とは、“将来を約束された若い女性”の意味だが、本作では皮肉として使われている。キャシーがニーナに起きた性暴力を問い詰めるべく学部長の元を訪れた際、「こういった事件は毎日起きていて、その度に“前途有望な青年”の未来を潰すわけにはいかない」と答えるのだ。前途有望なのは男性だけではないはずなのに、女性の未来は一体どこにいってしまったのか。
このように本作では、被害者にも落ち度があったのではないかとか、加害者に対して若気の至りだからなどといった考えが間違っていることを示すと同時に、ただ何もせず傍観していた人、それも罪なのだと突きつけてくる。さらに傍観者も含め加害した登場人物たちは極悪非道な人間ではなく、普通のどこにでもいて、しかも自分は少し意識高い系と思っているような人物たちだ。これにより、性暴力でなくてもいじめやパワハラなど、自分はあの時大丈夫だっただろうかと、観ている人全員が居心地の悪さを感じるはずだ。
また直接的に性暴力を描くシーンがないことも巧妙で、余白を残しながら物語が進行していくが、音楽や衣装、大道具などによる見事な演出がストーリーを補っていく。鋭いメッセージ性を持ちながらも単なるフェミニズム映画ではなく、スリラーかつポップでダークなコメディという非常に高いエンタメ性のある作品だ。これまでの自分の振る舞いを見つめ直し、世界を変えることのできる映画ではないだろうか。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』
Blu-ray: 2,075 円 (税込) / DVD: 1,572 円 (税込)
発売元: NBCユニバーサル・エンターテイメント
© 2019 FOCUS FEATURES LLC/PROMISING WOMAN, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
Netflixでもデジタル配信中
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大人にこそ観てほしい極上のアニメーション&SF作品
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
前任のスパイダーマン、ピーター・パーカー亡き後、スパイダーマンを継承し、悪と戦い街を守っている高校生のマイルス・モラレス。人々を救うためとはいえ、授業を何度も欠席していることが両親にバレてしまうが、自らの正体を明かせず、自分の将来に悶々としていた。そんなとき、唯一心を許せる友人でスパイダーウーマンのグウェンが別の次元からやってくる。久々の再開を喜ぶ二人だったが、ヴィランであるスポットを追っていたグウェンは、早々に別の次元に行ってしまい、マイルスも後を追いポータルに飛び込む。そこでマイルスは様々なユニバースからやってきたスパイダーマン達による最強チームに出会う。自分もチームに入りたいと懇願するが、それには衝撃の運命が待っていることを知る。それは愛する人と世界を同時には救えないという、かつてのスパイダーマンたちが受け入れてきた哀しい運命だった。マイルスは、スパイダーマンとしての運命に抗い、自ら歴史を変えるべく戦い始めるが、その決意が宇宙最大の危機をもたらすことになる。
前作『スパイダーマン:スパイダーバース』は、CGアニメーションの歴史を変えた革命的な一作と評され、アカデミー賞® 長編アニメーション賞を受賞した傑作となった。最先端のCGと手書きのアニメーションの融合による、コミックがそのまま動き出したような美しくダイナミックな表現を実現するとともに、誰もがヒーローになれるという強いメッセージやストーリーを彩るサウンドトラックも相まって、単なるスパイダーマン映画、アニメーション映画という枠に収まらないアート作品のような映画だと言える。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」。スパイダーマンシリーズで度々登場する言葉だが、本作では、これまでスパイダーマンたちが受け継いできた“哀しきお決まり”を打ち破り、自らの運命に立ち向かうスパイダーマン、マイルスの姿が描かれる。これまで多くの秀作を生み出してきたシリーズのなかにあって、本作はストーリーをぐっと深化させ、暗黙の了解とされてきたダブーに切り込んでいく姿が、まさに今描かれるべきスパイダーマンとして相応しいストーリーとなっている。
もちろんCGアニメーションも前作以上に存分に愉しめる。まるでジェットコースターに乗っているかのようにダイナミックにアングルが切り替わり、わくわくが加速し映像に没入していく。さらに主人公たちの心境が色彩や絵のタッチで表されるという、実写映画ではなしえないアニメーションならではの表現方法により、画面全体で見る者に訴えかけてくる。まるで音楽と映像を用いたインスタレーションを見ているかのような、新しい映像体験ができる作品ゆえ、劇場での鑑賞が断然おすすめだ。
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
全国の映画館で公開中
©2023 CTMG. © & TM 2023 MARVEL. ALL RIGHTS RESERVED.
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『ソウルフル・ワールド』
中学校の非常勤講師として生徒たちに音楽を教えているジョーだが、ジャズミュージシャンになる夢を捨てきれず悶々と日々を過ごしていた。ある日、憧れのミュージシャンのバンドメンバーとして演奏することになり、有頂天になったジョーは、マンホールの穴に落ちてしまう。目覚めるとそこは死後の世界へ向かう通路。なんとしてもライブに出演したいジョーは必死で抵抗し、別の世界へたどり着いてしまう。そこは生まれる前の魂である“ソウル”たちが、“どんな自分になるか”を決める世界だった。ソウルたちはさまざまな体験を通して“人生のきらめき”を見つけることで地上へ向かうことができる。22番という名のソウルのメンターになったジョーは、地上に戻るために協力を求めるが、22番は何にも興味を示さず、地上行きのチケットはなかなか手に入らない。
本作は、一見ファミリー向けの作品に見えるが、大人にこそ見て欲しい哲学的な作品だ。もちろん子供が見ても愉しめる作りにはなっているが、ずしんと心の奥に響く深いストーリーは、人生の楽しいことも辛いことも経験してきた大人だからこそ共感できることが多い。例えば、スポーツや仕事に熱中し、普段は出せないようなパワーを発揮した際“ゾーンに入る”という表現を用いるが、作品内ではソウルたちがゾーンに入る様子が巧妙に描かれる。ゾーンに入り込みすぎたソウルは迷える魂となり、暗晦な世界へ堕ちていく。このように、“気持ち”という目に見えない曖昧なものを視覚として捉えられることで、自分はなぜ落ち込みやすいのか、なぜ怒りっぽいのか、何のために生きているのだろうといった日々生きていく中で生じる疑問に、ひとつの解答例を示してくれる。
そして鑑賞後には、何か大きなことを成し遂げたり、夢を叶えたりしなくても、自分の人生に誇りを持っていいのだと思うことができるはずだ。まるで温かいお風呂に浸かるように、じんわりと心がほぐれていくのを感じるだろう。夢を追い続けるジョーと、何のために生きるのかわからない22番。彼らの冒険を通して、「生きる」とは何か、人生の目的とは何かを問いかける。ジョーと22番が見つけた答えに心が震える。
『ソウルフル・ワールド』
ディズニープラスで配信中
© 2023 Disney/Pixar
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アカデミー賞受賞傑作ドキュメンタリー
『ファイアー・オブ・ラブ 火山に人生を捧げた夫婦』
一組のカップルと火山との三角関係を描く
火山学者であるフランス人夫婦、カティアとモーリスが、1960年代後半に世界中の火山を訪ね撮影した映像を元に、夫妻の火山への愛を描くドキュメンタリー作品。火口ぎりぎりまで近づいたり、溶岩の上を歩いたりといった、命がけの調査活動は、火山学を大きく前進させることに貢献した。ナレーションは映画監督であり作家、アーティストでもあるミランダ・ジュライが務める。2022年のサンダンス映画祭で上映され大きな話題を呼び、第95回アカデミー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた。
同じ土地で生まれ、同じ大学へ通い、同じように火山を愛する二人は運命に導かれるようにストラスブール大学のベンチで偶然出会う。二人は世界中の噴火している山に出かけ、時には噴火口ぎりぎりまで近づき、写真や映像に収め続けた。彼らは持ち帰った写真や映像で書籍や映画を制作したが、本作で使われている16ミリカメラで撮られた映像の多くは、30年の時を経て初めて日の目をみたという。映像の中の彼らは、流れる溶岩の側でおどけたりはしゃいだりしており、通常であれば危険を感じこわばった表情になるであろう噴火口にあっても、実に穏やかな表情で幸福感に満ちており、火山を愛していることが鮮やかに映し出される。
本作は、噴火のメカニズムなどの学術的なことにフォーカスするのではなく、あくまで火山と夫婦の愛の三角関係を描く。ミランダ・ジュライによる静謐なナレーションが、火山の荒々しさとは正反対で、まるで詩の朗読を聞いているような叙情的な気持ちにさせてくれる。夫妻は火砕流に巻き込まれて亡くなるが、彼らの残した記録は今も生き続け、噴火の被害から多くの人々を救っている。
『ファイアー・オブ・ラブ 火山に人生を捧げた夫婦』
ディズニープラスで独占配信中
© 2023 NATIONAL GEOGRAPHIC PARTNERS, LLC.
