ファッションレーベル「A.P.C.」の創設者ジャン・トゥイトゥと、息子でシェフのピエール・トゥイトゥ。二人がそろって愛する、上質な食とボタンダウン・シャツについて

BY ALICE CAVANAGH, PHOTOGRAPHS BY ALFREDO PIOLA, TRANSLATED BY IZUMI SAITO

 有名なパリのファッションレーベル「A.P.C.」の創設者、ジャン・トゥイトゥ。2017年8月、彼はシチリアとチュニジアのあいだに位置する、岩肌がむき出しの火山島パンテッレリーアにある新しい別荘で、息子でシェフのピエールと一緒に、家族や友人をもてなすためのごちそうを作っていた。

画像: ピエール(左)とジャン・トゥイトゥ(右) パリにあるジャンのアパートメントにて。彼らの後ろにあるのは、ドイツ人アーティストのヴォルフラム・ウルリッヒによる作品だ。ジャンは「高価なものを所有することに興味はないが、これらは僕に語りかけてくるんだ」と、自身のアートコレクションについて語る

ピエール(左)とジャン・トゥイトゥ(右)
パリにあるジャンのアパートメントにて。彼らの後ろにあるのは、ドイツ人アーティストのヴォルフラム・ウルリッヒによる作品だ。ジャンは「高価なものを所有することに興味はないが、これらは僕に語りかけてくるんだ」と、自身のアートコレクションについて語る

 チュニジア出身であるジャンの母親、オデットのレシピにならった「モロキア」は、ジャンがふざけて“油の膜”とたとえるとおり、しっかりとした粘り気のある肉のシチューだ。料理名の由来であるモロキアの葉が、そのスープに深い色合いと粘度を与えている。このちょうど数週間前、ふたりは同じ料理をピエールのパリの店「 Déviant(デヴィアント)」で出したところだった。活気にあふれたパリ10区にある「デヴィアント」は、大理石に覆われたにぎやかなナチュラルワインバーだ。その時には、より一般受けするよう、わずかながらレシピを微調整した。「パンと、それにサフランで色づけした少量のクスクスを添えて、よりセクシーなひと皿に演出したんだ」とジャンは言う。

 ふだんはジャンはピエールのキッチンには入らないが、この日は、家族が何代にもわたってレシピを受け継いできたチュニジア料理を祝う特別な夜だった。現在67歳になるジャンは、7歳のときに故郷チュニジアからパリへやってきた。「じつにたまらないね」。ジャンは「デヴィアント」の調理場に立つ時間を愛情を込めて語る。「ステージに上ったような気分だよ。しかも、歌うときに音をはずさないかとビクビクする必要もない」。父と息子の息の合ったデュオは、肩のこらない原動力を生み出す。ジャンは息子にスペースを譲り、ピエールが独自の表現を奏でるのを誇らしげに見守る。「息子と肩を並べて仕事できるなんて、天にも昇る幸せだ。いま天井でつっかえてるけどね」

画像: チェリーウッドの飾り棚に並べられた、家族や友人のポラロイド。ジャンの自宅は建築家ローレント・デローがデザインした

チェリーウッドの飾り棚に並べられた、家族や友人のポラロイド。ジャンの自宅は建築家ローレント・デローがデザインした

 弱冠25歳にして、すでにピエールはパリのフードシーンで地盤を築いている。10代で「Plaza Athénée(プラザ・アテネ)」でアラン・デュカスの見習いとしてキャリアをスタートさせた彼は、今では「デヴィアント」と、最初の姉妹店である「Vivant(ヴィヴァント)」の共同オーナーである。ヴィヴァントはデヴィアントの4軒先にある19席のチャーミングなネオ・ビストロで、現在は改装中だ。

2016年に、彼はシェフとして初めてヴィヴァントを訪れた(その半年前に、彼は共同経営者としてこの店を購入していた)。そこにあったのは2つのホットプレートと壊れたオーブンがあるだけの小さなキッチンだったが、この店で彼は名声を築き上げていった。ピエールは、その季節にとれる旬の、最高の食材を提供することにあくまでも忠実であろうとする。サスティナブルな方法で捕獲されたマグロに、オリーブとバジル・マヨネーズを添えた彼のスペシャリテ「トーン・ア・ラ・チュニジエンヌ」のように、ときにチュニジア風のアレンジを加えたりしながら。

画像: ジャンの末娘が飼っている猫のインディ

ジャンの末娘が飼っている猫のインディ

「まず素材ありき」ーージャン・トゥイトゥはそれを家で食事をするときの流儀として心がけてきた。2003年から、ジャンはパリの高級住宅街として知られる6区の、チェリーウッドでパネリングされた光あふれるモダンなアパートメントで暮らしている。A.P.C.の本社からは歩いてすぐの距離だ。ピエールは一人暮らしを始めるまで、父の家と、母であるアグネス・シェメトフの住まいの2カ所で生活してきた。彼らの自宅の料理は、とにかく最高の素材であることがすべてだった。「簡単でもいい、でもおいしくなければいけない」、それが自分の受けた食育だとピエールは振り返る。

「パントリーには最低でも5種類以上の酢を揃えること」と主張する父のビネガー料理への偏愛の洗礼を受け、トゥイトゥ一家が愛する手間のかからないデザートで育てられた。「僕の家では焼き菓子は作らなかった。でも、いつだってカゴいっぱいの果物があった。それに、すごく質のいいチョコレートもね」

画像: ジャンのレコードコレクション

ジャンのレコードコレクション

 不遜で、いつも何かをからかう言動で知られるジャンに対して、ピエールはむしろひとり黙々と考えにふけっているようなタイプだ。しかし彼の服装には、父と同じ資質が現れている。ファッション業界で働くことは考えたことがないというピエールだが、その装いは彼が確かな独自のセンスを持っていることを示している。

ブルックスブラザーズのボタンダウン・シャツに、白のペインターパンツ、そしてカマルグの「ラ・ボッテ・ガーディアン」の履き慣らされたスエードのウエスタンブーツ。ほとんどいつも、彼はそんなシャープなコーディネートに身を包んでいる。そして胸ポケットには必ず2本のペンが収まっている。「僕の持っている服は、どれも青か白かストライプなんだ」とピエールも認める通り、その組み合わせは彼のユニフォームのようなものなのだ。

画像: リュ・マダム通りにある本社にアーカイブされているA.P.Cのポスター

リュ・マダム通りにある本社にアーカイブされているA.P.Cのポスター

 A.P.Cの服を着ることは多くないピエールだが(A.P.Cのスリムフィットシャツは、身長約180cmで肩幅が広い彼の体型には向いていない)、それでもシンプルな要素で構成された彼のワードローブには、父のブランドから受け継いだ審美眼が見てとれる。

「僕がこんなにシャンブレーのシャツとボタンダウンが好きなのは、間違いなくそこから来てるね」と彼は認める。父子共通の趣味であるギター演奏も含めて、服以外のあらゆる物事に対するジャンのアプローチは、息子のピエールに比べていささか奔放で気ままなフリースタイルだ。「僕はコードを覚えてギターを弾くタイプだけど、父はそんなの気にしないんだ。違いはそこかな」と言うピエールに、ジャンが答えた。「料理するときと同じさ」

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