古代ギリシャの時代から、物書きは食について書くことに心を砕いてきた。けれど、私たちは本当に食べ物のことを書いているのだろうか──それとも、口には入らない何か別のことの比喩として、人は食べ物について語るのだろうか

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPH BY ANTHONY COTSIFAS, FOOD STYLING BY YOUNG GUN LEE, SET DESIGN BY VICTORIA PETRO-CONROY, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA

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 1970年代になる頃には、全米の各新聞が独立した料理記事欄を設けるようになった。書いていたのは主に女性だ。記事は人気だったが、あくまで添えもので、広告費で新聞を支える食品メーカーの商品を宣伝するのが狙いだと認識されていた。ユタ州選出の民主党上院議員フランク・モスは、消費者の権利を主張する立場から、こうした記事を書く記者たちを糾弾している。ことの顚末はキンバリー・ウィルモット・ヴォスの著書『The Food Section: Newspaper Women and the Culinary Community』(2014年)で紹介されているのだが、モス議員は1971年に、シカゴで開催された全米フードエディター会議に招かれて登壇した際、参加者に向かって大胆にもこんなふうに問いかけた。「ご婦人方、あなたがたはジャーナリストと言えるのか。広告部長の駒にすぎないのではないか」。そう言って、集まったフードエディターたちを「スーパーマーケット業界の売春婦」呼ばわりした。

 女性たちは激怒した。会議をボイコットした者もいた。一部が独自の職能団体を立ち上げ、さらなる糾弾を免れるため、厳しい職業倫理規定を起草した。モス議員は、食品メーカーがマスコミに宣伝記事を書かせている点について上院議会が捜査することを主張したが、それは実現しなかった(ヴォスが指摘しているとおり、表現の自由の範疇だったからだ)。新聞社や雑誌社の編集長やオーナーたち──記事の傾向を決定する立場である彼らは、圧倒的に男性ばかりだった──ものんきなまま態度は変わらず、責任が問われることはなかった。

 大量消費主義は「大衆の求めに応じない政府および産業に対する反乱」である、とモス議員は1971年に連邦議会で発言している。先のエピソードは看過しがたいとはいえ、彼はあくまで、不公正なビジネス慣行から消費者を守ろうと戦う理想主義者だったのだ。半世紀後には大量消費主義が全米に広まったが、それはモスが考えていたような形ではなかった。社会が消費ばかりを重視し、モノを作る労働者の権利を踏みつけることも厭いとわないという、自分勝手な形式としての風潮だ。そして相変わらず、食について書く文章はアメリカ文化で一般的なものとは認知されていなかった。変化が起きたのは、2000年に『Kitchen Confidential』(日本語版は『キッチン・コンフィデンシャル』〈土曜社〉)という書籍が出版されたあと、21世紀はじめのことだ。これは有名シェフのアンソニー・ボーデインが輝かしい人生の舞台裏を明かした本で、料理の背後にある見えない労働を浮き彫りにする内容でもあったのだが、多くの読者が学びとったのは、もっぱら「月曜に魚料理を注文してはならない」というアドバイスだった(金曜に配達された分の残りかもしれないため)。作家のアプトン・シンクレアが1906年に社会主義・現実主義の立場から『The Jungle』(日本語版は『ジャングル』〈松柏社〉)という小説を書き、精肉業界の悲惨な実態を糾弾した際には、読者は不衛生で危険な環境で働かされる食肉加工業の労働者たちの存在よりも、自分の食べる料理が汚染されているかもしれないという可能性に激怒したものだったが、この『キッチン・コンフィデンシャル』の読者も、あくまで客側の立場として本を理解したのだった。

