バレンシアガを手がけるデムナの、挑発的で、カルチャーの根幹を揺るがすようなクリエーションは、彼自身を映しだす自伝でもある。ときおり姿を隠そうとしても、その服は彼の過去と現在をありのままに物語る。時代の潮流を生みだすデムナの、決して平坦ではなかった道のりを尋ねた

BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY LISE SARFATI, STYLED BY SUZANNE KOLLER, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: 2022年7月7日、デムナのパリの自宅にて。「メルセデス─AMG F1アプライド サイエンス」と共同開発したバレンシアガクチュールのフェイスシールドと、バレンシアガのウェアを身につけたデムナ

2022年7月7日、デムナのパリの自宅にて。「メルセデス─AMG F1アプライド サイエンス」と共同開発したバレンシアガクチュールのフェイスシールドと、バレンシアガのウェアを身につけたデムナ

 今年の7月、夏の夜風が心地よいパリで、バレンシアガは、7年前からアーティスティック・ディレクターを務めるデムナ(41歳)を囲むディナーパーティを催した。この日、ジョージア(旧グルジア)出身のデザイナー、デムナにとって二度目となるバレンシアガのクチュール・コレクションを披露したのだ。フランスのメゾン「バレンシアガ」の創業は1917年。設立者であるスペイン人のクチュリエ、クリストバル・バレンシアガは、クリスチャン・ディオールが40年代後半に発表したきわめて女性的なニュールックとは一線を画す、バルーンドレス、サックドレス、コクーンコートといった大胆なスタイルで戦後のモード界を牽引したことで知られている。

 パーティ会場は、コンコルド広場を望み、広場と同じネオクラシック様式を誇る「オテル・ド・ラ・マリーヌ」。かつて皇帝ナポレオン1世や国王シャルル10世の戴冠を記念する舞踏会が開かれた18世紀築の宮殿だ。修復されて間もないこの歴史的建造物の大広間では、マジシャンのデヴィッド・ブレインが、ポップスター、デュア・リパの前でカードトリックを披露し、女優アレクサ・デミーはクリスティン・クインと話に花を咲かせていた。不動産業者でリアリティスターでもあるクインが手にしていたバレンシアガのバッグは、「バング&オルフセン」のスピーカー機能を備えた、生産数わずか20個という特別限定アイテムである。そしてこのメゾンの、誰より熱心で誰より有名なファンであるキム・カーダシアンは、ポリウレタン製の黒いフェイスシールドで顔を覆ってポーズを決めていた。その風変わりな姿はまるで、コンセプチュアルアーティスト、ジョン・バルデッサリのコラージュ写真から飛びだしてきたかのようだった。

 デムナが座っていた長いバンケットテーブルには豪華な顔ぶれが勢揃いしていた。カーダシアンの母親クリス・ジェンナー、女優ミシェル・ヨー、スーパーモデルのナオミ・キャンベルにベラ・ハディッド、ラッパーのオフセット。そしてカントリーミュージシャンのキース・アーバンと、その妻でハリウッドスターのニコール・キッドマン。キッドマンはこのパーティの数時間前に、バレンシアガのクチュール・コレクションのモデルとしてランウェイデビューを飾ったところだ。ショーでは、ウエストの結び目から長いトレーンを垂らした、メタリックシルバーがまばゆいシルクタフタのドレスを堂々と着こなしていた。デムナはときどきひどいあがり症になることがあるので、これまで大勢の人が集う席では気心の知れた人たちと一緒にいるようにしてきた(そのひとりが彼の夫であり、BFRNDのアーティスト名で知られる作曲家兼ミュージシャン、ロイック・ゴメスだ。オンラインで2016年に出会ったふたりは、2017年に結婚した)。だが今回のパーティでは、毎週受けているライフコーチングのアドバイスに従って暴露療法(註:不安障害を治療するための行動療法)を試そうと、あえて仲間がいないほうのテーブルに座った(言葉よりも、自分が創る服で感情を伝えるほうが楽に感じることが多いと言うデムナは、バレンシアガに来る直前からずっと同じコーチのサポートを受けている)。彼は最初、「もしニコールの気にさわるようなことを言ってしまったら」と不安そうだったが、遠くから様子を見ると、会ったばかりのキッドマンと互いに顔を見合わせている。キッドマンの手はデムナの胸に、デムナの手はキッドマンの胸に置かれ、言葉も発さず、身動きもせず、そのままのポーズで2分ほど見つめ合っていた。「私はこういう形で人とつながるのが好きだから」とキッドマン。