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『ナワリヌイ』
ロシアの活動家アレクセイ・ナワリヌイの暗殺未遂事件の真相に迫る
2020年8月、プーチン政権への痛烈な批判活動で支持を集めるロシア人政治家、アレクセイ・ナワリヌイは、シベリアからモスクワへ向かう機内で突然、昏睡状態に陥る。緊急着陸により奇跡的に命を取り留めるが、何者かにノビチョクという毒物を投与されたことが判明する。プーチン大統領は即座に一切の関与を否定するが、ナワリヌイは自分に毒を盛った者の正体を暴くべく、自身で調査チームを結成し、命がけで独自調査を進めていく。カメラは緊迫する調査現場に密着し、驚くべき事実が明らかになる。
監督は暗殺未遂事件の直後から、ナワリヌイや家族、調査チームに密着し、本作を製作。ニュース映像とインタビュー映像を織り交ぜながら、ナワリヌイが反体制派のリーダーとして多くの支持を集め、政府にとっていかに脅威であったかを描く。また、多くの市民がナワリヌイの集会やデモに参加している様子も映し出し、ロシア国内での人気の高さがうかがえるとともに、正義を訴え行動を起こす人々がロシア国内にも多く存在することが見て取れる。衝撃の事実が明らかになっていく様子はさながらスパイ映画のようにスリリングだが、紛れもない事実ということに驚愕するだろう。ナワリヌイは「もし私が殺されることがあっても、諦めないで」と支持者に語りかけた。現在も国家とナワリヌイの闘いは続いている。
『ナワリヌイ』
Blu-ray、DVD発売中、U-nextなどで配信中
Blu-ray ¥4,730、DVD ¥4,290
©2022 CABLE NEWS NETWORK,INC.A WARNERMEDIA COMPANY ALL RIGHTS RESERVED.COUNTRY OF FIRST PUBLICATION UNITED STATES OF AMERICA.
『エレファント・ウィスパラー:聖なる象との絆』
象と人間との対話から幸せの本質が垣間見える
南インドのタミルナド州にあるテッパカドゥ・エレファント・キャンプは140年前に設立されたアジアにある最も古い象の保護施設で、様々な理由により野生で生きていくことが困難になった象を保護し育てている。そこで働くボマンとベッレは、親を失った子象の飼育に南インドで初めて成功する。小象ラグと親代わりになったボマンとベッレの愛の物語を描くドキュメンタリー。
ボマンとベッレは森の王を意味する部族、カトゥナヤカンの出身。エレファント・キャンプは広大な森のなかに存在し、干ばつや森林破壊などによる餌不足から人里に現れたため事故に遭い親を亡くした小象や、怪我などで群れからはぐれてしまった象を保護している。保護施設といっても、動物園のように檻に入れられているわけではなく、猿やイノシシなどの野生動物が象たちの足元を駆け抜けるなか、象たちは自然の中でのびのびと生活している。ボマンとベッレの元にやってきた小象のラグは、まるで人間の子供のように笑ったり、いじけたり、はしゃいだりと感情をあらわにし、それが映像を通して手に取るように伝わってくる。ラグのその豊かな表情から、愛情をたっぷり注がれ幸せな生活を送っていることをうかがい知ることができる。
「象は私達にとって神と同じような存在なので、神に仕えるように象に尽くしている。彼らの世話をすることで日々の糧を得られることができ、人生に神の存在を感じる」と語るボマンを羨ましく感じた。彼らの生活は都会でのそれとは比べ物にならないほどシンプルだが、充足感と幸福感に満ち溢れ、生きること、働くこと、本当の豊かさとは何かを問いかける。象たちの愛らしい表情と豊かな自然に癒やされ、心が洗われる作品だ。
Netflix映画『エレファント・ウィスパラー:聖なる象との絆」』独占配信中
公式サイトはこちら
新進気鋭の日本人監督に注目!珠玉の邦画3選
森井勇佑監督『こちらあみ子』
残酷なまでに無垢な少女の世界を体感できる
あみ子は小学5年生の少女で、父と妊娠中の母、兄とともに広島で元気いっぱいに暮らしていた。あまりに純粋で思ったことをなんでも口にしてしまうので、時に周りの友達や大人を振り回してしまう。誕生日に、お母さんがつくったあみ子の好物の五目ご飯も、絶対おかわりすると言ったもののすぐに飽きて、クッキーを食べ始めてしまったり、記念写真を撮りたいと、家族を集合させるも母親がまだ鏡を見て髪型を直しているのに撮影してしまったりと、あみ子にとっては何の悪気もない行動が、家族を困惑させ疲弊させていく。そして、あみ子は誕生日プレゼントの電池切れのトランシーバーに話しかける。「応答せよ、応答せよ。こちらあみ子」──。
この作品は心温まる家族ドラマではない。原作は今村夏子のデビュー作で、太宰治賞、三島由紀夫賞をW受賞した小説『あたらしい娘』(のちに『こちらあみ子』に改題)。監督は大森立嗣などの助監督を務め、本作で監督デビューした森井勇佑。
原作を読んでから「自分の中にあみ子が住み着いた」と語る監督。「あみ子の見ている世界と、あみ子には見えていない世界をどう描くか」を意識したという言葉通り、画角の切り取り方や、音声、ストーリー展開など、徹底的にあみ子の世界のなかで物語を描いていく。それゆえ、あみ子の母親のことや引っ越しのことなど明確な説明がないまま、物語は進んでいく。観客は一瞬戸惑いを覚えるが、これこそがあみ子が感じていることなのだ。観客はあみ子の世界に入り込み、あみ子を体感する。話してもきっと分からないから、あみ子にきちんと説明をする大人はいない。あみ子もそれを気にすることなく、次の話題に関心が移っていく。我々のいるこちら側とあみ子のいる世界には完全に隔たりが生まれ、「こちらあみ子、応答せよ」とトランシーバーでいくら呼びかけても返事はない。あまりに純粋がゆえ、異物となってしまうこちら側の世界。その異物を目の当たりにした時、自分はどんな行動をするのか試されているように感じた。終始心が苦しくヒリヒリと痛むが、あみ子が最後にした選択と言葉に救われる。誰も責めることなく、一方的にメッセージを押し付けることもない作風が、新しい映画体験となって心に刻まれるだろう。デビュー作にしてあみ子の世界を見事に描き出した森井監督に今後も注目していきたい。
『こちらあみ子』
Blu-ray&DVD、2/10発売
Blu-ray ¥5,280、DVD ¥4,620
発売元:2022『こちらあみ子』フィルムパートナーズ
販売元:TCエンタテインメント
©2022『こちらあみ子』フィルムパートナーズ
公式サイトはこちら
片山慎三監督『さがす』
一体何を見つけたかったのかがわからなくなる──