 昨今では宣伝記事に目くじらを立てられることはない。ただし、書く側が袖の下をもらっているとなれば、話は別だ。その商品が本当によいものだから購入を勧められている、と人は信じたいのである。何しろ現代人はモノを買うことが大好きだ。フードライターのモリー・オニールは2003年の記事で、一番高い調理家電を買う層ほど料理をしない傾向がある、と指摘している。料理が「見せるスポーツ」に変わっているのだ。そうなってくると、食について書くという行為も、とにかく魅力的な写真や文章で感情をかきたてる、いわゆるフードポルノになった。「陽気に、思い出を都合よく改ざんしながら、懐かしさを煽あおる。水滴の光るベビーレタスをほめたたえたり、食べ物をきっかけにプルーストばりの自分語りをしたり。新聞の料理コラムや料理雑誌はそんな場所だ」とオニールは書いた。「しかし、読者を気持ちよくさせることと、言論界のヴィクトリアズ・シークレット(註:扇情的なショーで知られる下着ブランド)になることは、まったくの別のことであるはずだ」

画像: 祝う理由のない祝宴の食事。左から反時計回りに、綿菓子の七面鳥、バターを添えたさや豆、こぼれた水、ポテト、そしてデザートとして三段重ねのケーキ DIGITAL TECH: LORI CANNAVA. PHOTO ASSISTANTS: KARL LEITZ, MAIAN TRAN. FOOD ASSISTANTS: TRISTAN KWONG, ISABELLE KWONG, BRI HORTON. SET ASSISTANT: CONSTANCE FAULK

祝う理由のない祝宴の食事。左から反時計回りに、綿菓子の七面鳥、バターを添えたさや豆、こぼれた水、ポテト、そしてデザートとして三段重ねのケーキ
DIGITAL TECH: LORI CANNAVA. PHOTO ASSISTANTS: KARL LEITZ, MAIAN TRAN. FOOD ASSISTANTS: TRISTAN KWONG, ISABELLE KWONG, BRI HORTON. SET ASSISTANT: CONSTANCE FAULK

 食べ物についての文章が、読者を心地よくさせるものなのだとしたら、食べ物そのものが社会不安を象徴する場合はどうしたらいいだろう。実は古代から現代に至るまで、ときにはまぼろしを見せ、ときにまぼろしを暴くことで、食を綴る文章は巧みに読者の欲求不満に応えてきた。イギリスの社会人類学者ジャック・グッディは、今の私たちが知るところの「キュイジーヌ(高級料理)」──地域住民が一般的に食べるものではない食事──は格差の上に成り立っていると書いた。資源に対する支配力や、ほかの地域の食材を入手する手段や余裕が、一部の層に偏って生じているという状況では、多彩な料理、凝った料理を作ったり食べたりすることが、その特定のステイタスにあることを誇示する手段になるからだ。さらにその後、イギリスの社会学者スティーブン・メネルは、社会の階層化だけが食文化を形成するわけではないと論じた。格差のせいで食べ物の量に差が生じるかもしれないが、それだけでは質の多彩さは生じない。密接につながり合った階級が競い合い、それぞれにパワーを求め、底辺層は底辺層なりの「下からの圧力」を発揮するからこそ、食のイノベーションが促されるのだ。

 そう考えれば、食について書くというのは、それ自体がすでに階級闘争について書くことでもあるのだ。フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースは1966年に、「ある社会における料理のあり方は、その社会の構造を無意識に伝える言語だ」と書いた。途方もない豪華な食事について読むと、自分には決して手の届かないことを疑似体験する一方で、愚かな浪費をする層を見下す気持ちを抱いたりもする。特に、超高級料理がとんでもない代物だったという暴露記事は、誰もが大喜びして読みたがる。『タイムズ』紙の料理評論家ピート・ウェルズが2015年に、マンハッタンのアッパーイーストサイドにある日本食レストラン「Kappo Masa」を穏やかながら明晰な口調で糾弾する記事を書いたときも、そうだった。

「残酷かつ不条理で容赦ないほど」値段が高く、「サービスのパントマイム」で「ラグジュアリーのふり」をしているだけだ、とウェルズは書いた。トラベルブロガーのジェラルディン・デルーターが昨年12月に、イタリアのレッチェにあるミシュラン認定レストラン「Bros’」を酷評したときも、やはり大きな話題になった。27皿のコースの中身はもっぱら「食べられる紙」と「ビネガーのグラス」と「12種類の泡」だったという。シェフの唇をかたどった石膏に液体が注がれていて、よだれを垂らしているかのような唇に客が直接口をつけて舐めなければならないという料理も出てきた。こうした記事を読んだ読者は、キュイジーヌに群がっているのはしょせん裸の王様だ、と爽快な気分になる。こんな高級料理を食べられない自分は何ひとつ損などしていない、と思うことができるのだ。

