ファッションは人の営みを照らし、世を映し出す文化である。だが、その土壌を私たちは適切に耕し、育んでいるだろうか。ファッションとは何か。ファッションを文化として次世代へ繋げていくために、何が必要かーー。ファッションの未来を、ものづくりの場を軸に栗野宏文が考察する

BY HIROFUMI KURINO

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 ファッションとは何か?
本論考の後編にあたる内容を書き記していこう。服とは平たい素材(布や革)を、ひとのからだが着ることのできる立体へと変化させたものであり、その先の姿としてファッション衣料と呼ばれるものがある。服が暑さや寒さから身を守る“道具”として発展する過程に装飾性も加わり、機能価値以上の部分を変化させ、付加価値を伴ったプロダクツ=ファッションとして生成した。

  前回は”付加価値“を支えるものやイメージについて考察したが、今回は服の根源や場との関わりについても考えたい。1枚の布が服になるには、ひとの手が必要である。素材を裁断し、縫合し、その結果、服となる。着られる為には布が人体に沿うことが必須であり、その為には型(パターン)も必要だ。それでも手縫いの時代は布と針と糸があれば服となった。
近代以降ミシンが縫う行為を機械化し、手間を省き、合理化して、服の量産化を生み、ここから近代~現代の工業化社会や大量生産社会というサブジェクトに繋がっていく。

画像: 文字が記された布地が背中を包む。島の人たちの手描きの文字や手紙を裏地にしたためたリトゥンアフターワーズのジャケット PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

文字が記された布地が背中を包む。島の人たちの手描きの文字や手紙を裏地にしたためたリトゥンアフターワーズのジャケット
PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

 時間軸での現在を“正解”や“到達点”と捉える歴史観に従えば、ひとは機械化によって服作りを“進化”させたというであろうし、機械化によってひとは“手間”から解放された…とも定義される。服に限らず近代以降の工業化社会を是とする視点では、“文明の勝利”的に語られてもきた。だが僕が指摘するまでもなく、工業化社会は大量生産社会へと繋がり、大量消費社会を生み、結果として地球資源の枯渇や工業化のもたらした公害の様に多くのネガティブな現実を突きつけている。

  大量生産社会は労働の問題とも不可分だ。工業化を支えたのは賃金労働者というかたちで都市や工場地帯に取り込まれていったひとびとであり、その多くが故郷である農村を離れ、家族と別れねばならなかった。これは個の在り方やこころの問題へと繋がるが、問題はそれだけでは無い。労働者たちが本来暮らしていたコミュニティーは、例えば近代的製造拠点では無い、ということで集落としても衰退していく。後年、糸や布の産地或いは縫製工場として近代以降のコミュニティー内でかたちを成していた場もまた、更に安価に大量に糸や布を生産できる他の場所や海外の工場に立場を奪われた。近代以降のコミュニティーもまた、加速する機械化・近代化等によって崩壊していく。こうして過疎地という“場ではない場”が日本各地に取り残されていく。

画像: 長崎の小値賀島。山縣良和とともに東京術藝術大学の学生たちがフィールドワークを行った。展示も、島内の民家などを“場”にして開催された PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

長崎の小値賀島。山縣良和とともに東京術藝術大学の学生たちがフィールドワークを行った。展示も、島内の民家などを“場”にして開催された
PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

  では人口や労働や生産システムの大都市集中はひとを幸福にしたのか? 近代化された世界、そこに生きる者達は安価に供給される大量生産品や労働の機械化によって、より高位の自由や喜びを享受できるようになったのだろうか?
  前回の論考でも触れた大量生産・大量消費社会は我々が生きる場所である地球そのものを傷つけ、また、ひとの疎外化や孤独化を生むに至った。私達はそれが課題であることを知り、自覚しているにも関わらず、看過し続けてきた。しかし、現実を自分ごととして実感せざるを得なくなった転機が新型コロナウィルス禍である。この3年間で多くの課題が表面化し、可視化され、前面化した。 
ファッションもその課題と無縁ではない。 前回触れた“大量廃棄”は服業界の重要課題だ。では環境悪化やコミュニティーの崩壊の要因でもあるファッション産業は現代の諸課題とともにお荷物化してしまうのか…ファッションに未来は有るのか? その答えを探したい。

画像: 旧野首協会。潜伏キリシタンの歴史が刻み込まれた野崎島の小高い丘に建つ COURTESY OF WRITTENAFTERWARDS

旧野首協会。潜伏キリシタンの歴史が刻み込まれた野崎島の小高い丘に建つ
COURTESY OF WRITTENAFTERWARDS

 過日、長崎において興味深いイヴェントが開催され、トークセッションが生まれた。話者はファッション・デザイナーであり、ファッション・スクールの主催者でもある山縣良和と東京藝術大学学長(藝大)の日比野克彦の二人。両者は長崎県の過疎化、人口減少、地域活力の低下などの課題と向き合うプロジェクトで協同している。両者の共通項としてアートやファッション、つまりクリエイションが如何に共同体に価値あるものを提供できるか、教育は如何に進化・深化させられるのか、という問題意識がある。日比野は47都道府県全てに国立の芸術大学を設けることを提案したが、その発想に僕は賛同する。