大阪の下町で暮らす原田智と中学生の娘である楓。貧しいながらも楽しく暮らしていた親子だったが、智は「懸賞金300万円がかかった指名手配中の連続殺人犯を見た」と言った翌日、忽然と姿を消してしまう。楓は父をさがし始めるが、警察には相手にされず、手がかりを求めて奔走する。日雇い労働の名簿に父の名前を見つけ職場を尋ねるも、そこにいたのは同姓同名を名乗る若い男だった。手がかりをなくし失意に打ちひしがれる中、街の掲示板に貼られた連続殺人犯のチラシをみると、そこには日雇い現場にいた若い男の顔写真が載っていた──。
2019年、自主製作映画『岬の兄弟』で長編監督デビューした片山慎三の2作目であり、初の商業映画となる本作。中盤まではテンポよく、まるで探偵映画のように次々と手がかりを見つけ、核心に近づいていくように思えるのだが、中盤以降、物語は思いも寄らない展開を見せ、あらゆる予想を裏切るかたちで結末を迎える。
本作では現代社会が抱える死生観や倫理観などの深い闇を描きながらも、ミステリーやサスペンス要素を取り込み、エンタテインメント性も極めて高い作品となっている。正しいことと地続きにある悲劇や、善と悪の境界にある隙間を、登場人物それぞれがもつ正義として生々しく描き出す。日本人で唯一、ポン・ジュノ監督の元で助監督を務めた経験をもつ片山監督。日本映画に足りないのは時間という持論を持ち、スタッフの数を絞りじっくりと時間をかけて撮影をすることで、商業映画ながら自主製作映画のようにアーティスト性も担保できたと話す。単に愚鈍なのか、またはそう見えるように仕向けているのかわからない原田智を演じた佐藤二朗や、大人にも物怖じしない意志の強い少女・楓を演じた伊東蒼。静謐で猟奇的な殺人犯、山内照巳を演じた清水尋也という芸達者な俳優陣と、監督の思いが見事に呼応したダークでシニカルな傑作といえるだろう。
『さがす』
Blu-ray&DVD発売中、デジタル配信中
Blu-ray ¥5,280、DVD ¥4,180
発売元:ギャガ
販売元:ギャガ
© 2022『さがす』製作委員会
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川和田恵真監督『マイスモールランド』
理不尽な社会を生き抜くクルド人の高校生を描く
サーリャは父と妹、弟と埼玉県に暮らす高校生。幼い頃に生活していた地を逃れて来日し、日本で育ったクルド人だ。父は「クルド人としての誇りを失わないように」と夕食の前には必ずクルドの祈りを唱え、周りのクルド人たちと支えあって生活してきたが、サーリャの妹と弟は日本語のみを話し、日本の文化の中で日本人として育っていた。サーリャは大学進学の資金を貯めるため、家族には内緒で川を隔てた東京のコンビニでアルバイトをしていたが、ある日、サーリャたち家族の難民申請が不認定になってしまう。在留資格を失い、就労することも、許可なく居住地である埼玉から出ることもできなくなったが、父は生活のために仕事を続け、サーリャもアルバイトを続けていた。しかし、父は不法就労が発覚し、入管施設に収容されてしまう。いつ出られるか分からない不安を抱えながら、サーリャは家族の面倒を一人で見ることになり、心身ともに疲弊していく。
監督の川和田恵真は、是枝裕和や西川美和らを中心とする映像制作者集団「分福」に所属し、本作が商業デビュー作となる。イギリス人の父と日本人の母をもち、監督自身も10代の頃に自分のアイデンティティに悩んだそう。本作を企画するきっかけとなったのは、2015年頃、ISISに土地を奪われたクルド人が男性女性を問わず銃を持ち、自分たちの暮らす土地を守るために戦っている写真を見たことだという。日本にも難民申請中のクルド人が2000人近くいることを知り、映画化の出発点となった。
本作で、主人公のサーリャを演じたのは、映画初出演の嵐莉菜。そしてサーリャの家族を演じたのは、嵐の実の家族である父と妹、弟だ。当初は在日クルド人をキャスティングしようと試みたが、難民申請中の彼らが自身の顔を出して映画に出演することで、将来何かしらの不利益を被るかもしれないと断念。しかし多くの在日クルド人に取材を重ね、本作は完成し、エンドロールに示された言葉に思わず落涙してしまう。
鑑賞中は、理不尽な現実を突きつけられ、自分の無力さに絶望してしまうが、自身のルーツを偽り、常に「しょうがない」と諦め苦笑いしていたサーリャの眼差しが終盤、がらりと変わっていく姿や、諦めず手を差し伸べ続けサーリャの良き理解者となっていく聡太に、新しい世代がもっている希望の光が見えた気がする。ニュースの中の出来事ではなく、そこにある血の通った物語として、多くの人が自分ごととして捉えられるようになるような社会問題への切込み方や子役への巧みな演出は、是枝監督イズムを感じさせる。厳しい現実を描き出す一方で、このような鋭い着眼点をもつ女性映画監督の活躍に光明も感じられる作品だ。
『マイスモールランド』
Blu-ray&DVD発売中、デジタル配信中
Blu-ray ¥6,600円、DVD ¥4,180
発売元:バンダイナムコフィルムワークス
販売元:バンダイナムコフィルムワークス
© 2022「マイスモールランド」製作委員会
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一人の女性、妻、母としての生き方を描いた注目作品3選
『ザリガニの鳴くところ』
母なる自然が育んだ型破りな少女の物語
1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、将来を嘱望された青年チェイスの死体が発見される。容疑者として逮捕されたのは“湿地の少女”と街の人から呼ばれているカイアだった。カイアは幼い頃、家族から捨てられ湿地の中に建つ家でたった一人で生きてきた。他者との関わりを絶ち、自然から生きる術を学んだカイアだったが、一人の青年と出会うことで、徐々に社会性を身につけていく。それまで誰にも語られることがなかったカイアの生い立ちが、法廷で少しずつ明らかになっていくが、決定的な証拠は見つからない。そしてついに判決がくだされることになる。
原作は動物学者ディーリア・オーエンズによる同名のミステリー小説。2019年、2020年の2年連続でアメリカで最も売れた本であり、日本でも2021年の本屋大賞翻訳小説部門第1位に輝いた世界的人気小説だ。リース・ウィザースプーンが映画化権を獲得し、テイラー・スウィフトが自ら楽曲参加を懇願したことからも、この小説の人気ぶりがうかがえる。このようにストーリーの面白さはお墨付きなわけだが、この映画を際立たせる要素として、俳優のデイジー・エドガー=ジョーンズと製作チーム、ロケーションの3点をあげたいと思う。主人公のカイアを演じたエドガー=ジョーンズは生粋のロンドン子。それゆえ、彼女はイギリス英語のアクセントを封印し、アメリカ南部の訛りを習得した。カイアの年齢によって声の高さを変えボートの操縦までやってのけ、自然のなかに生きる力強さと、少女の儚さを併せ持ったミステリアスでロマンティックなカイアを見事に演じきっている。
