サンローランというメゾンのデザイナーの地位を引き継ぐアンソニー・ヴァカレロ。彼なりの流儀で過去を今に結びつける

BY ALEXANDER FURY, PHOTOGRAPHS BY JACKIE NICKERSON, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 さて僕はついに、ユニヴェルシテ通りの大理石を敷き詰めたサロンでヴァカレロに会うことになった。上階の仕事場からは多くの人声や物音が聞こえてきた。タイユールのアトリエを通り抜けると、専門の技術者がトワ ルを載せたボディに慌ただしくピンを刺していた。これは、安価なキャラコで表現したボリュームを、デザイナーがチェックするための試作だ。こうすればコレクション用の布を無駄に裁断しないですむ。ひさしの下の片隅で、正式には“モデリスト(パタンナー)”と呼ばれる3人が、オイルスリック・パープル(油膜風の虹色に光る紫)と口紅のように真っ赤なカーフスキンの作品に取り組んでいた。この3人のチームだけは、レザー素材が好きなヴァカレロのために採用したそうだが、それ以外はテクニックもメソッドも、すべては昔のやり方のままだ。誰もが間近に迫る秋冬コレクション用の仕事に取り組んでいた。
 こんな光景を目にできるのは特別なことだ。だがそこにいた人々は、僕がジャーナリストだと知ると怪訝そうな視線を送ってきた。タイユール部門のプルミエール(ヘッド)であるイワンデ・アニマシャウンが、大丈夫だと言い聞かせるまで、誰もが作品を覆い隠していた。コソコソしたある程度の秘密主義ならモード界の常識なので、次のシーズンのデザインを漏らしたくない気持ちはわかる。だが彼らがこんな態度をとる理由はほかにもあるのだ。前任のクリエイティブ・ディレクター、エディ・スリマンとモード界のメディアとの関係がぎくしゃくしていたために、過去この4年間はこのメゾンに誰も入り込むことができなかった。スリマンはインタビ ューをめったに受けず、一部のジャーナリストや批評家たちをショーに招くことさえ拒んでいたのだ。 一方、ヴァカレロはメゾン創設当初の温かなムードを取り戻したいと願っている。 僕がアトリエには当時の記憶や当時のメンバーがまだ残っているかを尋ねると、彼は「その頃からここにいる人がまだ何名かいるよ」と教えてくれた。イヴ・サンローラン本人の指揮下で働いていた人ならば、14人はいるそうだ。「クリエイティブ・ディレクターが替わっても、いちばん重要なメンバーは残っているんだ」と彼は言った。

 ヴァカレロは細身でダークヘア、幅の広い二重の目をしている。顎にはひげがまばらに生え、まだ37歳だが白いものもちらついている。 ベルギーの非フラマン語圏、ブリュッセルで育った彼の英語には、強いフランス語風のアクセントがある。そんなヴァカレロは、アトリエの意見を重視するのはもちろん、それ以外の面においても徹底的に謙虚な人間だ。自らのファースト・コレクションを「ワーク・イン・プログレス(制作中)」と呼び、このテーマを強調するように、ショー会場はサンローラン本社の予定地である改修工事現場にした。ビジネスの世界で最もやりにくい仕事を与えられたとき、必要となる美徳が謙虚さなのかもしれない。

 

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