 山縣は自らのファッション・ブランド「リトゥンアフターワーズ」の発表場所として長崎の五島列島の北部に位置する小値賀島を選んだ。理由は山縣自身が幼少期を長崎の島原で過ごしたという背景、そして絹が中国等を経由して辿り着いた場としての小値賀島だ、という。
 長崎は早くから大陸との物的、文化的交流があり、島国の日本としては稀有な出入り口であった為、文化史、精神史の観点からも重要な’場‘であるといえる。
 場としての小値賀島に旧居住者による何らかの痕跡、“ひとのあと”を探っていた山縣は偶然出会った墓石に衝撃を受け、インスピレーションを得る。瀬戸久次郎という名が読める墓石には十字架らしきものも認められた。山縣はそこから物語を綴り始める。
 誰かが生きていた軌跡、記憶、そして文字。山縣はリトゥンアフターワーズの最新コレクションを、“服の内部に手描きの文字が描かれた服(小値賀島民らによる文字は表面からは見えない)”としてかたちにしていく。また、そのコレクションを小値賀島のほぼ廃屋であった旧小西邸で展示する。

画像: 小値賀島の廃屋で展示されたリトゥンアフターワーズのコレクション PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

小値賀島の廃屋で展示されたリトゥンアフターワーズのコレクション
PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

 ファッション・ブランドが東京では無く、九州でも無く、小島で展示すること…そこに山縣は意味を込めた。更に彼が協同する藝大生徒の作品展示の場としても島の民家を選んだ。島でのフィールドワークからは、そこに「小値賀テーラー」という仕立屋があったという事実や、かつては養蚕業や糸紬もあったことも発見する。そこに“ものづくり”があったのだ。
 小値賀諸島の字々島は、かつて柳田國男が「困窮島」と名付けた場所だという。他の島で生活に困窮した住民が字々島に移り住み、生活をやり直す。彼らは税金が免除されたり、海産物採取に規制が無かったりする。“自力更生”の島であり、現在で言うセーフティーネットとして機能していたといわれる。
 コミュニティーは単なる生産の場でも無い。海や土の恵みを採取し生きることのできる島、蚕を飼って絹をつくった島、遥か彼方の地から他の民族の叡智や信仰や文化が伝わった島、共に暮らすことの意味がある場としての島。山縣はその土地とコミュニティーに運命的な出会いを感じ、彼の考える“ものづくり”を彼の地で実行してみようと考える。それがファッションの再生や未来に繋がると信じて。

画像: 小値賀島の人々と共に語り合う山縣良和(奥右端)。東京藝術大学の学生とのフィールドワークの一場面 PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

小値賀島の人々と共に語り合う山縣良和(奥右端)。東京藝術大学の学生とのフィールドワークの一場面
PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

 ファッションが産業となり、単なる金儲けの手段へと肥大化し、遂には陳腐化寸前まで行っているかのような21世紀。その第二ディケイドを私達はいかに捉え、向き合い、そして行動するのか。そこにファッションの生き残る道はあるのか?
 山縣の主催する「ここのがっこう」は単にデザインや服作りを教える場ではない。彼は「ここのがっこう」の学生と生地産地である富士吉田を結び、一種のアーティスト・イン・レジデンス的なプロジェクトを展開している。3回目となる今春、生徒達は富士吉田市内各所で自作コレクションの展示を行い、一般の来場者による“投票”も行った。富士吉田もまた近代以降の産業の変化によって栄華盛衰を体験したが、それでも生き残った稀有な例である。
 素材(絹や綿・麻の織物等)があり、縫い手が居て、そこにデザインという意匠が入り込む。つまり“服作りの原風景”が富士吉田に再生されつつ様にも見える。一方の小値賀島はオーラを有している場であり、そこにはコミュニティーの原点も生き残っている。

画像: 小室浅間神社 神楽殿に展示された「ここのがっこう」修了生の作品。2008年の開講以来、多数のデザイナーを輩出し、国内外から注目を集める「ここのがっこう」。富士吉田の終了展では、現役の受講生のみならず、現在、プロとして活躍中の修了生たちも参加。左から、Works by pillings(2021年 TOKYO FASHION AWARD受賞)、Works by BIOTOPE(2022年 ITS ファッション部門・アートワーク部門ファイナリスト、ITS Artwork Award受賞)、Works by WATARUTOMINAGA(LVMHプライズ2023にてセミファイナリスト選出) PHOTOGRAPH BY SORYO

小室浅間神社 神楽殿に展示された「ここのがっこう」修了生の作品。2008年の開講以来、多数のデザイナーを輩出し、国内外から注目を集める「ここのがっこう」。富士吉田の終了展では、現役の受講生のみならず、現在、プロとして活躍中の修了生たちも参加。左から、Works by pillings(2021年 TOKYO FASHION AWARD受賞)、Works by BIOTOPE(2022年 ITS ファッション部門・アートワーク部門ファイナリスト、ITS Artwork Award受賞)、Works by WATARUTOMINAGA(LVMHプライズ2023にてセミファイナリスト選出)
PHOTOGRAPH BY SORYO

 ファッションが本来持つべき諸要素は東京やパリやミラノではなく、日本や世界のオフセンターで生き残るのではないか…それが次世代・次世界のロールモデルとなり、諸問題解決のヒントとなるかも知れない。今、僕はそう感じている。

画像: 栗野宏文(くりのひろふみ) 栗野宏文。ユナイテッドアローズ上級顧問 クリエイティブディレクション担当。2004年、英国王立美術大学(Royal Collage of Art)より名誉研究員(Honorable Fellow)を授与される。現場で培った知見と鋭い視点に基づくファッション論には定評がある。近著に『モード後の世界』(扶桑社刊) PHOTOGRAPH BY ENRIQUE URRUTIA AT PREMIÉRE VISION PARIS

栗野宏文(くりのひろふみ)
栗野宏文。ユナイテッドアローズ上級顧問 クリエイティブディレクション担当。2004年、英国王立美術大学(Royal Collage of Art)より名誉研究員(Honorable Fellow)を授与される。現場で培った知見と鋭い視点に基づくファッション論には定評がある。近著に『モード後の世界』(扶桑社刊)
PHOTOGRAPH BY ENRIQUE URRUTIA AT PREMIÉRE VISION PARIS

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