また、製作チームの大半が女性であり、その感性や視点が生かされていることも、この作品を類のない上作にしている理由のひとつといえるだろう。そして何よりもこの作品を際立たせるのが、そのロケーションの圧倒的な美しさだ。ルイジアナ州ニューオーリンズ周辺の複数の地域でロケ撮影され、みずみずしく生命の営みが匂い立つような湿地やビーチ、そして当時ノースカロライナで使われていた建材を使って建てられたカイアの家など、鮮やかな色彩が物語と一体となり映像に紡がれる。犯人探しというミステリー要素を主軸にし、DVやネグレクト、黒人に対する人種差別などの社会問題を織り交ぜた傑作だ。
『ザリガニの鳴くところ』
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
© 2022 SONY PICTURES ENTERTAINMENT (JAPAN) INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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『ドント・ウォーリー・ダーリン』
理想の暮らしとは何かを問うユートピアスリラー
アリスは夫のジャックとともに何不自由なく幸せな生活を送っている。彼らはビクトリーと呼ばれるコミュニティに暮らし、このコミュニティ内の夫たちは皆ビクトリー社に勤めている。妻たちは夫が出かけた後、風呂を掃除し窓ガラスを磨き上げ、バレエを習い、プールサイドで日光浴をし、夕食の準備を整え、美しく着飾って夫の帰りを待つ。ただ一つのルールは夫の仕事の詮索をしないこと。妻たちは夫が何の仕事をしているのか知らされず、ただ世界を良くする仕事だと伝えられていた。ユートピアのように美しい世界で理想の生活を楽しんでいたアリスだったが、身の回りで“不気味な現象”が頻繁に起こるようになり、この世界に疑問を持ち始める。
『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』で長編監督デビューした女優オリビア・ワイルドの長編2作目。異常なまでに完璧に整備された町並みや、明るく親切でユーモアのある完璧な隣人たち。“男は外で仕事をし、女は家庭を守る”という世界に住む“幸せ”な人々の生活をこれでもかと描き続ける。そんな隙がない世界がかえって不穏さを際立たせ、不気味な雰囲気がそこかしこに漂うのが本作の世界観だ。妻たちは何かおかしいと感じていながらも、目を伏せ意志を持って無知でいようとする。この理想的な生活を失いたくないゆえ、絶対に波風をたてたくないと考えているが、アリスだけはそうできなかった。製作/脚本&原案を担当したケイティ・シルバーマンは「自分が身を置いている体制が破綻していると認めるのは いかに難しいかということを示したかった」と語る。男性によって作られ組織化された世界を客観的に見ること、そして女性がその不自然さに気づくというテーマを、ユートピアという狂気を用いてファッショナブルに描く。またアリスの隣人であるバニーのように自らこの世界を選び、家父長制のなかで生きる選択をする女性がいることも否定しない。自分にとって、またパートナーにとってのユートピア、幸せとは何なのか、を考えさせられる。胸の奥に響くような重低音サウンドがストーリーを盛り上げるので、劇場での鑑賞がおすすめだ。
『ドント・ウォーリー・ダーリン』
配給:ワーナー・ブラザーズ映画
© 2022 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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『パラレル・マザーズ』
生みの親と育ての親、家族の絆とは何なのかを考える
写真家であるジャニスは、撮影で出会った既婚者である法人類学者と恋に落ち妊娠。40歳を目前にしてシングルマザーになる決意をする。産院でジャニスと同室だったアナは17歳。彼女もジャニスと同様シングルマザーで、同じ日に女の子を出産し、意気投合した二人は連絡先を交換する。元恋人に娘のセシリアを見せると、肌の色などから「自分の子供とは思えない」と言われてしまい激昂するジャニスだったが、自分のなかにも不安がありDNA検査をすることに。するとセシリアは実の子ではないと判明。病院で取り違えられたのでは、と苦悩するアナだったが、秘密を封印してセシリアと生きていくことを決意する。それから1年後、アナと偶然再会するも、アナの娘は亡くなっていた。
赤ちゃんの取り違えで病院の責任を追求するのかと思いきや、物語は意外な展開をみせていく。本作は、『オール・アバウト・マイ・マザー』や『ボルベール〈帰郷〉』などでペドロ・アルモドバル監督が描き続けている“母”に焦点を当てた作品だ。自分が産んだ子供を亡くし、さらに育てている子供まで奪われるかもしれないという恐怖に苛まれたジャニスは、一度はその事実を隠して生きていこうとするが、彼女の信条がそうさせない。ジャニスの人生の大きなテーマが、“スペイン内戦で虐殺され共同墓地に無残に葬られた曽祖父の遺骨の発掘”だからだ。強制連行されたまま行方不明になり、闇に葬られてしまった多くの遺骨のように、セシリアの出生の秘密をアナに知らせず、闇に葬ることは彼女にはできなかったのだ。物語後半、アナに料理の仕方や家事を熱心に教えるジャニスは、いつかセシリアをアナに渡す日が来ることを悟っているかのようで、ジャニスの抱える悲しみが垣間見える。母と子の血の繋がりや自分のルーツに関するスペインの歴史が見事にリンクし、家族のあり方とは何なのかを問いかける作品。
『パラレル・マザーズ』
配給:キノフィルムズ
© REMOTAMENTE FILMS AIE & EL DESEO DASLU
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女性たちを勇気づけてくれるシスターフッド映画3選
いま、良質なシスターフッド作品が充実している理由
