BY REIKO KUBO

死が近づく主人公・マーサ役を演じるティルダ・スウィントン(右)とペドロ・アルモドバル監督(左)
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©El Deseo. Photo by Iglesias Más.
昨年のベネチア国際映画祭で金獅子賞に輝いた、ペドロ・アルモドバル監督作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』。『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』など、数々の女性讃歌を紡いできたスペインの巨匠が最新作で描くのは、末期ガンを患う女性とその親友の最後の日々の物語。戦場ジャーナリストになったマーサと小説家として活躍するイングリッドは元同僚。見舞いに訪れたある日、マーサは安楽死を望んでいることを打ち明け、死を恐れながらもイングリッドは親友に寄り添うことに。そんなイングリッド役に、『エデンより彼方に』『アリスのままで』等の実力派女優ジュリアン・ムーア。そしてビビッドなカラーを纏って、自らの死と向き合うマーサ役にはティルダ・スウィントン。「自分は女優というよりパフォーマーとして映画を作っている」という彼女は、デレク・ジャーマン監督作『カラヴァッジオ』で映画デビュー以来、類稀なる存在感によってジム・ジャームッシュ、ウェス・アンダーソン、ルカ・グァダニーニョ、ポン・ジュノら、世界の鬼才たちのミューズとしてまさに引っ張りだこ。映画と出会う前は詩人になりたかったスウィントンが、愛溢れる言葉でアルモドバル渾身の最新作について語ってくれた。
――ジャン・コクトーの小説を翻案した『ヒューマン・ボイス』に続き、今回が2作目のアルモドバル監督作とのタッグとなりました。死に直面したマーサには、どのようなアプローチで臨んだのですか。
ティルダ・スウィントン(以下、ティルダ) マーサは役作りをする必要のないキャラクターでした。マーサの置かれた状況は、手に取るようにわかりました。なぜなら私には、人生において大きな影響を受けた幾人かの“マーサ”を見送った経験があったから。しかし死に向かうということはとても重大なことだから、ある種プラクティカルで、とても物静かで、熱量を感じさせないパフォーマンスが必要と感じ、その上でマーサを自分の方へ引き寄せました。もちろん私は戦場ジャーナリストではなかったし、自分の娘と疎遠にもなっていないし、今のところ末期的な病気を患っているわけでもない。彼女の身の上や、選択、行動は私のものと大きく異なるところもありますが、それでも彼女の衝動や自己表現の方法は、かなり私自身に近いと思います。ルックス的にも普段の私に近い。演者としてマスクを被ったり、何か誇張した身振りをすることもなく、リアルなものにとても心静かに沈み込むことができる、本当に美しい機会でした。

アルモドバル監督ならではのビビッドな色彩が広がる世界観にも注目したい
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――あなたの人生に大きな影響を残した幾人かの“マーサ”には、あなたの出演第1作の監督であるデレク・ジャーマン(註:1994年にエイズにより他界)も含まれていますね。
ティルダ まず最初に、この映画は死についての映画ではないと言わせてください。人生、あるいは生きるということについての映画であり、死があってこそ、生きるとはどういうことなのかが描かれた映画であり、そこに人生の手綱を最後まで自分で握ることができるという示唆が描かれています。私にとって最初の“マーサ”は、確かにデレク・ジャーマンでした。当時、私は33歳で、今とは違う死生観のもと、イングリッドのように死を恐れていました。映画のイングリッドもマーサの死を怖がっています。それでも彼女は、自分には何もできない無力感と向き合うのではなく、マーサを干渉せず、ジャッジせず、説得も一切しない。ただそこにいることは大きな愛の行為であり、何者にも代え難い貴重なものだと過去の経験からずっとそう感じていました。目を背けないことだけでなく、必ずそこにいる。そばにいて、何も言わず、ただ耳を傾ける、それは大きな愛の行為だと、私自身の体験を通して思ってきました。だからペドロが私自身の人生のいくばくかを作品の中に取り込めるような機会をオファーしてくれた時は素晴らしい瞬間でした。そういう意味で『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は特別な宝物のような作品なんです。
――あなたとジュリアン・ムーア、この上ない組み合わせだと思いました。そんな彼女との共演はお互いに共鳴しあうものでしたか。
ティルダ ペドロから「誰がイングリッドだったら嬉しいか」と聞かれた時、私はジュリアン以外のイメージができませんでした。だから彼女が引き受けてくれて本当に嬉しかったんです。撮影に入ると、ジュリアンと私はもう少しゆっくり、テイクをもっと重ねたいのに、ペドロはものすごいスピードで撮影を進めていくんです。大きなドラマチックなシーンでも、6分間も話し続けるシーンでも、ペドロはあともう1テイクくらいでOKにしたいと思っている。なのでジュリアンと私は、まるで引き潮の海で、壊れた船の木片に2人して必死にしがみついているような気分でした。あたかもずっと即興を演じているような感覚で、だからこそ私たちはお互いが支えとなっていました。彼女と共演できたのは本当に素晴らしい体験でした。

マーサに寄り添う隣人、イングリッドを演じるのは実力派として名高いジュリアン・ムーア(右)
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――マーサの病は進行し体が痩せていき、彼女に寄り添うイングリッドは懸命に涙を堪えています。それでも赤いセーターや黄色いスーツを纏うマーサは涙を見せませんね。
ティルダ 読書が大好きだったのに本が読めなくなったり、音楽を愛していたのに耳がが聞こえなくなってしまったり、味を感じられなくなり食べられなくなってしまったり。映画の中のマーサは、自分自身であったものがどんどん小さくなってしまうという台詞を口にしますが、それはとても辛いことで、そこには身体的な痛みもあるわけです。その辛さ、痛みに耐えきれなくなる、ぎりぎりのところでマーサは黄色いスーツに身を包む。彼女は今、残っているその強さがあと少しで失われることを知っていて、美しい1日を楽しむ力がまだ残っている段階で自ら舞台を降りるわけです。その強さ、力を失う前に彼女に黄色いスーツを着るという恵みを与える、ペドロのロマンティックな表現はとても美しく、一観客として彼がこのファンタジーを私たちに与えてくれたことに感謝します。
――「この映画がわたしの最後の作品になるでしょう」と、あなたが発言されたという記事を読んだのですが。
ティルダ その間違った情報、かなり出回っているみたいなんです(笑)。おそらく、次のどちらかを言った時に私の言葉がクリアじゃなかったせいで誤解を生んだと思う心当たりがあって。1つは「これが最後の映画という気持ちで演じた」と言ったんじゃないかと。私は次の新しい出演作を自分から探すこともないし、素晴らしい経験に充足感を感じて、これでもうお終いでも大丈夫、この恵まれた状態でここまでにしようといつも思っているので。もう一つは、仕事をやり終えた充足感がとても好きで、「もしこの作品が私の最後の作品になるなら、とても幸せです」と言った可能性もあって。でもまた次に何かがやってきて、いざなわれる。1985年にデレク・ジャーマンと映画を撮って以来、いつもこの2つの心境でいるんです。
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youtu.be『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』
1月31日(金)より全国公開
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