BY ALICE GREGORY, PHOTOGRAPHS BY LAURENCE ELLIS, ARTWORK BY GENGOROH TAGAME, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO
東京の桜がちょうど満開になった4月初旬のある朝早く、閑静な南青山の名もないオフィスビルに100人ほどの個性的な装いをした人々が集まった。建物の外観(何の変哲もないレンガのビル)やその内部(ベージュ一色で空っぽでさらに特徴がない)とは対照的に、そこに入っていく人々の姿は、街路をふんわりと覆うピンクの花びらと同じように、いや応なしに視線を釘づけにする。そこには宗教的ファンダメンタリストや16世紀の肖像画の人物、はたまたフェデリコ・フェリーニ監督の映画『道』(1954年)のエキストラと見まがうような格好をした人までいた。彼らは黙ったまま無表情に会釈を交わしながら、代わるがわる後方の人のために扉を押さえていた。
1969年に川久保 玲が立ち上げたアヴァンギャルドなファッションレーベル「コム デ ギャルソン」は東京でも年に4回、社員とバイヤーだけのための展示会ミニショーを開く。社員は、川久保が求める厳密な基準に沿って、メゾンのあらゆる美学のルールを熟知していなければならない。この美学を守るために彼らは人生を捧げているも同然なのだ。グレーの絨毯を敷き詰めた会議室には、合板製のショーステージが特設されていた。その横にプラスチックの折りたたみ椅子が整然と並び、蛍光灯はチカチカと点滅している。そんななかで完璧なメイクとヘアスタイルのモデルたちが何千マイルも離れたパリで、何カ月も前に披露された今シーズンのコレクションを披露した。
チュールを何層にも重ねたスカートやプラスチックのヘッドピースを身につけたモデルたちは、ルイス・キャロルの世界から抜け出してきたようだった。だが彼らの存在はどこか場違いで、さして重要ではないようにも見えた。私は懸命にランウェイだけに注目しようとしたが、どうしても向かいに座っている数十人の、全身をコム デ ギャルソンで固めた社員の姿が視界に入ってくる。彼らは共通のイデオロギーを掲げて闘志に燃える集団を思わせた。大半の人が前髪のあるヘアスタイルで、ジュエリーは身につけていない。ウォッシュド・ウールのラッフルジャケットを着ている人や、アルチンボルドの絵画をプリントしたガウンをまとい、アレルギー用マスクをつけている人もいた。レイヤードスカートはロング丈で、誰もがアンクルソックスをはき、シューズはフラット、ピーターパン・カラー(先が丸く幅が広い襟)はオーバーサイズだ。多様なシーズンとライン(コム デ ギャルソンには18ものラインがある)が入り交じったコーディネイトは強烈で目がくらみそうだった。ウィメンズウェアを着ている男性や、メンズウェアを着ている女性もいた。しまいに私は、メトロポリタン美術館で2017年に催された『川久保玲/コム デ ギャルソン: Art of the In-Between』回顧展の会場に引き戻されたような気になった。だがここで目にした彼女のアーカイブは命を吹き込まれたようで、展示会に並んでいたものよりずっと身近で、迫ってくるようなインパクトがあった。
コム デ ギャルソンのプレス担当者は、このレーベルの世界観をまさに体現したような男性だ。愛嬌のある小柄な彼は、スパンコールをちりばめた“水槽の砂利色”のバスケットボールパンツをはいていた。彼に、社員の人たちはショーのために特別にドレスアップしているのかと尋ねると、ちょっと困惑した表情で私を見た。「そんなことはないですよ」と彼は言った。「僕たちはいつもこんな格好なので」
