BY TERUYO MORI
今、ニューヨーク・ファッション界でパワープレイヤーとなっているのは2000年代にブランド・デビューしたデザイナーたちだ。2000年代といえば、とりわけアジアにルーツを持つデザイナーたち(アレキサンダー・ワン、ジェイソン・ウー、プラバル・グルン、デレック・ラム、タクーンなど)が次々にデビューし、アジア系デザイナー・ブームが起こった時期でもある。
今年ブランド設立20周年を迎えたフリップ・リムもそのひとり。2004年に現在もビジネス・パートナーのウェン・ゾウ氏とともに、ニューヨークでブランドを立ち上げた。当時31歳だったことからブランド名を3.1 フィリップ リムとした。
2005年の9月に行われたデビュー・コレクションは米ヴォーグやニューヨーク・タイムズ紙などがストリート・エレガンスの真骨頂、ロマンティシズムを讃えたクールな服と評して絶賛。2007年にはファッション界のオスカーと言われるCFDA(アメリカ・デザイナーズ協会)主催のファッション・アワードでウィメンズ・デザインの新人賞、2012年には同アワードでメンズ・デザインの新人賞も受賞した。都会のプロフェッショナルな女性たちをターゲットに、カジュアルなデニムアイテムでもソフィステイケートであること、そして服の“どこか”にハンドメイド感や捻りを加えて“ちょっと特別”な印象を与えるデザインが、ブランドのシグネチャーとなっている。
2025春夏コレクションで伝えたかった「喜び」
ブランド設立20周年記念となった2025春夏コレクション発表日の朝、フィリップは「どうしても伝えたい思いがある」と、ショーに配布されるコレクション・ノートに自ら筆を取った。「初めて咲き誇るバラの香りに包まれた時のことを覚えていますか?」。この優しい問いかけで始まったノートには人生での初めての体験や家族への思い、人々との出会い、服作りへの情熱が綴られ、それら全てはJoy/喜びで結ばれていると結ぶ。そして名づけられた今コレクションのテーマは
「Memories of Joy」。
「服はどうあるべきか?ではなく、自分の能力とチームの才能を駆使して、喜びをもたらす服を作ることに専念しました。内省的になったというか、これまでやってきたコレクション作りのプロセス全体を考え直したのです。20年のデザイナーとしての経験をリセットして、チームが一丸となってプロセスに喜びを見出そうと考えました。というのは、コレクション作りは往々にしてプレッシャーに負けて服作りの楽しさや喜びを忘れてしまいます。これまで僕の服作りは芸術的なものを目指したり、影響を受けた形や人物をひな形にしていましたが、今回はもっと抽象的なフィーリングを大切にしました。フィーリングは言葉で表現したり、人に感じとってもらうのはとても難しいけれど、この服を着ると気分が良くなる、うれしくなる、楽しくなる、そんな服を作ろうと決めたのです。
つまり、自分のフィーリングや服作りのスピリットを大切にし、過去の作品の中で特に好きなものをまとめたMemories of Joyというひとつのストーリーにしました。シックなものからクールなもの、若々しいもの、ロマンティックなものなど、この20年間で定着したシンボルやエッセンスを盛り込みました。おかげで、ブランドが目指している「すべての人のための服」という視点がうまく出たコレクションになったと自負しています」
記念すべきショーは、ベルスリーブのロングトップにハンカチーフ・ヘムのスカートの白のレースのルックではじまり、透明感あふれるロマンティックかつスポーティなレース、ペプラム、バブルヘムのトップやボトム、迷彩柄のパッチつきデニム、ビーズのフリンジ、スリップドレスなどが並んだ。コレクションのアクセントカラーとして登場したブルーやアシッドグリーンはカリフォルニア育ちを偲ぶ色。さらにバラの花柄やロゼッタは2007年のコレクションに登場して注目されたディテール。
「今コレクションでは、若々さを強調したかったのでショートスカートやショートパンツを出しました。バラやロゼッタを再び使ったのは、時代を超えて愛されるファッションを意識したから。ファッションでのサステイナブルは時代を超えて存在し続けることだと考えるようになりました。今は強いことが良いことだというような風潮で、服が鎧のようになって強さを強調し過ぎている。僕はあえて柔らかさや危うさを表現したかったので、優しい印象のレースを使いました。去年のショーの透け感のある素材、センシュアルなランジェリー感も加えてコレクション全体に柔らかさ、危うさ、人間らしさ、喜びのムードを醸し出したかったのです」
ブランドを背負うデザイナーとしての
自覚や進化とは?