 大広間の向かい側にあるテーブルには、デムナの仲間がずらりと顔を揃えていた。私も、普段ならデムナがいるはずの、こちら側のテーブルに座った。私の周りにいたのは、デムナの長年のミューズで画家のエリザ・ダグラス、彼女のパートナーでアーティストのアン・イムホフ。この会場の中庭で数曲を披露したポップシンガーのロイシン・マーフィーに、モデルのジュリア・ノビス。バレンシアガの2022年秋のキャンペーンを撮影したフォトグラファー、ナディア・リー・コーエン。デムナが2014年に立ち上げ、世界のトレンドを引っ張ってきたファッションコレクティブ「ヴェトモン」の創設メンバーで、現在バレンシアガのチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めるマルティナ・ティーフェンタラー。その恋人で、バレンシアガのロゴリニューアルの立役者でもあるグラフィック・デザイナーのギアン・ギジガー。デムナがこのクリエイティブ集団を信頼し、大切にしていることは誰もがよく知っている。彼と同じ反逆精神みなぎるこの仲間たちが、デムナのショーに出演し、ルックブックを飾り、彼をサポートしているのだ。その存在は、気さくな“フォーカスグループ(註:商品開発などに役立つ情報収集のために議論するグループ)”とも言える。「クレイジーなカーニバルみたいなメンバーで、その中心人物が彼というわけ」。ティーフェンタラーは誇らし気にそう言ってデムナのほうを向いた。ゲストたちのきらびやかなドレスのなかで、デムナが着ていたグレーのコットンフーディが何より際立って見えた。

「人気を再燃させること」。2015年、バレンシアガはこの明確なミッションを果たすために、デムナを抜擢した。だがクリスチャン・ディオールが「あらゆるデザイナーの師」と崇め、ココ・シャネルが「真のクチュリエは彼しかいない」と賛美した伝説のデザイナー、クリストバル・バレンシアガの継承者として(また最近では2012年までの15年間ブランドを指揮した、先駆的で都会的な作風のフランス系ベルギー人デザイナー、ニコラ・ジェスキエールの後継者として)デムナの起用はやや意外だった。クリストバル・バレンシアガといえば、無駄な線をそぎ落とし、どこまでもシンプルで彫刻的なシルエットを追求した完璧主義者だ。1967年の春コレクションでは、一本の縫い目しかないウェディングドレスを発表し、自らの崇高な理想をほぼ形にしたデザイナーでもある。そんな彼らが築いてきた世界に、穴が開いたジーンズにみすぼらしいバンドTシャツ、両耳にはピアスという出で立ちのデムナはどこかしっくりこなかった。彼の出現はまるで、過激なロックバンド「ラムシュタイン」のコンサート帰りのヘビメタファンが、そのままモードの大舞台に立ち寄ったような、そんな印象を与えた。

 だがバレンシアガに就任したデムナは、世代随一とまではいかずとも、誰もが注目する時代の寵児になった。今のファッション業界ではあらゆるブランドのマーケターがバズを起こそうと躍起になっているが、デムナの場合、新しいシューズを発表するだけで、すぐにそれが人気ラッパー、カーディ・Bの歌詞の中に現れるのだ。さらに着目したいのは、デムナがこのメゾンのアーカイブを丹念にひもとき、クリストバルによるクラシックなシルエットを尊重しつつ、自由奔放な発想で再構築している点だ。彼はメゾンのコードにストリートのルールを組み込み、クチュールにお決まりのサテンやベルベット以外に、ナイロンやデニムも取り入れる。またこのメゾンが新しい扉を開いていくために、創設者へオマージュを捧げるだけでなく、彼独自の表現を加える。たとえば2016年秋冬コレクションの冒頭を飾った、腰回りが膨らんだ二つボタンのグレーのフランネルジャケットで、彼は50年代にベルライン(註:釣り鐘型)を提案したクリストバルに讃辞を贈った。かたや2020年夏コレクションのゴールドとシルバーのラメドレスは、いかにもデムナらしく思いきり誇張して、「筋肉増強剤を飲んだハーシーのキスチョコ」を思わせた。

画像: バレンシアガ、2022年クチュール・コレクションより。ブルーデニムのハイカラージャケットとゴデットスカート(註:台形や三角形をはぎ合わせたスカート)、黒のビスコースのオペラグローブ、つややかな黒のラバー製スペース、パンプス/バレンシアガ クチュール バレンシアガ クライアントサービス フリーダイヤル:0120-992-136

バレンシアガ、2022年クチュール・コレクションより。ブルーデニムのハイカラージャケットとゴデットスカート(註:台形や三角形をはぎ合わせたスカート)、黒のビスコースのオペラグローブ、つややかな黒のラバー製スペース、パンプス/バレンシアガ クチュール
バレンシアガ クライアントサービス
フリーダイヤル:0120-992-136