どんなに奇抜なスタイルの女性でさえ、その外見が“社会的規範に逆らう”ようなことはめったにない。美しく見せることが目的でない場合も、女性たちは自分が他者にどう映るかを気にしているからだ。突拍子もないデザインの帽子やオーバーサイズのスーツを身につけ、頭をそり上げ、口紅をわざと乱暴に塗りたくっていても、すべては“しかるべき装い方”を奇妙に味つけしたバリエーションにすぎない。一方、風変わりな格好をした男性というのはまれにしかいない。決めすぎたダンディのようなタイプはさておき、体と服の両方の特徴を生かして、どこか不均衡な、見たこともないシルエットを生み出そうとする男性がいたとしたら感動的ですらあろう。もし実際にメンズファッションが掲げてきた従来の目的(実用性があり、権力や富を象徴すること)を拒む男性がいたとしたら、資本主義自体を拒否しているように見られてしまうかもしれない。といっても、個性的な装いによって主義を表明するには、何度もカードローンの世話にならざるを得ないのだろうが。
川久保は、コム デ ギャルソンを設立してから約10年後、1978年にメンズウェアを発表した。するとたちまちその人気に火がついた。東京在住の執筆家、W・デーヴィッド・マークスが2015年に上梓した『AMETORA:日本がアメリカンスタイルを救った物語』にも書かれているが、このブームは日本の高度経済成長によるところが大きい。この急成長のおかげで中流階級のティーンエイジャーがクレジットカードを持てるようになり、コム デ ギャルソンをはじめとする、エキセントリックで高価なブランドの服を買えるようになったからだ。
このブランドが初めて発表したメンズスーツは、ダークカラーの、サイズ感のずれた古着のようなデザインだった。当時、この美学はモード界のエリートたちには敬遠された。コム デ ギャルソンの象徴的なスタイルは、クラシックと呼べるようなスーツやシャツを土台にしながらも、常に強い反骨精神を内在させている。ピンストライプのボタンダウンシャツの袖にスラッシュ(スリット)を入れ、ネイビーウールのスクールボーイ風ショートパンツにはヒョウ柄の切り替えを施す。ブラックのタック入りパンツは膨らませ、クロップドで、裾は先細りにするといった具合に。
ニューヨークを拠点にするアートスクール風(美術学校の学生のような奇抜で独特なテイスト)のブランド「エコーズ・ラッタ」は先頃行われたショーで、画家や妊娠中のモデル、パフォーマンス・アーティストを登場させた。だが川久保はそれよりずっと以前に、ジャン=ミシェル・バスキア(1987年、米グラフィティ・アーティスト)、フランチェスコ・クレメンテ(1989年、伊画家)、ジョン・マルコヴィッチ(1990年、米俳優・映画プロデューサー)、デニス・ホッパー(1991年、米俳優・映画プロデューサー)、マット・ディロン(1991年、米俳優)といった人物をメンズショーのモデルに起用している。1993年には米美術家のロバート・ラウシェンバーグをランウェイに登場させたが、そのときの彼は泥酔状態だった。コム デ ギャルソンの熱烈なファンである著名な男性ももちろん数多く存在する。たとえば1992年に、46歳でパリのショーに登場した米映画監督・脚本家のジョン・ウォーターズ。ピエロ風キュロットを衝動買いしたことがあるという米作家のデビッド・セダリス。『コム デ ギャルソン』という曲を発表したR&Bシンガーのフランク・オーシャン。ほかには米俳優・ミュージシャンのジャレッド・レト、バスケットボール選手のジェームズ・ハーデン、ラッパー兼俳優のダビード・ディグス、カニエ・ウエストなどがいる。
「コム デ ギャルソンの服は、“どうしてこんな服?”ではなく、“どうしたらこんな服が!”という視点で見るのがいい」。こう語るのは、ニューヨーク在住の48歳のフリーランスのパタンナーで日本人のウタカ・ケン氏。もともと日本で暮らしていた彼は15歳のときからコム デ ギャルソンの服を着ているそうだ。「肝心なのは“どうして”こんな奇妙な服を作るのかっていうことじゃなく、“どうしたら”こんな独創的な服が作れるのだろうっていうこと」