「服作りでいちばん楽しいのは最初のサンプルを修正しながら服を作っていくことだけど、デザイナーの仕事を始めた頃は、常に美しさだけを考えていました。具体的な形の美さだけを追い求めていたと思います。今でも、それはコレクションの中に残っています。コレクションを作りながら服作りのスキル、たとえば服をよりシャープに、より洗練され、より自信に満ちたものにする技術を磨いてきました。でも次第に僕自身の価値観、つまり、信じるものを大切にした服を作るようになりました。自分と社会の繋がりの中で、自分の声をどこに向けて発信するのか。政治、人権、環境、地域活動への参加など、自分が大切にしていること・信じていることと美しい服を作ることを両立させなければならないと、考えるようになったのです。だから僕は人として成長したと思います」
ブランドを維持していく中で最も苦しかったのは、パンデミックの時だった。ロックダウンで服が売れなくなり、ファッション界全体にビジネスの危機が広がった。フィリップも経営難となりブランドの閉鎖も考えたという。そして生き残るためのモチベーションを必死で探し求めた。
「難しいのは服作りのワクワク感を維持し続けることでした。正直なところ、この仕事は楽しいことだと自分に言い聞かせなければならない日々でしたが、その中で気づいたのが人と人との繋がりでした。このデザイン・チーム、友人、ビジネス ・パートナー、家族がいなければこの仕事はやっていけない。ファッションもエコシステムで成り立っていることがわかったのです。僕たちは互いに糧を与え合い、成長し生き残るための人と人との繋がりを必要としています。自分を取り巻くコミュニティとのつながりの大切さがわかるようになったのです。パンデミックの最初の 一年は僕の身近なコミュニティ、アジア系の人々が必要としている活動に積極的に参加し、問題点を発信することに力を注ぎました。そのおかげでAAPI (Asian American Pacific Islanders)のコミュニティとニューヨーク市のコミュニティとのつながりが強くなりました。自分が幸せになれることは何か?と考えた時、それはコミュニティ活動だったのです」
実際に彼はパンデミック中にアジア人への人種差別の抗議と支援を呼びかけるStopAsianhateと名づけたファンドを立ち上げ、700万ドルの寄付金を集めた。そしてアジア系のクリエーティブ仲間とSlaysian(スレイジアン=Slay (クールな)アジア人というグループを結成してアジア系のヒーローが活躍する House of Slayというアニメシリーズも立ち上げた。今、彼が取り組んでいる新しいプロジェクトがアジア系アメリカ人のメンタルヘルス(心の健康)を守る活動だ。
「アジア系の社会ではメンタルヘルスの事を隠す人が多く、ひとりで悩んで自殺する人も多い。AAPIコミュニティにおけるメンタルヘルスをめぐる問題や偏見をなくすための、サポートシステムを作らなければならないと思ったのです。こういった社会活動を行うことで服作りに取り組む姿勢が明確になると思うし、ちゃんとした人生を歩んでいるという自覚も生まれます」
節目の20年。“これから”を考えた時の決意
20年のひとつの節目を迎えて、これから5年先、10年先の夢があるか?と聞いてみると、「夢は見ない」ときっぱり。目の前にあるもので自分が気に入ったら行うし、嫌いなものなら行わない。そしてファッションが嫌になったら辞めると言い切る。本当ですか?と真偽を問うと、
「はい、辞めます。嫌になったら終わりです。人生で最悪なことは、自分の心に嘘をついて行き詰まってしまうこと。僕は行き詰まりたくないから。僕はプラクティカルな人間です。服に関してもプラクティカルです。だから服を作るなら、人が着る服を作る。見せるためだけの服は作りません。私の人生も同じです。終わったと決めたら、それで終わりです」
それでは自身のブランドの5年後、10年後の将来は考えないのだろうか?
「先のことは考えられません。ブランドというのは僕ひとりではコントロールできないから。ブランドは、それ自体が生命力を持つべきです。正直に言うと、ブランドがファッション以外のものになってもそれは運命づけられていると思います。僕にとっての僕のブランドは、服作りに対して誠実であり続け、すべての人のために服を作り続けることです。僕が服のブランドを立ち上げたのは、自分や周りの人たちや友人たちのために服を作りたかったからです。そして今でもそれは変わっていません。それが僕に与えられた使命です。その使命を失わなければ、ブランドは続いていくと思います」
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