画像: バレンシアガ、2016年秋冬コレクションより。白黒の千鳥格子のアワーグラスウールジャケットとラップスカート、ホワイトシルクのブラウス、パテントカーフスキンのサイハイブーツ

バレンシアガ、2016年秋冬コレクションより。白黒の千鳥格子のアワーグラスウールジャケットとラップスカート、ホワイトシルクのブラウス、パテントカーフスキンのサイハイブーツ

 デムナはときどき姿を隠したい気持ちになる。だが以前にも増して詮索されているように感じてもいる。創設者クリストバルも同じ経験をした。クリストバル自身はとにかく人前に出ないようにしていたが、1940~50年代にファッション界のスターとして、世界にその名を轟かせることになった。『The Master of Us All: Balenciaga, His Workrooms, His World(あらゆるデザイナーの師、バレンシアガ。アトリエと彼の世界)』(2013年)の著者メアリー・ブルームは、アメリカの公共ラジオNPRでこう語っていた。「クリストバル・バレンシアガの身長はもちろん、痩せているのか太っているのかさえ、知る人は誰もいませんでした。フランス人ジャーナリストの中には、バレンシアガというブランドがひとりのデザイナーによるものではなく、デザイナー集団だと思い込んでいる人が何人もいたほどです。なにしろクリストバルはどこにも姿を見せなかったので」。2021年のメットガラに招かれたデムナは、キム・カーダシアンとともに真っ黒な布のフェイスシールドで顔を隠して会場に現れた。この祭典に出るということは、今やデムナがモード界のスターとして認められた証しではあるが、全身を覆い隠した彼のことをカーダシアンと別居中の夫カニエ・ウェストと勘違いする人も多かった。フェイスシールドをつけた理由は少なくともふたつあり、そのひとつ目は緊張を和らげるため、ふたつ目が、フォトグラファーたちがあちこちでフラッシュをたくカメラに、写真写りの悪い自分が写らないようにするためだったという。「昔から鏡に映る自分の姿が好きじゃなくて」とデムナ。言われてみれば青白い肌と筋の通った鼻がどことなく厳格な印象を与えるかもしれないが、ヘーゼル色の瞳と温かな笑顔がその厳しさを和らげている。だがメットガラ以来、デムナは写真に撮られるときは必ずフェイスシールドで顔を隠すことにしているそうだ。

 モード界では「rebel(反逆児)」や「iconoclast(因習打破主義者)」といった言葉があちこちで使われ、今にこうしたネーミングの香水が出てきそうな気さえする。確かに、イヴ・サンローランやリー・アレキサンダー・マックイーンのように傑出した才能と同時に心に深い闇を秘めたデザイナーたちが、ファッションを飛躍的に進化させてきたのは事実だ。そのせいか多くのブランドは、デザイナー、特に無名の新人を「幾多の苦難を乗り越え、ファッションとその概念を革新しようと奮い立つアウトサイダー」と称して売り込もうとするきらいがある。しかしデムナについて言えば、このフレーズがまさにあてはまる。彼の孤立感は、作品に付随する要素でも、プレスリリースのテーマでもない。見るべきところに目を向ければ、デムナが創るすべての服に彼の孤独や漂流感が映しだされているのに気づくだろう。

MODELS: SHIVARUBY AT STORM MANAGEMENT, TONI SMITH AT ELITE, BLESSING ORJI AT IMG MODELS AND BARBARA VALENTE AT SUPREME. HAIR: GARY GILL AT STREETERS. MAKEUP BY KARIN WESTERLUND AT ARTLIST USING DR. BARBARA STURM. SET DESIGN BY GIOVANNA MARTIAL. CASTING BY FRANZISKA BACHOFEN-ECHT

PRODUCTION: WHITE DOT. MANICURIST: HANAГ GOUMRI AT THE WALL GROUP. DIGITAL TECH: DANIEL SERRATO RODRIGUEZ. PHOTO ASSISTANTS: FRANВOIS ADRAGNA, JACK SCIACCA. HAIR ASSISTANTS: TOM WRIGHT, REBECCA CHANG, NATSUMI EBIKO. MAKEUP ASSISTANT: THOMAS KERGOT. SET ASSISTANTS: JEANNE BRIAND, VINCENT PERRIN. STYLING ASSISTANTS: CARLA BOTTARI, ROXANA MIRTEA. ALL PRODUCT IMAGES IN THIS STORY COURTESY OF BALENCIAGA

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