川久保に会う際に、私が尋ねたいと思っていたのは次のようなことだ。メンズウェアをデザインする際、どんなアプローチをとっているのか。現代の、つまり2018年における“男性らしさ”をどう捉えているか。メンズとレディスをデザインするうえで、どのような違いや共通点があるか。メンズウェアはドレスコートが厳しいからこそ、よりクリエイティブで面白いものを生み出せるのかどうか、といったことだ。とはいえ、別に意義深い、はっきりとした答えを望んでいたわけではない。川久保は、格言的な言い回しが得意で(“肝心なのは拒絶すること”といった発言のように)、時空を超えたような、いかにも天才肌の人物として知られているのだ。あるとき、ジャーナリストが質問すると、彼女は紙に円を描いてその場を立ち去ったという逸話さえある。
だが意外にも、彼女の態度はよそよそしくも堅苦しくもなかった。夫でコム デ ギャルソン社のCEOでもあるエイドリアン・ジョフィーが通訳を務めるなか、彼女は控えめながらまっすぐなプロ意識を感じさせた。だが、女性と男性を比べる話になると、熱のこもった口調になった。
「この頃は、男性のほうが新しいものを試す勇気があるようです。これは日本だけでなく世界共通のことではないでしょうか」と川久保は切り出した。なぜ女性はこんなにおとなしくなってしまったのか、なぜ最近ショーピースを買ったり着たりするのは男性だけなのかと、次々と疑問を並びたてた。女性が男性より保守的になってしまったことについて彼女は「がっかりしています」と嘆いた。「その深層にある理由がわかればぜひ教えてください。仕事に役立てたいので」
彼女が若かった頃、特に1980年代、若い女性たちは高価な服のリストにコム デ ギャルソンの名を加え、その服を買うために長時間並ぶことをいとわなかったという。だが最近は「むしろ男性が行列をして物を買う傾向がある」と話す。「女性はなぜそういうことをしなくなったのでしょうか。シュプリームやナイキの店に、どうして女性は並ばないのでしょう」。私は自分なりの考えを伝えてみた。デジタルストリーミング世代にとって、かつてのレコード収集に代わるのがストリートウェアなのではないかと。ニルヴァーナのEP盤やカニエ・ウエストの初期のミックステープ(DJによるリミックス曲を収録したテープ)の代役となるのがストリートウェアで、それが男性特有のマニアックなコンプリート欲(徹底的な収集欲)を刺激しているのではないかと。これに対する川久保のリアクションは特になく、言葉は返ってこなかった。
確かに女性のなかにもコム デ ギャルソンの熱烈なファンはいる(1980年代、彼女のファンたちは黒に夢中で“カラス族”と呼ばれていた)。だが男性のファンには、もっと特別な思い入れがあるようだ。「これまでいろんな服を見てきたけれど、いちばんやみつきになったブランドだよ」。気鋭のブランドを集めたコンセプトストア「トトカイヨ」ニューヨーク店の店員、レーン・スポデク(28歳)はそう語る。
話を聞いた多くの男性と同様に、スポデクも、コム デ ギャルソンを着ると自身がアート作品になったような気持ちになると言う。彼は自由に使えるお金をすべてコム デ ギャルソンの服につぎ込み、日本に行くための貯金もしている。日本への旅は彼にとっての“巡礼”らしい。
川久保は、コム デ ギャルソンの男性客は、主に学生とクリエイティブな仕事に就いている人だと話す。「自由がきかない仕事をしている男性は、きっとわれわれの服を着ないでしょうね」。彼女自身、メンズウェアの制約(落ち着いたカラー、スーツ用の素材、仕事に適したデザイン)があるからこそ、その創作は面白いと認めている。見たこともない新しい服を創ることを常に自らに課している川久保のようなデザイナーにとって、取り組みがいのあるクリエーションなのだろう。「洋服のベースは、メンズファッションにありますから」と川久保は説いた。
