コーヒー好きに愛された銘店の主。理想の味を求める熱意は今もたぎっていた。惜しまれつつの閉店から9年間に脳裏をよぎったもの。コロナ禍を生き、感じたこと。かつてカウンターで一滴一滴の雫を見つめたように、滲み出る言葉を拾った

BY MICHIKO OTANI, PHOTOGRAPHS BY MASANORI AKAO

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 店主の味を、客が受け取る。店でのやりとりを、茶道のようだったと振り返る人もいる。静謐な空気に満たされていた。が、決して張り詰めただけの場所ではなかった。「街の真ん中でしたから、いろいろな人が来ました。打ち合わせやおしゃべりに夢中で、こちらを見もしない人もいる。ただ、何が気に入ったのか、そういう人がまた来てくれることがあって、今度は目を合わせて挨拶してくれたり、過ごし方が変わったりするんです。私も『いらっしゃいませ』と言って、コーヒーを作って出して、あとは黙っているだけなのに、何かが変化する……それは、とても面白いことでしたね。コーヒー店のカウンターに立ち始めたとき、私は若造で、来る人のほとんどが人生の先達でした。その人たちすべてを受け入れられるか?というのが、自分にとっての勉強だったわけです」

画像: 大坊勝次。1947年、岩手県盛岡市生まれの彼とコーヒーとの出会いは高校時代、文学好きの友人に連れられ巡った喫茶店でのことだった。「校則では禁止されていましたが、人と語り合うのにこんな場所があるんだなと感じました」

大坊勝次。1947年、岩手県盛岡市生まれの彼とコーヒーとの出会いは高校時代、文学好きの友人に連れられ巡った喫茶店でのことだった。「校則では禁止されていましたが、人と語り合うのにこんな場所があるんだなと感じました」

 店はお客が作るもの──と大坊。控えめながら芯のある、かつ寛容なこの姿勢が愛されたのだろう。ビルの取り壊しというやむを得ない事情によって店は閉じられたが、「今も宿題が残っているんです」と言う。

「店をやっていた頃も、営業を終えてからお客さんの言葉を思い出していたりして、それを勝手に宿題と呼んでいたんですが、今もそのことを……。そんなに会話が弾む店ではありませんでしたが、ほんの短いやりとりでも、それが自分では普段考えたことのないようなことだったりすると、何度も何度も反芻(はんすう)して考えていた。それで、次に会ったときに『この前、お話ししたことですけれども』と。普通に生きていても、当たり前のことですよね? 私はそれを、コーヒー店でやっていたんです」

 次は少し濃いものにしましょう、と、ふたたび大坊はコーヒーを作り始めた。デミタスで供されたのは、よりとろりと濃厚な甘みを感じる一杯。濃厚なのに、体の中を風が吹き抜けるような爽快感がある。「薄く作れば飲みやすくなりますが、濃くて小さいものも作りたい。そういうものを口にするときは、気持ちが集中しますよね」

画像: 2杯目の濃いコーヒーは、デミタスカップ代わりのぐい呑みに

2杯目の濃いコーヒーは、デミタスカップ代わりのぐい呑みに

 店を閉めてからの9年間、落ち着いた暮らしの中で大坊は目指す豆を焙煎し続けている。往時、毎日8キロ焼いていた豆は、今は週に4キロ。「よくやっていたなぁと、やめてはじめて気がつきました」と笑う。

「コロナ禍になっても生活には特段の変化はありませんでしたが、コーヒー店に行ってコーヒーを飲むということが、自分の中でより大事な行動のひとつになりましたね。店舗の人たちを応援したいという気持ちもありますが、そんなことは言わず、行って飲んで帰ってくるだけ。思えば、職場でも家庭でも、誰にも求められる役割というものがありますが、コーヒーを飲む場所には何の役割もありません。立場から解放されて、鎧を脱いでたったひとりの自分になれるところ。そういう場所が、自分にとってこんなにも必要な場所だったんだと」

画像: 昔も今も、焙煎は1キロの生豆が焼ける手回しのロースターで。「まず、自分にとってのおいしいコーヒーとはどんな味かを決めること。そして、できれば自分で豆を焼いてみる。自分の作ったコーヒーがいちばんおいしいというのは、真理だと思います」

昔も今も、焙煎は1キロの生豆が焼ける手回しのロースターで。「まず、自分にとってのおいしいコーヒーとはどんな味かを決めること。そして、できれば自分で豆を焼いてみる。自分の作ったコーヒーがいちばんおいしいというのは、真理だと思います」

 そして、請われれば道具一式を携えて各地へ出かけ、コーヒーの抽出や焙煎のワークショップを行っている。昔、カウンター越しに出会ったなじみの客と懐かしい再会をすることもあれば、店を知らない若い人と焙煎談議に花を咲かせることもある。コーヒーを中心に、相変わらず周囲には自由と平等の風が吹いている。

 店が、恋しくなりませんか。誰もがおそらく尋ねたいことを尋ねると、フフフ、と煙のような笑みを浮かべた。「『こんなことがあった』『あんなことがあった』と今も思い出しますので、それを恋しいというのなら……大いにありますね。誰が来るのか、何が起こるのか、予定調和がまったくない世界。それが、何よりもいちばん面白いことですから」

 そういえば、と思い出したように、大坊はこんな話を始めた。大坊が80年代から繰り返し観ている演劇に、故・太田省吾の作品『水の駅』がある。壊れた水栓のある水場に人々が歩いてきて、思い思いの動作をして去る無言劇だが、あるとき観た演出で、水場の縁に座った人々がしばらくその場にとどまる様子が、妙に心に残ったという。「何だったんだろう、と何年も繰り返し考えていたんですが、先日、朝早く目覚めたときに、ふと『そうか』と気づいたんです。やってきた人たちは、ひとりで生きるんだという決意をして去っていく。そのことが、テーマになっているのかなと」

 大坊珈琲店もまた、水の駅のような場所だったのだ。扉をくぐる。店主と目が合い、挨拶を交わす。あとは、運ばれてくるコーヒーとその人の時間。それぞれひとりである誰かが、ひととき集い、去るまでの自由で平等な場所──静かな時を経て、彼がふたたびその水場に戻る日が来る予感がする。

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