サンローランというメゾンのデザイナーの地位を引き継ぐアンソニー・ヴァカレロ。彼なりの流儀で過去を今に結びつける

BY ALEXANDER FURY, PHOTOGRAPHS BY JACKIE NICKERSON, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: 1982年のレオパード柄ドレス ©FONDATION PIERRE BERGÉ – YVES SAINT LAURENT, PARIS / ALEXANDRE GUIRKINGER

1982年のレオパード柄ドレス
©FONDATION PIERRE BERGÉ – YVES SAINT LAURENT, PARIS / ALEXANDRE GUIRKINGER

 サンローランといえば、クリエイティブ面でも文化面でも最も影響力があるブランドのひとつだが、スリマンが導いた成功によって、財政面でもトップブランドのひとつになった。このメゾンのデザイナーになれば、誰であれスターダムにのし上がる。ヴァカレロがいま統率しているのは、年間売り上げが2億8千3 百万ドル(約318億円)の部門だ。彼は、サンローランから受け継いだものを独自に表現しながら、ブティックを新装し、新しい広告キャンペーンを撮り下ろし、まっさらなビジュアル・アイデンティティを築き上げていかなくてはならない。

 そんな彼の頭上にダモクレスの剣のごとくぶら下がっているのは、サンローランの歴史を、今の人々が望むものにどう結びつけるかという課題だ。サンローランの歴史の一部は今も生き続けてい るので、問題は少し厄介になる。イヴ・サンローランは2008年に亡くなったが、公私ともにパートナーだったピエール・ベルジェは、ヴァカレロのデビュー・コレクションで会場の最前列に座っていた。今年86歳のベルジェは、サンローランと1958年に初めて出会って瞬く間に恋愛関係となり、1976年までともに暮らし、サンローランのクチュールメゾンが閉鎖するまで社長を務めた。モード界で40年を過ごしたベルジェの情熱と激しい気性、そして頑なな厳格さなら誰もがよく知っている。傲慢そうな鼻、くしゃっと乱れた銀色の髪、突き出た顎。顔と同じく、その性格は今なお和らぐことなく健在だ。ジャケット襟のボタンホールには、バラ飾りが載った三色の略章が留めてある。これはレジオン・ドヌール勲章グランド・オフィサー受章の印なのだ。

「アンソニー・ヴァカレロのことはよくわからない。コレクションを一度見ただけなのでね」とベルジェは強くきっぱりと言い放った。「わかったかね?」と言うと、彼は鋼のような冷たい目を向けて一瞬黙り込んだ。「私には関係のないことだから。誤解のないようにはっきり言うと、私はケリンググループ元会長と現会長のピノー親子を非常に尊重している。彼らは幸い、私に助言を求めてきたことはない。だから私も助言をするつもりはないんだ」。過去のベルジェは歯に衣を着せずにものを言った。エディ・スリマンを最初に見いだして雇ったベルジェは、今も彼と個人的に親しくしている。

 一方、トム・フォードとステファノ・ピラーティに対しては否定的だった話は有名だ。でもヴァカレロのことはもう少し寛大に見ている。「フォードやピラーティと違って、ヴァカレロはサンローランが好きなようだから」。ベルジェは厳格な声色のまま言った。「それに彼は真似をしない。イヴ・サンローランを真似できるデザイナーなんて、まさかいるとは思えないけれど」
 デビュー・コレクションにおけるヴァカレロ流の解釈は、多くの人の目に意外に映っただろう。それはひと目見てわかるような、明らかなオマージュではなかった。コレクションのベースとなったのが、イヴ・サンローランが1982年7月に発表したレオパード柄のドレスだったのだ。このドレスが作られたのは、ヴァカレロが2歳のとき、という計算になる。

 

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