「コム デ ギャルソンの服でいちばん優れていると思うのは、服が体にフィットすること。見た目は変わっているけれど、実は体にしっくりとなじむし、デザインもかなり実用的なんだ」とウタカは説明する。彼にお気に入りの一着があるか尋ねると、「2012-’13年秋冬コレクションの驚くほど見事な黒のコート」だと教えてくれた。「一見、誰でも作れるんじゃないかと勘違いしてしまうかもしれない。まるで二枚の布をささっと縫い合わせただけの服に見えるから」。ウタカが言及したのは、「二次元(The Future’s in two dimensions)」というテーマのコレクションの服だ(コレクションには毎回テーマがあり、それに即した服が創られる。だが川久保が文字どおりに解釈するテーマは、抽象的な概念のように感じられることが多い)。この服の特徴はその視覚的なパラドックスだ。フラットに見えるのにボリュームがあり、肩は丸みを帯び、ウエストはくびれ、ヒップは角張っている。まるでペーパードールのために作ったパーカーのようだ。ウタカはこの服のドレーピング(立体裁断)技術とラペル(下襟)のつくりが素晴らしいと言う。コートの構造はシンプルに見えるが、そのテクニックはシンプルとはほど遠いものなのだ。
コム デ ギャルソンの服に潜む“実用性”は、おそらく川久保のデザインにおける“最も伝統的なメンズウェアの特徴”だろう。このブランドの服を着る人はよく、新調した服でも、新品のように感じないと言う。タグがついた服を試着したときでさえ、それがすでに何年も、自分のクロゼットにかかっていた服のように思えるそうだ。ミュージシャンで、カナダのロックバンド「ベアネイキッド・レディース」のキーボード奏者であるケヴィン・ハーン(49歳)は、長いことコム デ ギャルソンの服を愛用している。「川久保の服には音楽を感じるよ。それぞれのアイテムがそれぞれ違う歌のようでね。彼女の服は世界に彩りと喜びとクリエイティブなパワーを与えている」と称賛する。私たちが話をしたその日、彼は最近買ったという黒のスリッカー(長めのゆったりしたレインコート)を着ていた。それはゴアテックス製で、死に神がかぶるような不気味なフードがついていた。川久保の服には遊び心があると言うハーンは、話を続けた。「でもこのスリッカーに限ってはまったくふざけたところがないんだ。エレガントで使い勝手よくデザインされている。あるべきところにポケットがあり、あるべきところに紐がついている。川久保は遊んでなんかいない、真剣そのものだよ」
男性たちがこのブランドに傾倒する理由のひとつとして、「ジェンダーフルイド(ジェンダーの流動性)」にアプローチしたデザインを評価しているということが考えられる。ここ数年でこの流れをくんだデザインはかなり一般的になったが、それまで数十年間にこうした試みを行なったのは川久保ほぼひとりだった。彼女はスーツのジャケットをシャネルジャケットの丈に縮め、ギャバジンの“ハンサム”なスカートを提案し(ハンサムという形容詞が最も合う)、会社向けの白いシャツのボタンダウンカラー代わりに、女子生徒風のラウンドカラーをのせた。川久保はこうして、男性たちが社会に身を置きながらも、そこからこっそりと抜け出す方法を与えたのだ。これまで約1世紀の間、実用的な不朽のスタイルを、控えめな一定のリズムで保ってきたメンズウェアには、革新的変化などないに等しかった。突如そこに魔女のごとく現れた川久保は、男性がもっと自由な、新しい姿で世界に飛び出せる方法を編み出したのだ。これはモード界だけでなく、男性らしさという観念にもわずかながら変化をもたらした。川久保がメンズウェアを手がけ始めて40年、現在トム・ブラウン、ラフ・シモンズ、クレイグ・グリーンをはじめとする数多くのデザイナーが彼女のフィロソフィを受け継いでいる。今ようやく、次の世代が出現したのである。
「あなたのお父さまはどんな服を着ていましたか」。インタビューも半ばにさしかかった頃、私は彼女に尋ねた。ジョフィーが私の言葉を訳すと、川久保は彼に20、30秒ほど日本語で何かを言った。「彼女には質問の意味がわからないそうで」とジョフィーが返ってきた。そして彼は笑い出したが、川久保は笑わなかった。彼女が私の質問に答えたくないということは、暗黙のうちに理解できた。