 アルケストラトスは、各地の名物を紹介した詩「食の悦び」で、シルフィウムという野草のことを書いた。アサフェティダという植物に近いと言われるが、今では絶滅してしまった植物だ。望まれすぎたせいで乱獲が進み、古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)によると、紀元後1世紀には「たった一本」しか見つからない状態だった。アルケストラトスは、意図せぬこととはいえ、この野草を絶滅に追いやる詩を書いたのだ。凝った高級料理を味わうとき、そこには必ず労働および環境への負荷が生じている。現代のフードジャーナリズムでは「懐かしい味」をアピールするのがもはや当然の前提になっているのではないか、とモリー・オニールは危機感を示していたが、その郷愁とは事実上、これまでとは比べものにならないほどあっという間に色あせて過去のことになってしまう「今」への郷愁なのかもしれない。あるいは、私たちが決して手にすることのないであろう「未来」を思い、そこに郷愁を感じているのではないだろうか。アメリカの最も偉大な料理作家──最も偉大な作家のひとりといっても過言ではない──と言われるメアリー・フランシス・ケネディ・フィッシャーも、確かに郷愁をそそるエッセイの書き手ではあったが、そこには一抹の棘とげも含まれていた。1937年に、食に関する彼女の最初のエッセイ集『Serve It Forth』(日本語版は『食の美学』〈阪急コミュニケーションズ〉)を出版したとき、『タイムズ』紙は「愉快」だが「あまり例のない奇妙な本」と評していた。現代でも、彼女をひとつのジャンルに収めるのは難しい。フィッシャーは食べ物について書いた作家だ、と説明するのは、ヴァージニア・ウルフやジェイムズ・ジョイスが晩餐会について書いた作家だと説明してしまうに等しい。1943年の著書『The Gastronomical Me』では、幼少期に祖母の厳しい監視のもとで食事をさせられた体験を振り返り、それがいかにつまらないものだったかを語っている。フィッシャーの祖母は、「その他の何百万人という不機嫌なアングロサクソン」と同じく、「食べ物とは、何の感想も言わず、何の称賛や喜びも表さずに食べるもの」というしつけを受けてきた世代だったのだ。あるときフィッシャーの家に新しい使用人が来て、家族の食事の準備を引き受けると、それまでに食べたことのない予想外の料理が食卓に並ぶようになった。フィッシャーは「喜びを爆発させて」いたという。ところがある夜、その使用人は出かけたまま戻ってこなかった。彼女は自分の母親を殺して自殺していた─料理のために駆使していた、同じナイフを使って。

 凄惨な事件だが、フィッシャーがその使用人から受けた影響が消えたわけではなかった。使用人の死を悼みつつ、「料理にはさまざまな可能性がある」という思いを温め続けた。大人になり、自分も料理をする──そして料理について書く──ようになったとき、彼女の胸にあったのは、人々に「肉とポテトとグレイヴィソースだけが食事ではないとわからせる」という決意だった。「凝り固まったメニュー、思考、行動」を揺さぶりたかった。「安全でお上品なつまらない生き方を壊す」という強い思いもあった。毒にも薬にもならない記事を量産し、格付けの星ばかりを気にしている現代のフードライターがわが身に言い聞かせるべき戒律として、これ以上に的を射たものがあるだろうか。食べ物について書くことは、何かもっと多くのことを伝えられるはずではないか。食について語る文章を読む─それを言うなら、対象が何であれ、何かを語る文章を読むという行為の趣旨はどこにあるのだろう。それは鏡を見ることなのかもしれないし、窓の向こうを見ることなのかもしれない。今の世界から逃げ出す、もしくは、世界と出会うきっかけとなるかもしれないのだ。

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