シスターフッドとは、1960年代から70年代にかけての女性解放運動でよく使われた言葉で、男性優位の社会を変えるため、階級や人種、性的指向を超えて女性同士が連帯することを表すもの。2010年代になるとSNSの普及により女性の地位向上ムーブメントが高まり、2017年に起こった#METOO運動をひとつのきっかけにして、声を上げる女性たちがさらに増えた。そんな時代背景も手伝い、女性たちが手を取り合って進もうとする姿を描くシスターフッドを題材とした作品が数多く制作されるようになってきている。
『スキャンダル』
ライバルであっても女性は共闘することができる
2016年に「FOXニュース」で起こった事件を元に描かれた作品。ニコール・キッドマン演じるグレッチェン・カールソンは番組の降板を言い渡され、CEOのロジャー・エイルズ(ジョン・リスゴー)をセクハラで告発する。当初グレッチェンの告発に賛同する女性は少なく、孤独な闘いを強いられることに。だが、同じ経験をした女性が徐々に声を上げ出すと、FOXの看板キャスターであるメーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)も、自身の経験を思い起こし、やるせない気持ちが高まってくる。一方、キャスターへの道を貪欲に狙っている若手社員のケイラ(マーゴット・ロビー)はロジャーの部屋を訪ねると、立ち上がってポーズを取るように言われーー。
この作品の特筆すべき点は、ケイラ以外のほとんどの主要人物が実名で描かれ、実際のニュース映像なども用いられているところだ。ニコール・キッドマンとシャーリズ・セロンは特殊メイクを施し、グレッチェンとメーガン本人に驚くほど似ており、まるでドキュメンタリーのようでもある。ストーリーはグレッチェン、メーガン、ケイラの3人の視点で描かれるが、年齢もキャリアも立場もバラバラの彼女たちが最後は手を取り合い共闘していく。これこそがシスターフッドの鍵だ。連帯するもの同士が仲良しであることは必要なく、考え方の違いはあるが、それぞれの立場でできることをし、支え合うことで、社会をより良く変えられる力をもっているのがシスターフッドの強さなのではないだろうか。このグレッチェンの告発の翌年である2017年に、#METOO運動の発端になったワインスタイン事件が明るみに出るが、#METOO前夜に起きた彼女の勇気ある告発が、社会を変えるきっかけになったのは言うまでもない。
『スキャンダル』
デジタル配信中
©2020 LIONS GATE ENTERTAINMENT INC.ALL RIGHTS RESERVED.
©2020 LUCITE DESK LLC AND LIONS GATE FILMS INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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『ハスラーズ』
友情より強い絆で繋がったバディ映画の新機軸
デスティニー(コンスタンス・ウー)は新入りのストリッパー。クラブ内で孤立し思うように稼ぐことができず、トップダンサーであるラモーナ(ジェニファー・ロペス)に教えを請うことに。ラモーナはデスティニーにダンスや客への振る舞い方を教え、意気投合していく。金融業界の好景気も手伝い、みるみるうちに金を稼げるようになったデスティニーは、姉妹のように仲良くなった仲間たちと幸せを味わっていた。そんなときリーマンショックが起こり、客足は激減。恋人との間に子供ができたデスティニーはクラブを辞めることに。
数年後、離婚したデスティニーは再びクラブで働き始め、ラモーナと再会する。だがクラブは衰退しており、金融危機以前のように稼ぐことはできず、ラモーナはある計画を立てる。それは金融マンの元客に連絡し、ドラッグを混ぜた酒で朦朧とさせ、クラブでクレジットカードを使わせる“釣り”という手口。これが大成功し、再び裕福な生活へと返り咲く。しかし次第に関わる人数が増え収集がつかなくなり、ついに警察沙汰になってしまう。
この作品は、ニューヨークのストリップクラブで働く女性たちによる実際の事件を元にしたクライムエンタテインメントだ。ラモーナが「私達は真面目に働いても生活は豊かにならないのに、身勝手なマネーゲームでリーマンショックを起こした男たちはなぜ今も豊かな生活をしているのか。だから私があいつらから奪う」と憤るシーンがある。もちろん彼女たちが行ったことは犯罪行為ではあるが、女性たちをモノとして扱い、蔑んできた男性たちが罰を受けないのは理不尽に思える。被害にあった男性は、騙されたと気づきつつも、世間体を気にして名乗り出ない。つまり彼女たちは男から金を奪うだけでなく、その虚栄心を利用し、マチスモをも崩壊させたのだ。男性たちに客体化されていた自らの価値や生き方を取り戻していく彼女たちの姿は爽快だ。美しいダンスにポップな音楽など、一見娯楽性が高いように見えるが、男性優位社会への皮肉をたっぷり含んだ社会派の一面もある作品。
『ハスラーズ』
Netflixにて配信のほか、DVD&Blu-ray好評発売中
発売元:ハピネットファントム・スタジオ
販売元:ハピネット・メディアマーケティング
©2019 STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』
学園コメディを新境地へ導いた話題作
モリー(ビニー・フェルドスタイン)とエイミー(ケイトリン・デヴァ−)は大の親友で卒業を控えた高校生。モリーはイェール大学、エイミーはコロンビア大学と、ふたりとも超名門大学に進学が決まっている。彼女たちはいわゆるガリ勉で、高校生活を勉強に捧げ、恋愛や遊びにうつつを抜かすクラスメートたちを見下していた。だが卒業前日、そんな一見チャラいクラスメートたちも実はハーバードやスタンフォードに合格していたことを知り、「私達と違って遊びほうけていたはずなのになぜ!?」と愕然とする。そこで、モリーとエイミーは高校生活を取り戻すべく、初めてのパーティーへ繰り出そうとするのだが。
タイトルにある“ブックスマート”とは、本で勉強した知識はあるけれど、実体験を伴っていない人という意味で、まさにモリーとエイミーの高校生活を表している。ぱっと見、学園コメディと思われるかもしれないが、これまでの学園モノとは全く様相が異なる作品だ。まず登場人物はZ世代で環境問題や社会問題に意識が高い。モリーは史上最年少で最高裁判事になることを目指しており、部屋にはRBGことルース・ベイダー・キンズバーグの写真が貼られ、レズビアンであるエイミーの書棚にはシャーロット・ブロンテの作品が並ぶ。また、アメフト部のリーダーと可愛いチアリーダーがカップルで、というステレオタイプな設定もなく、やんちゃな男子役をアジア系俳優が演じ、LGBTQの生徒を揶揄するくだりも一切ない。さらに、恋愛にフォーカスせず、女性同士の友情を描いている点も今どきだ。
