サンローランというメゾンのデザイナーの地位を引き継ぐアンソニー・ヴァカレロ。彼なりの流儀で過去を今に結びつける

BY ALEXANDER FURY, PHOTOGRAPHS BY JACKIE NICKERSON, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: 1967年のレザースカート ©FONDATION PIERRE BERGÉ – YVES SAINT LAURENT, PARIS / ALEXANDRE GUIRKINGER

1967年のレザースカート
©FONDATION PIERRE BERGÉ – YVES SAINT LAURENT, PARIS / ALEXANDRE GUIRKINGER

 サンローランというメゾンが誕生するまでのいきさつはあまり知られていない。ファッションマニアならすかさず、サンローランは20世紀の最も偉大なデザイナーとして称賛されてきた人物だと言うだろう。イヴ・サンローランは1957年に、クリスチャン・ディオールの後継デザイナーに指名されて一躍名声を得た。その3年後、パリの実存主義者をテーマにしたショーで(彼の愛した左岸スタイルの発端である)、黒のレザージャケットを発表するが、ディオール(その保守的な顧客と経営陣※訳者注)を憤慨させてしまう。

 だがこのジャケットを含む「ビート ルック」といえば、60年代の若者の反乱やカウンターカルチャー、ひいてはパンクの到来までを予見する、ストリートに着想を得た初めてのクチュール・コレクションだった。この後まもなくディオールは、サンローランが二度先延ばしにしていた兵役に出るのを許し、こっそりと代わりの後継者を雇ってしまう。するとベルジェは契約不履行の訴訟を起こして賠償金を得る。これを資金にして1961年、ベルジェとともにイヴ・サンローランは自らのメゾンを創設し、モードの革命を巻き起こすにいたったのだ。

画像: 1968年秋冬のシフォンドレス ©FONDATION PIERRE BERGÉ – YVES SAINT LAURENT, PARIS / ALEXANDRE GUIRKINGER

1968年秋冬のシフォンドレス
©FONDATION PIERRE BERGÉ – YVES SAINT LAURENT, PARIS / ALEXANDRE GUIRKINGER

 こうしてイヴ・サンローランは、女性のパンタロンをスタイリッシュに仕上げ、ピーコート、サファリジャケットといったメンズ特有のアイテムを女性向けの魅力的な服に変えた(小公子風のニッカボッカーズも登場したが、その影響は後年まで残らなかった)。1968年には、重ねたシフォン地からバストが透けて見える服を、ファッションショー史上初めて発表する。1971年の「40年代ルック」で見事に蘇った肩パッドは、1980年代の流行を先見した。1966年にはモード界のヒエラルキーを覆すプレタポルテラインを展開し、オートクチュールの終焉とまではいえないにしても、その影響力の陰りを物語った。

 そして2002年、 引退前の最後のショーはポンピドゥーセンターで2000人のゲストを前に開かれ、その様子は屋外の大型モニターで何千もの観衆の前に映し出された。当時のマリアンヌ(仏版自由の女神“マリアンヌ”のモデルが時代ごとに選ばれる)だった女優レティシア・カスタと、カトリーヌ・ドヌーヴ(1967 年のドヌーヴ主演の映画『昼顔』の全衣装をサンローランが手がけた)がサンローランに歌を捧げて、舞台は幕を閉じた。ふたりの“フランスの顔”が、もうひとりの“フランスの顔”サンローランに讃辞を贈ったのだった。

 

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