メゾンの歴史を知るほどに好きになるシャンパーニュがある。「シャルル・エドシック」もそんな銘柄のひとつだ。“男前シャンパーニュ”の物語をここに――

BY KIMIKO ANZAI

 華やかなホリデーシーズン、大切な家族やパートナーに何を贈ろうかと迷っている人も多いのではないだろうか。そんな時に選びたいもののひとつが、シャンパーニュだ。華やかな場面には欠かせないアイテムで、淡いゴールドの泡に気分も上がる。ヨーロッパでは親しい男性へのプレゼントの定番でもあり、贈った相手と一緒に楽しめるのもいい。

 なかでも欧米で人気が高いのが、「シャルル・エドシック」だ。創設者のシャルル=カミーユ・エドシックがダンディで粋、加えて冒険心に富んだ人物であったことから、意識の高い男性たちから絶大な支持を得ている。その味わいは芳醇にして限りなく優雅。「飲んですぐに『シャルル・エドシック』とわかる」と評される。だが、このシャンパーニュ、単に高品質というだけではない。創設者の人生を知るほどに、その味わいの中に“優雅なる冒険者”の精神が感じられる魅惑的なシャンパーニュでもあるのだ。

画像: 「シャルル・エドシック ブリュット レゼルヴ」 <750ml>¥8,000 最新収穫年のベースワイン(ピノ・ノワール、シャルドネ、ムニエ各1/3)60%に、リザーヴワイン(ピノ・ノワール、シャルドネ各50%)40%をブレンド。リザーヴワインは平均10年熟成。ドザージュ11g。“メゾンの真髄”ともいえるキュヴェ。白い花や白桃、ブリオッシュの香り。コクがあり、豊かな果実味とフレッシュな酸味。南極大陸冒険家のロバート・ファルコン・スコットは「シャルル・エドシック」を南極探検に携えていたという PHOTOGRAPH BY SHINSUKE SATO

「シャルル・エドシック ブリュット レゼルヴ」<750ml>¥8,000
最新収穫年のベースワイン(ピノ・ノワール、シャルドネ、ムニエ各1/3)60%に、リザーヴワイン(ピノ・ノワール、シャルドネ各50%)40%をブレンド。リザーヴワインは平均10年熟成。ドザージュ11g。“メゾンの真髄”ともいえるキュヴェ。白い花や白桃、ブリオッシュの香り。コクがあり、豊かな果実味とフレッシュな酸味。南極大陸冒険家のロバート・ファルコン・スコットは「シャルル・エドシック」を南極探検に携えていたという
PHOTOGRAPH BY SHINSUKE SATO

 メゾンの設立は1851年。これがシャルル=カミーユの冒険の始まりでもあった。彼は、シャンパーニュの名門エドシック社の一族で、母方は同じく名門のアンリオ・ファミリーの出という“サラブレッド”だった。長じてエドシック社で働きながらシャンパーニュ造りの知識を得るが、「自らの理想と個性を反映したシャンパーニュをつくりたい」と、自身の名を冠したシャンパーニュをつくる決心をする。当時、彼は29歳。この時代、時間も費用もかかるシャンパーニュづくりに、この若さで挑戦することはかなりの冒険。しかも、シャンパーニュ造りの名門の子息が同じ業界に進出することは、挑発的な行為でもあった。

 だが、シャルル=カミーユにはこのハードルを越えられるだけの先見の明があった。自身のシャンパーニュの品質に自信があった彼は、それを海外で売ろうと考えたのだ。複数の言語を操れたこともあり、手始めにベルギーとイギリスに旅立ち、成功を収めた。さらに、当時のシャンパーニュの輸出先はロシアが主流だったが、シャルル=カミーユが着目したのは“新大陸”と呼ばれていたアメリカだった。そして1852年、彼はアメリカを目指した最初のシャンパーニュ商人となった。

画像: 創設者のシャルル=カミーユ・エドシック。明朗快活、穏やかな人柄でありながら、強い意志を持つ人物だった。「シャルル=カミーユのまわりにはいつも会話が絶えない」と評された。シルクハットとステッキが彼を象徴する小道具だったという

創設者のシャルル=カミーユ・エドシック。明朗快活、穏やかな人柄でありながら、強い意志を持つ人物だった。「シャルル=カミーユのまわりにはいつも会話が絶えない」と評された。シルクハットとステッキが彼を象徴する小道具だったという

 こうした彼の冒険譚は、『シャンパン・チャーリー』というミュージカルにもなっている。“チャーリー”とは“シャルル”の英語読みで、アメリカでの彼のニックネームでもあった。話術にたけ、貴公子然としたシャルル=カミーユはニューヨークの社交界でまたたくまに注目を集め、彼のシャンパーニュも大成功を収めた。その人気ぶりはすさまじく、アメリカ北部では彼の存在自体が社会現象となったほどだという。

 だが、栄光は長くは続かない。南北戦争が勃発すると、南軍に肩入れしていた彼は、バトラー将軍から領事宛の手紙を運んだ罪に問われたのだ。書簡の内容をまったく知らなかったにもかかわらず、シャルル=カミーユはフロリダのビケンズ要塞に投獄されてしまう。だが、彼の冒険者魂はこの時にも発揮された。彼はこんな言葉を残している。 

「バトラー将軍は、出国するのであれば釈放を認めるといってきたが私は断固拒否した。私は自由になることだけを望んでいるのではない、私を侮辱したことを謝罪してほしい、マスト船で自由にアメリカに出入国できる権利を認めてほしいと返答した」

 

This article is a sponsored article by
''.