日本のみならずアメリカ、EUでも有機認証を取得した純米酒が「福光屋」から発売された。上質な酒米の契約栽培に取り組みはじめてからおよそ60年。老舗酒蔵が世に送り出す自信作には、酒米農家と二人三脚の長い歴史があった

BY MIKA KITAMURA

 寛永2(1625)年創業、金沢で最も古い歴史をもつ酒蔵「福光屋」。地元に2店舗、東京に4店舗を構え、日本酒以外に、調味料や米の発酵飲料、甘酒、化粧品までを開発。酒を飲まない層や若い世代にも日本酒の魅力や奥深さを伝え続けている。その福光屋がこの春、初の有機純米酒ブランド「禱と稔(いのりとみのり)」を世に送り出した。日本、アメリカ、EUの有機認証を取得し、国内外の自然派、オーガニック志向の人たちへの訴求を目指す。

画像: 酒米の名と年号を冠した有機純米酒「禱と稔」。稲作から酒づくりに至る日本固有の精神世界を象徴したネーミングは、編集工学研究所所長で日本文化研究の第一人者である松岡正剛氏による。今後、熟成させたものを毎年リリースする予定で、今年発売されたのは2015年醸造のもの

酒米の名と年号を冠した有機純米酒「禱と稔」。稲作から酒づくりに至る日本固有の精神世界を象徴したネーミングは、編集工学研究所所長で日本文化研究の第一人者である松岡正剛氏による。今後、熟成させたものを毎年リリースする予定で、今年発売されたのは2015年醸造のもの

 今回の有機純米酒ができるまでには、じつは長い年月を要している。少し長くなるが、そのヒストリーを紹介することで、今回の新商品リリースがいかに福光屋の念願であったのかがわかるだろう。

 1960年、兵庫県中部の中町坂本(現在の多可郡多可町坂本)の生産者に、酒米「山田錦」を栽培してもらったのが最初の一歩だった。米生産者が福光屋と契約する以前の1950年代後半は、酒の販売価格は全国一律であったため、あえて値段の高い米を使う蔵元はほとんどなかった。1960年は高度経済成長期で、日本酒の需要も伸び、造れば造っただけ売れた。戦後の酒造用米不足を解消するために導入された三倍増醸酒(醸造アルコールや糖類を添加して3倍に増量した酒)がまだまだ市場を席捲していたような日本酒量産の時代である。

 山田錦の最優良産地とされる地区から離れている坂本の山田錦は、その質にふさわしい評価が得られず、苦労したと聞く。彼らは自分たちの山田錦を正統に評価してくれる全国の酒蔵を訪ね歩き、辿り着いたのが福光屋だった。一方、将来の酒造りのあり方を模索し、「もっと品質の高い酒を造りたい」と上質の酒米を求めていた福光屋は、中町の酒米をすべて買い取る契約を結んだ。いま振り返れば先見の明というべき勇断だが、当時にしてみれば、とてつもない度胸のいる決断だったろう。

画像: 高品質の酒米を生産農家に契約栽培してもらっている福光屋は、土作りから農家とともに研究し、より高品質の酒米を安定確保。毎年の気候状況によって変化する米の性質を予測し、酒造りにその情報を生かしている

高品質の酒米を生産農家に契約栽培してもらっている福光屋は、土作りから農家とともに研究し、より高品質の酒米を安定確保。毎年の気候状況によって変化する米の性質を予測し、酒造りにその情報を生かしている

 その後、1988年からは長野県北東部の木島平村で衰退の危機にあった「金紋錦」を、兵庫県北部の出石町で栽培量の少ない「フクノハナ」を、自分たちの蔵のためだけに栽培してもらうようになった。2000年に入って農薬をほとんど使わない栽培に移行し、2004年から2006年にかけて国のガイドラインを遵守した全量の特別栽培を実現。さらにその一部で全量有機質肥料、無農薬栽培を開始し、2008年から2009年にかけて有機JAS認証を受けた。

 

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