モリーとエイミーは相手のことを本人よりも熟知しており、常に「あんた最高にイケてる!」とお互いを褒め、自信を高めあっていく。ガリ勉だがユーモアのセンスもファッションセンスも抜群。負け組としてではなく、イケてるクラスメートたちも実は彼女たちと仲良くなりたいと思っていた、という描かれ方が観ていて嬉しくなる。セクシュアリティや人種、ルッキズムなどあらゆるステレオタイプから脱却し、人を個として尊敬すること、同性同士が手を取り合うことの大切さを、今の時代の高校生が教えてくれる。
『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』
Netflixにて配信のほか、DVD&Blu-ray好評発売中
発売元:ロングライド
販売元:TCエンタテインメント
© 2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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背筋が凍る世界へ誘う新感覚スリラー映画3選
『オールド』
M・ナイト・シャマラン節が炸裂する謎解きスリラー作品
休暇を過ごすためジャングルと美しいビーチのあるリゾートを訪れた4人家族のカッパー家。ホテルのマネージャーに気に入られ、一般客には開放していない秘密のビーチに行けることに。ビーチはホテルの車でしかアクセスできない場所にあり、夕方迎えに来る約束をしてスタッフは去っていった。そこにはカッパー家以外には、医者であるチャールズとその妻と娘、チャールズの母という家族連れと、看護師のジャリンと分析医のパトリシア、ミッドサイズ・セダンと名乗るラッパーとその彼女がおり、それぞれリラックスしてシークレットビーチを満喫していた。
しかしカッパー家の息子トレントがラッパーの彼女の死体を見つけると物語が急展開し始める。岩陰から現れたミッドサイズ・セダンは鼻血を出しており、全員から疑惑の目を向けられる。そうこうしていると6歳と11歳であるはずの子どもたちが、いつの間にか急成長しており、思春期の少年少女になっていた。ホテルに戻ろうとするも電波がなく携帯電話は使えず、人々は狼狽し始める。
監督は『シックス・センス』や『ミスター・ガラス』を手掛けたM・ナイト・シャマラン。カッパー家の父親役はガエル・ガルシア・ベルナルが演じる。本作はこれまでも数々のどんでん返し作品を製作してきたシャマランの十八番であるスリラー作品で、時間をテーマにしている。1日で50年という月日が経ってしまうビーチを舞台に、老いへの恐怖や今を生きる事の大切さを描いている。このビーチでは、人々は突然耳が遠くなり、愛する人が急死する。だがこれらの災難は誰の人生にも起こりうることで、まさに人生の縮図だ。突っ込みどころもある脚本だが、中盤にはつい笑ってしまう“あちゃ〜”な展開も用意されており、決して後味は悪くない。
序盤は美しいジャングルとビーチ、色とりどりのリゾートウェアに身を包んだホテルゲストがビーチを楽しんでいるシーンが展開され、しばらく海外旅行に行っていないこの時期に見ると、旅情をかきたてられテンションが上がるが、鑑賞後は長旅から家に帰ってきた時のようにぐったりとして安堵感に包まれる。閉ざされたビーチで起こるさまざまな争いに肝を冷やし、終盤に明らかになる人の死を軽視する集団の存在に背筋が凍る。1年が過ぎるのがあっという間と感じる今日このごろ、このビーチで起こることは決して他人事ではないかもしれない。
『オールド』
Amazon Prime Videoなどで配信中
Blu-ray(2,075円)、DVD(1,572円)は9/7発売
発売元: NBCユニバーサル・エンターテイメント
販売元: NBCユニバーサル・エンターテイメント
© 2021 UNIVERSAL STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.
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『SWALLOW/スワロウ』
冷や汗もののスリラーで女性の自立を描いた
ハンターはニューヨーク郊外の豪華な邸宅に住み、一見何不自由ない生活を送っている主婦。だが、夫は食事中も携帯電話に夢中で、義父はハンターの話を遮って仕事の話を始めたりと、実は孤独で息苦しい日々を過ごしていた。そんな中ハンターの妊娠が発覚。久しぶりに幸せを感じるハンターだったが、夫はハンターそっちのけで即座に義父母に電話し、義父母は世継ぎを生むためだけの存在としてハンターを見ており、孤独は募っていく一方。
ある日ハンターは、ガラス玉を飲み込みたい衝動に駆られる。ガラス玉を口の中で転がし、恍惚の表情を浮かべると、ついに飲み込んでしまう。痛みとともに得も言えぬ多幸感を味わうハンター。その後も衝動は抑えきれず、次は画鋲を飲み込み激痛がハンターを襲う。それでも衝動を抑えられずその行為は徐々にエスカレートしていく。病院での検診の際、お腹に溜まった異物の存在が発覚し、子どもに危険を及ぼしかねないと夫や義父母に激怒されてしまう。精神疾患があると思われ、日中は看護師の監視がつくことになり、ますます息苦しさを感じるハンターだが、カウンセリングで衝撃の過去が明らかになる。
『SWALLOW/スワロウ』は心理スリラーのジャンル映画と思いきや、家父長制への批判と女性の自立を描いている社会派作品だ。モチーフになっているのは栄養価のないものを口にしてしまう異食症という摂食障害。ハンターが抱える孤独とストレスが彼女を異食症に導いていくのだが、実は原因は出生にもあることが明かされ、ハンターの妊娠とその事実が重なっていく。監督のカーロ・ミラベラ=デイヴィスは20代の4年間、女性として過ごしていた過去があるそう。今はシスジェンダーの男性として生きているが、当時は流動的ジェンダーという言葉がなく辛かったと語っており、ハンターのように型にはまらない人々の心の叫びを自らも体験しているという事実が、作品の意義をより深くしている。
スワロウという言葉は、飲み込むという意味の他に燕という意味もあるが、文字通りハンターは豪華なかごの中の鳥そのものだ。序盤は現実社会から切り離され、夫に愛される完璧な妻という他人の人生を生きていたが、終盤で真の自分の姿と向き合い、トラウマを克服し、自分の力で人生を切り開き、飛び立っていく。その姿は実に清々しく誰しもが共感できるのではないだろうか。画鋲や電池を飲み込む姿は冷や汗が出るほど痛々しく、つい目をそむけたくなるが、ハンターが置かれているように生きづらさを感じている女性たちから目をそむけてはいけないとこの作品が再確認させてくれる。
『SWALLOW/スワロウ』