私たちは会話を続けたが、どこかぎこちなさが感じられた。川久保は、2017年春夏コレクション(テーマは「裸の王様」)が受けるべき称賛を得なかったのが腑に落ちなかったと言う。彼女としては、このコレクションを通してトランスペアレントな服を男性の間に広めたかったそうだ。だがその次あたりのシーズンより、トランスペアレントな素材はトレンドとなり、いくつものショーに現れた(カルバン・クライン、バレンシアガ、オフ-ホワイトなど)。同コレクションの“幽霊のように透明な”PVCニットのように、意表をつく素材を使うことはメンズウェアデザインにおける挑戦であり醍醐味だと川久保は語る。
「唯一彼女が苦手なのはキャンプで着る服のたぐいです。ウォーキングウェアやアウトドアウェア、わかります?」。ジョフィーが言葉を挟んだ。「“アスレジャー”のことですよね(アスレチックとレジャーを合わせた造語でスポーツウェアを採り入れたスタイル)」と私が確認するとジョフィーは頷き、「アスレジャー」と英語で走り書きした紙片を川久保に見せ、「この言葉、知ってる?」と聞いた。彼女はきっぱりと首を振った。「これこそが彼女にとって最もつまらないファッションなんです」とジョフィーが言う。「こういうスタイルのなかに、何か面白い要素があるかを探してみましたが、何も見つからなかったので......」と川久保は言い添えた。
川久保は何よりまず、自分がビジネスウーマンであると主張する(全ブランドの総売り上げは3億ドル(約330億円)。135ある店舗はすべて川久保が所有している)。だが同時に、この呼び方はほとんど滑稽なくらい彼女に似合わない。「大抵ビジネスというのは、いかに収益が増え、発展したかということだけを考えるもの。そういう一般のビジネスとコム デ ギャルソンに違いがあるとしたら、売れるか売れないかだけに左右されないことでしょうね。私たちのビジネスは、クリエーションなので」と彼女は言いきる。もともとメンズを手がけたのは、現実的な理由があったからで、クリエイティブな発想によるものではなかったそうだ。彼女はこう続ける。「クリエーションは、何より難しいビジネスだと何度も感じてきました。単なるアイデアや、誰も見たこともないようなアイデアを売るのは容易ではありませんから」。そう語る川久保は、さまざまなことを「美学的な観点」で取り決めるそうだ。事業形態ですら、そうした見方で決めるらしい。
彼女自身が気に入っているかそうではないのかわからないが(おそらく前者だろう)、川久保の服は一概にアート作品として購入され、享受されている。街でコム デ ギャルソンの服を着た人を見かけるとこんなことを思う。アートに比べると、ファッションはもっと寛容で、より多くの人々と共有でき、思想まで表明できるものなのだと。ギャラリーで購入して自分の家にだけ飾る絵画作品とは違い、コム デ ギャルソンの服は世界じゅうどこでも目にすることができる。このブランドの服を決して着ることがない人、あるいはそれに手の届かない人とも向き合って彼らを喜ばせたり、たじろがせたり、もどかしさを与えたりするのだ。あの朝、東京で、少なくとも私はそんなことを思っていた。オフィスのショーステージを挟んで、コム デ ギャルソンの社員の向かい側に座っていた私は、彼らに圧倒されると同時に恥じ入っていた。場にふさわしく、自分を引き立てるような服を選んだつもりだったのに、突然、なんの面白みもない身勝手な格好をしてきたような気がしたのだ。自分自身にも、ほかの人にも喜びを与えない服など無駄にさえ思われた。私は、いわゆる普通の人がする“普通のスタイル”をしていて、それは“コム デ ギャルソンを着る人たちのスタイル”とはほど遠かった。
数日後、川久保にインタビューするためオフィスに再び足を運んだ。先日と違う服を選んだが、パッとしないことに変わりはなかった。彼女が私の服装を気にとめたはずもないが、もしもそうしたなら、ひどくがっかりさせたにちがいない。「その人のために特別にデザインしてみたいけれど、まだその機会がないという男性はいますか」。1時間にわたるインタビューの終わりに私はそう尋ねた。川久保は首を横に振り、「つまらない質問ね」とだけ答えた。