国内外を旅して風景や人、土地の文化を撮影するフォトグラファー、飯田裕子。独自の視線で切り取った、旅の遺産ともいうべき記憶を写真と言葉でつづる連載、第3回

TEXT AND PHOTOGRAPHS BY YUKO IIDA

 ヒマラヤの山々と雲を眼下に眺めながら、小さなジェット機が谷筋に降下し始めた。インドのデリーを発って、機は一気に2,000mあまりを上昇。海抜100ⅿから7,550ⅿまで、亜熱帯性気候からモンスーン、ツンドラ気候までと、ブータンは激しく変化に富んだ地形と気候を有する稀な国だ。

画像: ブータン王国の首都、ティンプーから遠くヒマラヤの山並みを望む

ブータン王国の首都、ティンプーから遠くヒマラヤの山並みを望む

 私は、生き物のように変化するヒマラヤの雲を窓に眺めつつ、そこに龍の姿を重ねていた。現地では国名をブータンではなく「ドゥルック・ユル」と呼ぶ。その意味は「雷龍の国」だと言う。国の広さはほぼ日本の四国ほど。は100mから約7,500mと標高差が激しく、国のほぼ全土が急斜面だ。低地はインドのアッサムにも接しているので、亜熱帯の果実もとれる一方、万年雪の嶺もある。

 ベンガル湾から湿った上昇気流が一気にヒマラヤ高地に達するという稀な地理条件下で、雲は龍のように縦横無尽に動めき、雷雨や雪をもたらす。その龍雲が日本へもたどり着き、梅雨という恩恵になっていると識る人は少ないかもしれない。

画像: 谷あいに広がる首都ティンプーの街並み。すべて木造の伝統建築だ

谷あいに広がる首都ティンプーの街並み。すべて木造の伝統建築だ

 山々のひだの中にある細いパロの谷筋に見えた滑走路に飛行機はランディングした。迎えのランドクルーザーに乗り、谷川筋の未舗装路を走り、首都ティンプーへと向かった。ここ数年、ブータン王国は国民の幸せを国政の柱に掲げている。「世界一幸せな国」として多くの人に知られるようにもなった。しかし、1994年当時のブータン王国は、まだ厚いヴェールに包まれていた。鎖国していた江戸時代の日本のように、簡単には入国できず、仮に許可されても高額な入国費を支払わねばならないという状態だったのである。

画像: 早春の正月を家族で楽しむ。経文の旗「タルチョー」が風になびく

早春の正月を家族で楽しむ。経文の旗「タルチョー」が風になびく

 インドに精通している作家のOさんと、ブータン国外務大臣と親戚関係にあるという友人の計らいで、私は取材のため特殊な待遇で入国させていただいた。好条件で当時のブータン王国を見聞できたこの旅はまるで夢の中の夢のようで、今もOさんには感謝している。この10年ほどで携帯電話も普及し、今ではブータンにいても世界中の情報を得ることができる。だが、私の写真の中で天真爛漫に微笑んでいる人々は、少なからずまだ鎖国状態にあった国の中で、なんの戸惑いもなくカメラに視線を向けていた。

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