BY KIMIKO ANZAI, PHOTOGRAPHS BY MITSUE YAMAMOTO
ドミニク・ローランのワインは個性的だ。権威あるワイン専門誌『ワインスペクテイター』で「200% New Oak」と評されたことから、今も彼のワインには「新樽200%」という枕詞がついてまわる。この呼称は、1989年にネゴシアン(※ワインの卸売り業者。自社畑を持たず、果汁や樽詰めワインなどを仕入れて醸造、または貯蔵・熟成させて販売する)としてスタートした当初、買い付けたワインを新樽に入れ、半年後、もう一度新樽に入れて熟成させたという彼独自の手法に由来するが、その味わいは実に芳醇で華やかだ。不思議なのは、彼のワインには新樽使いのワインにありがちな強いバニラ香がないことだろう。
例えば、「ドミニク・ローラン クロ・ド・ベーズ 2015」はまだ若いヴィンテージではあるが、樽のニュアンスがタンニンにきれいに溶け込み、香り豊かでシルキーな口当たりだ。ブルゴーニュにおいては、造り手のスタイルはもちろん、村や畑などの特徴が前面に出てくることが多いが、ドミニク・ローランのワインには、彼のワインを飲んだ者なら気づく“甘く、芳醇な果実味”がある。
「新樽を使おうと思ったのは、ネゴシアンだった頃、素晴らしい畑のブドウなのに醸造がうまくできていないワインに出会ったからなんだ。これをどうにかおいしくしたいと思って、”熟成を再構築する”という意味で新樽を使い始めた。そして、ワインの酸化を防ぐために、なるべく空気と接触をしないようにと心がけた。これが結果としてよかったのだろうね。私はアロマを与えるために新樽を使うわけではないんだ。新樽で長く熟成したことによって、結果的に樽のニュアンスがうまくワインに溶け込んでくれただけのことだと思っているよ」と、ドミニク・ローランは述懐する。
彼のワインが世界的に有名になったのは、90年代当初のこと。ワイン評論家のロバート・バーカーJr.が彼のワインに高得点をつけたことがきっかけだった。だが、当時は“パーカー・ポイント”を懐疑的にみる他の評論家や愛好家から、「パーカー好みの、単に樽香が強いワインなのではないか?」と思われることもしばしばあったという。
「確かに、新樽を使いすぎると試飲の時に好かれないことも多い。でも、それは若いワインだからなんだ。昨年、イギリスの若いジャーナリストがこう言ってくれた。『香港で「シャンベルタン クロ・ド・ベーズ 1992年」を飲んだ。開けて15分で芳しい香りに包まれた。すばらしかった』とね。それはそうだよ。25年も経っているんだからね(笑)。ブルゴーニュは、10年は寝かせてから飲むのが本来の姿だと私は思っている。私が新樽を使うのは、10年後、20年後、ワインの完成した形を考えてのことなんだ」
ドミニク・ローランがワインの世界に入ったのは、1988年。もともとはパティシエだったが、アペラシオン(※フランスで、法律に基づきワインの原産地を表す呼称)や畑の格付けがあり、その厳格さが生み出すワインの多様な味わいに魅了されたという。
「まだワインが飲めない10代の頃からワインを買って、父や叔父に贈っていたんだ。香りだけでも、イマジネーションを刺激されたね」と笑う。彼がネゴシアンになって、最初に造ったワインはわずか1,000本。それが、89年には3万本に増えた。その後、人との出会いに恵まれ、ブルゴーニュではなかなか購入が難しいとされる畑も入手。2006年には自家栽培のブドウで造る「ドメーヌ・ドミニク・ローラン ペール・エ・フィス」を立ち上げた。現在は、息子とともに醸造に携わっている。
「今、大好きなワインを造ることが出来て幸せだよ。ドメーヌを大きくしたいとか、特に野心はないけれど、100年後も私たちのワインが残っていてくれればと願っているよ(笑)」。そして、最後にこう言った。
「ワインは、まず“畑ありき”だよ。ワインを生み出すのはテロワールなんだ。最初にブルゴーニュがある。その次に、私のワインがあるんだ」
ドミニク・ローラン(DOMINIQUE LAURENT)
「ドメーヌ・ローラン ペール・エ・フィス」オーナー兼醸造責任者。1970年代後半、パティシエから転身、ワインの仕事に携わり、ネゴシアンからスタート。「ドメーヌ・ローラン ペール・エ・フィス」は現在、11ヘクタールの畑を所有する。樹齢50年以上のヴィエイユ・ヴィーニュ、自作の新樽、長期熟成と有機栽培にこだわり、“オートクチュールのワイン造り”を目指す
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