Amazon Prime Videoなどで配信中
Blu-ray+DVDセット好評発売中
発売元:クロックワークス
販売元:TCエンタテインメント
© 2019 BY SWALLOW THE MOVIE LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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『ミッドサマー』
その明るさが狂気に拍車をかける新感覚スリラー
大学生のダニーは、不慮の事故で両親と妹を亡くし、彼氏のクリスチャンとも別れる寸前。情緒不安定で向精神薬に頼っていた。そんな中での夏休みに、クリスチャンの友人で、スウェーデンからきた留学生であるペレの故郷で90年に一度行われる伝統的な夏至祭へ行くことに。人類学を専攻するクリスチャンの友達であるマークとジョシュとともに、森に囲まれ草花が咲き乱れる美しいコミューン、ホルガに到着した。
村の人々は皆、花冠や刺繍が施された白い装束を身に着けており、神殿のようなものや、ルーン文字が掘られた石碑があり、村はまるで童話の中の世界のように可愛らしい。だが、9日間に及ぶ夏至祭の始まりの儀式で、突然崖の上から老女が身を投げると老爺もそれに続く。まだ息のある老爺に村人が小槌を振り下ろし、ダニーや友人たちはショックを受ける。このようにして狂気に満ちた9日間が幕を開けるのだった。
本作の監督は、前作『へレディタリー/継承』で完璧な悪夢を描き、衝撃的な長編デビューを果たしたアリ・アスター監督。製作は気鋭のスタジオA24で、主人公のダニーを『ブラック・ウィドウ』、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』のフローレンス・ピューが演じる。太陽が沈まず色とりどりの花に囲まれ、可愛らしい衣装に身を包んだ人々が住む村は、闇とはかけ離れているように見えるが、そこで行われる儀式は狂気そのもの。通常のスリラーやホラー作品は、闇夜や地下など視覚的に暗いものが多いが、本作はその対局で、その明るさが逆に狂気を増幅させている。
表面的には優しく見えるが、ダニーの悲しみや孤独に寄り添わず土足で心に踏み込むようなクリスチャン。村のルールを尊重せず、自己中心的に振る舞う友人たち。彼らは誹謗中傷を繰り返し、多様性を尊重しない現実社会の人々を象徴しているともいえる。観客は常軌を逸した村の儀式に震え上がるが、最後はダニーを通じて横暴で無頓着な人々に復讐を果たし、カタルシスを感じるだろう。“フェスティバルスリラー”を標榜する新感覚のスリラー作品で、肝を冷やすような映画体験を。
『ミッドサマー』
Netflixにて配信中
Blu-ray,DVD好評発売中
発売元:TCエンタテインメント
販売元:TCエンタテインメント
©2019 A24 FILMS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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韓国人女性の生き方を描いた話題の映画3選
『はちどり』
少女の目を通して社会を見つめ、女性の生き方を考える
舞台は1994年の韓国、ソウル。中学2年生のウニは餅店を営む両親と兄姉の5人家族で暮らしている。学校では孤立しており、他校に通う彼氏と、漢文塾で出会った女友達と過ごす時間にだけ笑顔を見せるウニ。母に話しかけても上の空、兄には暴力を振るわれ、父には怒鳴られ、ウニの目を見て話を聞いてくれる大人は誰もいなかった。そんな中、新しく漢文塾にやってきた女性教師ヨンジだけはウニに寄り添ってくれる。大学を休学し職を転々として、タバコを吸っているヨンジに、ウニは心を開いていく。そして1994年10月21日にある事故が起きる。これをきっかけに韓国社会や人々、そしてウニの家族も変化の兆しを見せ始める。
監督は本作が長編デビューとなるキム・ボラ監督で、自身の少女時代の体験を元に描いた人間ドラマだ。登場人物が多くを語らず、セリフではなく視線で語っていく。通常こういった作品は見る側の想像力が必要となるが、まなざしによる繊細な演技や視線に注目した画角により、彼らの心情が手に取るように伝わってくる。むしろ多くを語らないからこそ、声をあげることができないウニの息苦しさや抑圧をひしひしと感じることができるともいえるだろう。
描かれるのは誰にでも経験のある思春期のありふれた日常だが、家父長制や暴力、学歴社会など、そこには女性ゆえに感じる生きづらさが丁寧に描かれている。例えば、兄に暴力を振るわれ、両親にそのことを訴えるも、「喧嘩しないの」と取りつく島もなく一蹴されてしまう。ウニの友人もある日、顔にあざを作って塾に現れることから、長兄を重んじる家父長制や男尊女卑の風潮が社会に根強くはびこっていることを示す。とはいえ、一方的に男性が悪であるとは描かない。後半、兄が泣く場面があるが、社会や父親からの期待を一身に受けた彼にも相当な重圧がかかっていることがうかがえる。
ヨンジとの出会いがウニの心境に変化をもたらす。大学も休学し、結婚もせず、職を転々としているヨンジは変わり者扱いされているが、ウニはヨンジにこれまで出会った大人とは違う雰囲気を感じ取る。おそらく彼女はこの男女不平等社会で声をあげるも挫折した経験をもつのであろう。ヨンジはウニに、殴られても黙っていてはダメ、声をあげてと伝える。自分はうまくいかなかったけど、次の世代のあなたはこうならないでね、と目線で語りかける。目を見て話してくれるヨンジに出会ったことで、ウニはそれまで理不尽ながら仕方がないと思っていたことが、違うのかもしれないと気づき始めるのだ。
1994年の韓国は、87年に軍事政権が終わりを告げ、民主化が進められている過渡期にあたる。著しい経済成長を遂げる中、手抜き工事が一因となり聖水大橋崩落事故という大惨事が起きてしまう。古い体質と新しい時代の狭間で、期待と同時に不安や戸惑いを感じていた社会はウニの心情ともシンクロする。とても小さな鳥であるはちどりのように、小さな体で必死に羽を動かし続け世界に羽ばたこうとしているのはウニのようでもあるし、1994年の韓国社会のようでもある。本作が描いた世界から約30年後の今、世界はどう変わっただろうか。現代の日本に生きる私達にも、感じることの多い作品だ。
『はちどり』
Amazon Prime Videoなどでレンタル配信中
Blu-ray(6380円)、DVD(4180円)発売中
発売元:アニモプロデュース
販売元:TCエンタテインメント
©2018 EPIPHANY FILMS. ALL RIGHTS RESERVED.
