国内外を旅して風景や人、土地の文化を撮影するフォトグラファー、飯田裕子。独自の視線で切り取った、旅の遺産ともいうべき記憶を写真と言葉でつづる連載、第5回

TEXT AND PHOTOGRAPHS BY YUKO IIDA

 そしてチェルシー地区でもうひとつ、私のお気に入りの場所がある。フラワーショー会場からほど近い「チェルシー薬草園」(Chelseaphysic garden)だ。1673年に作られたイギリスのオックスフォード植物園に次いで古い植物園である。園内の植物は薬草に特化されている。私はここへ、ロンドン在住のハーバリストに連れて来てもらった。

 中に入ると、薬効や植物の来歴を記した標識とともに植物が植えられている。そして、庭の中央には、笑みを浮かべたハンス・スローン卿の銅像がある。スローン・スクエアという地下鉄の駅名もあるように、スローン卿はこの界隈の地主である英国4大名門の一族、ガドガン家の祖に当たる。彼は大英博物館の創設に大きく貢献した自然科学者でもあった。大英帝国が世界の海へ船を遣わしていた当時、珍しい植物の種や苗を収集し、持ち帰ってはスローン家の菜園であった敷地に植えたと伝えられている。その名残が今、ロンドンの中心地に1.62ヘクタールものガーデンとして残っているのだ。

画像: 高級住宅地区の一角に歴史を誇る「チェルシー薬草園」。四季折々の珍しい花も咲き、カフェもある

高級住宅地区の一角に歴史を誇る「チェルシー薬草園」。四季折々の珍しい花も咲き、カフェもある

 鎮痛剤として普通に使われているペニシリンも、もとは亜熱帯の植物由来である。七つの海を越え、当時の開拓者たちが命を賭けて入手したであろう薬草が、この庭で育てられている。それが今も医療や薬学の現場で世界の人々の命を救っていることを思いつつ、こぢんまりしたカフェでお茶を飲んだ。お茶の友には、イギリス人のソウルフードともいえるビクトリア・スポンジ・ケーキをいただくのがこの場にふさわしい。シンプルで大ぶりなスポンジケーキに、イチゴジャムとバタークリームを挟んだだけ。そんな素朴な味に合わせるのはホワイト・ティー(紅茶に牛乳を入れたもの)。質実剛健なイギリス人らしい味わいだ。

画像: 自然科学、博物学など多岐にわたって豊富な知識をもっていたハンス・スローン卿。その像が今もガーデンを見守る

自然科学、博物学など多岐にわたって豊富な知識をもっていたハンス・スローン卿。その像が今もガーデンを見守る

 夕方までこの界隈で過ごし、テムズ河を挟んで向こう岸にベルト状に広がる緑のバターフィールド公園を歩く。こうした広い公園の存在が、ロンドンという都市にいながらゆったりとした気分にさせてくれる。テムズ河にかかる橋の成り立ちや、その時代に思いを馳せるのもいい。この河を通過して世界の海へと旅立っていった船たち。そうして世界から収集された物を研究し、分類、保管する博物学を発展させたイギリス人の類まれなる気質と才能は、現代の人間や世界にとってもかけがえのない、有意義なものをもたらした。

画像: テムズ河にかかる橋も来歴はさまざま。夕陽に浮かぶシルエットも美しい

テムズ河にかかる橋も来歴はさまざま。夕陽に浮かぶシルエットも美しい

 

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