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『82年生まれ、キム・ジヨン』
胸を締めつけられるシーンの数々に、己の行動を見直すきっかけになるーー
キム・ジヨンは夫のデヒョンと二歳になる娘アヨンと暮らしている主婦。出産するまでは広告代理店に勤務し、意欲的に働いていたが、今は家事と子育てに追われる毎日。正月に夫の実家に帰省するも、嫁の立場であるジヨンは台所に立ちっぱなしで座る暇もない。するとジヨンに何者かが乗り移ったかのように別人格が現れ話し始める。夫の家族は突然の豹変にあ然とするも、以前からジヨンの不調に気づいていた夫はジヨンと娘を連れ実家を後にする。当のジヨンはこの“憑依”を覚えておらず、最近物忘れが多いと言う。夫は精神科へ通うことを提案するも、疲れているだけ、となかなか足が向かない。そんななか、元上司の女性が起業し、また一緒に働かないかと誘われる。生きがいを見出し生き生きとし始めるジヨンだが、義母に知られ激怒されてしまう。
本作では、女性が日常的に体験する生きづらさに着目し、それらを積み重ねていくことで、当たり前すぎて違和感を感じなくなってしまっている不平等な現実を知覚することができる。夫は一見ジヨンに寄り添っているように見えるが、どこか中途半端。実家に帰った際、嫁であるジヨンが忙しくしている様を見て母親に「もうひとり息子を生んでくれていたら、嫁が増えて楽になったのに」と発言する。妻を気遣う優しい夫ではあるのだが、問題の本質が理解できていないのだ。
またジヨンにとってロールモデルとなりうる元上司の女性は、男性上司から「仕事で成功しても子育てに失敗したらおしまいだ」と言われるが、言い返さず笑ってその場をやり過ごす。彼女はこのように心をすり減らし我慢を重ねて、キャリアを築いてきたのだろう。「私は良き母ではないし、良き妻であることも諦めた」という。女性が社会で活躍するには、かくも犠牲を払わなければならないのかと心が苦しくなる。
一方でジヨンが学生時代に痴漢にあいそうになった際、父親から「スカートが短い。危険な目に遭うのは本人の不注意のせい」と咎められる。なぜ女性の側が短いスカートを履く自由を奪われなければならないのか。咎められるのは短いスカートではないはずなのに。このように日常的に繰り広げられるさまざまなエピソードで、女性の生きづらさや男性の配慮の無さを示していく。
ただそこには小さいながら希望もある。デヒョンはジヨンが働くなら自分は育休を取る、と申し出るし、長兄として重んじられてきたジヨンの弟も、優しく手を差し伸べてくれ、ジヨンや彼女を取り巻く環境も少しづつ変化していく。本作では、自分が無自覚に我慢してきてしまっていることや、また逆に無自覚に配慮のない発言をしてきてしまったことに気づくことができるだろう。女性にも男性にも、性別を問わず何らかの気づきを与えてくれる。
『82年生まれ、キム・ジヨン』
Amazon Prime Videoなどで配信中
Blu-ray(6380円)、DVD(5280円)発売中
発売元:クロックワークス
販売元:ハピネット・メディアマーケティング
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『ガール・コップス』
ユーモアたっぷりに韓国社会の闇に切り込むアクション・コメディ
ミヨンは女性刑事機動隊という部署で活躍し、持ち前の行動力と腕っぷしの強さで凶悪犯を次々と検挙していた凄腕刑事だった。が、結婚と出産を機に、市民の苦情を取り扱う相談窓口でデスクワークをしていた。ある日、義妹で刑事のジヘが不祥事を起こし、相談窓口に一時的に配属されることに。そんな窓口に、怯えた様子の女学生が訪れるが、携帯電話だけを置き逃げるように去っていく。ミヨンは彼女を追いかけるが、女学生は交通事故にあってしまう。すると残された携帯にメッセージが表示され、それは彼女がレイプされた動画が3日後、アダルトサイトにアップされるという通知だった。組織的な犯罪だと考えたミヨンはジヘとパソコン操作に長けた同僚のジャンミとともに、犯人を追うことに。
本作は、終始コメディタッチで痛快で軽快にストーリーが展開していくが、ところどころに現代社会を風刺するスパイスが散りばめられている。敏腕刑事だったミヨンは家族のために自分のキャリアを犠牲にし、物足りない毎日を過ごしているし、男性刑事たちは手柄優先で、検挙の見込みの薄い捜査には協力してくれない。おとり捜査でミスをしたのは男性刑事なのに、ジヘが異動させられる。女性たちが犯人と格闘しているのに、そこにいた野次馬はスマホで撮影するだけで誰も助けようとしない。また相談窓口で働いているのは、凄腕刑事のミヨンを始めインターネットギークのジャンミや女性刑事機動隊の出身の上司など、優秀で能力の高い女性ばかりというのにも皮肉が込められている。
ドラッグやサイバー性犯罪を扱った本作の事件は、NETFLIXでドキュメンタリーが製作された「n番ルーム事件」や、「バーニングサン事件」などを彷彿とさせ、韓国社会に潜む闇を映し出す。ミヨンが危険を犯してまで捜査をする理由を問われると「被害者が気の毒だからじゃない。女性が自業自得だと、自分を責めるしかない状況に腹が立つから」と答える。性犯罪では被害者が泣き寝入りしてしまうことも多いが、女性にとって決して許すことができない事件を、女性たちが共闘し解決していく姿に勇気をもらう。あくまで気楽に観られるアクションコメディとして作られているが、シスターフッド要素もあり、裏テーマもしっかり設定された見事な一作だ。
『ガール・コップス』
デジタル配信中
DVD(4180円)発売中
発売元:GAGA
販売元:GAGA
©2019 CJ ENM CORPORATION, FILM MOMENTUM ALL RIGHTS RESERVED
*今回紹介している3作品の配信状況は、すベて2022年8月25日時点のものです。
時代を生きるヒントに出会うドキュメンタリー
『83歳のやさしいスパイ』
お年寄りのピュアな心に笑って泣ける
妻を亡くしたばかりの83歳のセルヒオは、新しい生きがいを求め、スパイ募集の新聞広告に応募する。依頼内容は老人ホームに潜入し、入居する依頼主の母親が虐待されていないか調査するというもの。カメラ付き眼鏡やスマホの使い方を教わるシーンはまるでコメディのよう。いざ潜入を開始するも、調査対象者が写真よりずっと老けているため見つけられなかったり、女性たちばかりの施設内でモテモテになったりとドタバタ劇が繰り広げられる。一方で、調査のため一人一人にじっくり話を聞いていくうちに、家族にずっと会えていない寂しさや、どこにもいく場所がない孤独感、衰える体力への不安など、老人たちが感じる人生終盤の悲しさを目の当たりにしていく。
監督のマイテ・アルベルディがかつて探偵事務所で働いていた時に、老人ホームの内部調査の依頼が多かったことから、老人ホームや老いについてのドキュメンタリーの制作を思いついたそう。本作の撮影にあたっては、施設や入居者にスパイの依頼内容は伏せ、老人ホームのドキュメンタリーを撮影するという体で行なっているので、誰もカメラを意識せず自然な日常が切り取られている。たとえ施設に仲間がいても家族が近くにいないことは孤独にほかならず、コロナ禍で家族に会えない高齢者が多くいることを思うと胸が締め付けられる。愛する人の声が彼らにとってどれだけ大切かが心に響く、まるでヒューマンドラマのようなドキュメンタリー。第93回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネート。
『83歳のやさしいスパイ』
Amazon Prime Video、U-NEXTなどでレンタル配信中。配給・宣伝:アンプラグド
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